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科学と物語の役割。
新年は、山登り。 #ゆるゆる登山 。 **************************************************** 科学と物語、それぞれの役割について考える。 科学は、自然と自分とを切り…
「ありがとう」「また会おうね」
終わらせなくていーよ。
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私は、「卒業式」が苦手なのだ。
「苦手」である、と明確に気が付いたのは、教員になってからだけれど。
小学生のときからずっと「式典」では、いつもどこか上の空だった。
粛々と進む儀式が何だか不思議で、自分とまわりとが切り離されていて、いつもより着飾った先生方や友人たち、そしてそこにいる自分自身の存在さえも何だか「信じられない」ような
科学と物語がある場所
山登りが好きだ。ちょっと、言いようのないくらい、好きなのである。
(同じように、パン作りも好きだ。)
仕事上か、何かしら目的的にやりがち、考えがちな私が、全く目的を考えず、「ただやること」に没頭できるからなのかもしれない。
そして、もう一つ。山登りは、科学と物語とのその両方に出会える場所だと思う。いつも科学的好奇心と、内的想像力とが犇いている。
「海眺台場」なんて、少し洒落もきいて、いいネ
科学と物語とをつなぐ言葉 2
科学と物語とをつなぐ言葉をずっと探してる。
それらは「理性」と「感性」と言っても良いかもしれない。私はその両方に助けられて生きてきたけれど、バランスがわるいときは、その両者の極端な力に引き裂かれそうになる。所謂「文系」の人は、科学が苦手または嫌いなのだろうか?「理系」の人は、国語が苦手または嫌いなのだろうか?両者の役割は別物、だろうか。両者をつなぐ言葉を、探したい。まずは、自分の小さい頃を振り返
科学と物語とをつなぐ言葉
科学と物語とをつなぐ言葉をずっと探してる。
それらは「理性」と「感性」と言っても良いかもしれない。私はその両方に助けられて生きてきたけれど、バランスがわるいときは、その両者の極端な力に引き裂かれそうになる。所謂「文系」の人は、科学が苦手または嫌いなのだろうか?「理系」の人は、国語が苦手または嫌いなのだろうか?両者の役割は別物、だろうか。両者をつなぐ言葉を、探したい。まずは、自分の小さい頃を振り返
コロナウィルス:「理科教育」にできることの模索
主要メッセージ: 家にいよう!家にいることで感染拡大を防ぎ、みんなの命を守ろう。
現状:
・感染者が増えていて、どこで感染をしたのかわからない人たちが増えている。
・患者数が急激に増えると、病院現場が対応できず、助けられる人も助けられなくなってしまう。
・人工呼吸器や人工肺といった呼吸を助ける装置も数に限りがある。
・イタリア、フランス、スペイン、イギリスなど多くの国で外出制限がか
この位の「たくましさ」を持ちたいものだ
イオンすごい〜と話題になっていたので。
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何だか世の中が騒がしくて。批判や共感、強い支持や拒否。
大きな声はもちろん、小さな声にも耳をすませばすますほど、身動きは取れなくなってしまう…。私の周りには、「小さな声」に耳をすます人たちが多いので、私も言わず繊細になりがちだ。
人は、たくましい。これだけが「正解」だとは思わないけれど、でもこのくらいの前向
Encountering the World
「世界に出会う」ということ。
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知覚心理学者ギブソンが提唱したアフォーダンス理論をダーウィンの進化論と組み合わせて、分かり易く解説したエドワード・リードの書籍。
対象との出会いの中で知覚されるアフォーダンス理論は、博物館教育、理科教育とも非常に相性が良いと思う。
それが所謂「見方」なのか、「真実」なのか、は私にはわからないけれど。
まずはモノと出会う博物館
「どうして?」は、常には分からない。
ふとした時に思い出すのは、自分が病気になったときのこと。私は今でも、「どうして」私が病気になったのか、分からないでいる。
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以前、noteにも書いたよう、私は24歳のときに大きな病気をした。
結果的にそれは「良性腫瘍」で、予後は良かったのだが、お腹を切る手術が必要な程。手術前は悪性腫瘍(つま
人がものを買う瞬間(とき)。
今日私が「くじらの箸置き」を買ったのはどうしてだろう…?
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大学院時代、「ユーザー感性学」という専攻というところにいたこともあり、人の心(感性)が動く瞬間に関心がある。
「ユーザー感性学」とは、医療、教育、経済、工学等々の様々な学問をユーザー(受け手:特に受け手の「感性」)の立場から捉え直して考える場所だった。私
なおちゃんと遊んだ日。
小学校2年生の時に同じクラスだったなおちゃんとは特別仲が良い訳ではなかった。お互いクラスに他に仲の良い友達がいたし、下駄箱ですれ違えば挨拶くらいはするが、話し込むようなこともなかったように思う。
でも、ある日なおちゃんと2人で一緒に遊ぶことなった。どうして2人で遊ぶことになったのかは覚えていない。なおちゃんとは帰る方向が同じで、「いつか一緒に遊ぼうね」となおちゃんが時々私に言ってくれていた。
今年は、秋のにおいがしなかった。
朝、ドアを開けて外に出るとき。鼻からスッと抜ける風が冷たくて、背筋がシャンと伸びる。鼻の奥まで冷たくなる風のにおい。まさしく「秋になった」と感じられる日。小さい頃から、1年の中に必ずその日があった。
私は、そのにおいを感じるたび、今日から秋なのだ、と思った。
久しぶりに着る秋服の長袖がふかふかとして気持ちが良くて。
1年ぶりに着る秋服は、「あ!こんな服持ってた!久しぶり!」ってとても嬉しくて。