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メテオルーティン

おれのルーティンの数々。たとえば通勤中にドイツ語の勉強をすること。ランチにクロワッサンを食べること。夕どきに市民公園でテニスに興じること。他にも10個くらいあるが、こうして毎日に散りばめたルーティンをひとつずつ結びあわせていくと、生活の様式がはっきりと浮かび上がってくるものだ。

街ゆく人はみなルーティンを持っている。毎朝オムレツを食べる会社員がいる。公園を散歩するフリーランスがいる。この辺はのどかで良いが、世界にはやっぱり猛者がいて、正午になるとファウストを暗唱するコメディアンや、毎日50個のメニューを完璧にこなすパン屋などもいるらしい。慄然。

日々の生活から生まれる、ゆるぎない結晶のようなルーティン。おれはそれを美しいと思う。

最近「メテオルーティン」というのを始めた。これは毎月はじめに、つつましい生活に破滅級の一撃を喰らわせるルーティンだ。働いて寝るばかりの毎日にメテオをお見舞いしたら楽しいかな?と思ったのだ。メテオといえばきらめく流星が隕石となって降りそそぎガーンと祝福の嵐、みたいなイメージだが、おれは一本のワインを流れ星に見立てることにした。すなわち、絶対に手が届かない超高級ワイン。

いつもの焼酎でも良かった。100円のカップ酒でも良かった。それでもワインを選んだのは、フランスやドイツのぶどう畑の息吹を感じられると思ったから。ヨーロッパ狂いのおれらしいメテオかなと。

予算は5万円。底辺リーマンにはおかしな金額。つまり生活費からメテオ代を捻出するために飲み会はすべて断り、空調はほとんど使わず、雑木林でランニングをして、カスカスのコンビニおにぎりで飢えを凌いでーーーふふ。これがメテオ。なんとなく「全てひとつに束ねられていることの美しさ」みたいなのが味わえると思ったのだ。

そして先日。ゴールデンウィークで賑わう銀座に降り立ったおれは、初のメテオを見舞うべくワインショップに駆け込んだ。

ジェントルな店員さんに「流星みたいなのをください」と言うと、彼は、ふっ、と笑ってから店の奥へ消えた。それから待つこと5分。ふたたび現れた店員さんは、うやうやしい手つきで一本のボトルをそっと差し出してくれた。

Jean Montrachet Premier Cru Rouge 2002

「こちら、プロヴァンスの伝説の作り手による一本です。稀少なオーク樽でマセラシオンが行われ、醸造に用いるぶどうは一本の木からわずか3粒しか取れません。パリの星付きレストランでもまず飲めませんよ。特に2002は全てが調和した奇跡のヴィンテージと言われています」

おれには何も分からない。しかし手に取ったとき、ずっしりとした重みがとても心地よかった。少し予算オーバーだったが、ラベルの謎めいた記号の羅列がひどく目にしみて、ハッと胸をうつものがあった。

「これをいただきます」

その日の夜。おれはダイソーで買ったグラスにJean Montrachetをなみなみと注ぎ入れていく。うす暗い蛍光灯のもとでワインはおぼろに輝いて、まるでルビーや白や橙色に発光する点が集まっているようだった。

ひとつ大きく深呼吸。それからかるく震える手でグラスを一気に傾けた。

ワインが舌に触れた瞬間、コクとも甘みともつかない何かがサーッと身体中を吹き抜けていった。どこまでも素朴で、みずみずしい、純粋なぶどうの味。繊細かつワイルドな、まぶしく冴えわたる圧倒的な味わいが押し寄せる。アアア!ひと口、またひと口と飲むたびに身体が熱くなり、言葉が追いつかないスピードが駆けめぐる。おれはいつかプロヴァンスの美しいぶどう畑を駆け回っていたーーー

光の匂い。

それはまさに陰惨な毎日に降りそそいだメテオだった。最下級の焼酎をエナジードリンクで割るばかりの毎日から、とつぜん山頂の景色に接続されたような痛快さ。おれは「うめえ」とつぶやき、あまりに鮮やかなワインの衝撃に打ち震えたのだった。

メテオ最高。こういうのを探していたのだ。さて、来月はどうしよう?次は赤か白か、トスカーナかナパヴァレーか、知らないが、とにかく圧倒的な一本を。マジで吹き荒れてくれ。あらゆる冬や夏をこえて、次々と降り注いでくるぶどう畑の夢。せっかくだから高貴なグラスを買おうかな?17世紀あたりのヴィンテージがいいだろう。透きとおるような水色のグラスとか、王冠のグラスとか良いなふふ。高貴な?高貴な?

メテオルーティン。おれの生活に新しい結晶が加わった。これからもぜひ続けていこうと思う。

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