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放浪の旅、最大のメリットは


閑話休題。
ここで放浪の旅のいい話をして、ちょっとひるんだココロを元気に盛り上げようと思う。

何にひるんだか。前回までの「旅の適性チェック」をして、みなさん「わぁ、旅をするってなんだか大変だな」と思ったのではないかと心配しているのであった。
確かにそうかもしれない。ツアーならこんな面倒くさい思いをせず、こんな緊張感を持つこともない。もちろん自由への魅力は大きい。だが、その気楽さのためだけに命を張る必要はあるのだろうか。

いや、そうじゃないんだ。それだけではない。 
私は思い返す。初めての一人旅を終えて、明日はローマから日本に帰るという夜。「私、一人でできちゃったよ!」という、あの溢れる喜び。
何ヶ月もかけてギリシャ、トルコ、イスラエル、スイス、イタリアと一人で好き勝手に廻って、旅を終えたときの嬉しさは、何ものにも代え難いものだったではないか。
どのへんが好き勝手に廻ったかといえば、ヨーロッパだったり中東だったり、氷河があったり砂漠があったりというわけのわからないコースが物語っているであろう。手当たり次第、行きたい国を廻ったのだ。

碧いエーゲ海と白い島々、乾いた大神殿、赤いゲネヴ砂漠、ラクダのターリィ、ゴルゴダの丘、イエスの墓、女性軍人と銃、ベドウィンと羊、ベングリオン空港の厳しい検問、蒼く透き通る氷河、一緒に船旅をしたおじいさん、ゴツゴツの石畳の街、怒鳴り合ったジプシーの男、一緒に飲んだ人々、花市場の朝、おもちゃのように素敵な街たち……そんな記憶の何もかもが蜜のように溶け混んだ、特別な夜。

ふと我に返ると、電気を消した宿の窓からローマの夜空が見える。日本とは明らかに違う、透き通った鮮やかな濃紺。ふくらはぎに照り返す、街灯のオレンジ色。暗いベッドで仰向けになって眺めた、歩き廻ってパンパンの両足。こみあげる笑い。そのかたわらにある味の出てきたバックパック、履き込んだ靴、サイドテーブルのワイン、明日の朝のフライト時間に合わせてセットした目覚まし時計。
あれは、まさしく "Well done! (よくやった!)" だった。

自分の足で世界に立ったという実感。
あのとき得られた自信というのは、一生ものの宝だ。危険を回避し、多くの人の助けを借りつつ、なんでも自分で決めてきた。「自由」を勝ち取った気がした。
その後の楽しい私の人生は、その自信と経験によって支えられ、打開したところが大きいではないか。あのとき培った勘どころは今も健在ではないか。


人生は一瞬一瞬が選択だ。私の祖父が言っていたが、「ドアノブを開ける手を、右か左かにするだけでタイミングがずれ、人生が変わる」。
そうなのだ。人生はかように繊細なものだ。しかしどちらかを選ぶのがよいか、その感覚を磨いているか否かで人生の深みはだいぶ違ってきてしまう。

しかしである。その選択を他人に、ガイドさんに任せてしまってはどうだろうか。勘の磨きようがない。
あそこに行きましょう、ここはやめましょう、こうしましょうと、危機管理をツアー会社に丸投げしてしまうと、自分の力でやっていけたという実感は得難い。

安全な旅。安定した仕事。安泰な生活。
旅にしても就職にしても、生活や結婚にしても、危険や不安定をあえて望む人などほぼいない。
しかし「安全」を求めてツアーを選択したにせよ、大企業に就職したにせよ、玉の輿に乗ったにせよ、事故が起きることはある。まさか、が起きるのが人生だ。会社が倒産したり、連れあいが先立ったり、天災に遭ったり、ということは人生において大いにありうる。とばっちりだってある。

安全を求めて、より災難が起きる確率が低いところに行くというのは、人間の本能的な行動としてもっともな理由だ。しかし、それはただ確率が低いだけれで、不安の解消ではない。本当の意味での「安全」や「安定」なんて、古今東西この世のどこにもないということだ。

特に、安全神話がとうに崩壊した現代。気候も経済も社会情勢も乱高下して、AIだってやってくる。我々は、なんて時代に産み落とされたのだろうか。今生はサバイバルだ。
ヤバい場所から逃れるのも、厄介なトラブルから逃れるのも、自分の判断次第。ここはダメな現場だとか、この人は信用していいだとか、すべて経験の蓄積からくる「勘」と、動物的な本能からくる「感覚」でさばいていくしかない。

本当の意味でより「人生の安心」に近づきたいならば、何か大きな安全と言われるものに頼ってしがみつくのではなく、「自分はどこでもやっていける自信」というものを身につけるのが一番だと思うのだ。

さらにサバイバル能力とは「危険察知能力」だけではない。「行動力」、さらには「適応力」のことを指す。ジャングルであればジャングルに適応する。街中であれば街中で適応することだ。
嗅覚でもって危険を回避するのはもちろんのこと、その場のその場のマナーやルールに従い、柔軟に、コミュニケーションを図りながら馴染んでいく。海外の街で異質な存在である君は、どんどんと環境に適応していかなくてはならない。孤立していては命取りなのだ。

海外でも日本でも、学校でも職場でも、どこでもやっていける。そんな能力を育てるのに、放浪の旅は打ってつけではないだろうかと思うのだ。


ここまで読んでくれただけで、うれしいです! ありがとうございました❤️