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人がものを買う瞬間(とき)。

今日私が「くじらの箸置き」を買ったのはどうしてだろう…?

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大学院時代、「ユーザー感性学」という専攻というところにいたこともあり、人の心(感性)が動く瞬間に関心がある。

「ユーザー感性学」とは、医療、教育、経済、工学等々の様々な学問をユーザー(受け手:特に受け手の「感性」)の立場から捉え直して考える場所だった。私はここの一期生として学んだ。

「人の心が動く」瞬間とは不思議なものだ。日頃、私たちは頭で考え、行動しているように思えるけれど、自分がどうしてそうしたのかを問われるとうまく答えられないことがある。無意識に「そうさせられている」と言わざるを得ない瞬間がある。

「ものを買う」という行為ではそれが特に顕著だ。

食品や化粧品、日用品などは基本的には「必要だから」買っている。カレーを作るから、じゃがいも、にんじん、ルウなどを買うし、トイレットペーパーがなくなればそれを買う。

ただ「必要だから」では説明ができない、文字通り瞬時に「心を動かされて」買ってしまう瞬間がある。

今日、私は「くじらの箸置き」を買ってしまった。(それに引きずられるように「魚の箸置き」も買ってしまった…。)

食器が好きな私の家には、箸置きはすでにたくさんある。「必要」では決してない。(十何人と来客があっても、足るくらいある箸置きは、むしろ私には必要ない。)

仕事帰り、何となく雑貨屋さんを歩いていて、ふと見かけて、文字通り「心が動いて」しまった。こうなると「必要なもの」を頭で考えて買うのとは逆のプロセスが働く。「箸置き」は私には「必要ない」。だから、買う必要ないよ、と理性的に、「頭」で「心」に説得をする。

その説得が勝てば、心が動いても買うことをやめるのだけれど。今日は理性的な説得に「心」が納得をせず、購入するに至った。この説得の際に、あまりに高額で買うことのできない値段であれば、いくら瞬間的に「心が動いて」も、買うには至らない。心が動いた後の買う、買わないは、私の場合は多くは「値段」が決めている。

では、「心が動く」というのは何が決めるのだろうか…?「心が動く」とは何か…?

「好き」だから? 単純に考えれば、それが理由だろう。

でも、くじらが好きか?と聞かれれば、嫌いだと思ったこともないが、「くじらグッズ」を集めている訳でもないし、決して「好きだから」と判断して、買った訳ではない。でも、これが「イルカの箸置き」であれば買っていない。(やっぱり「くじら」が効いている。)

私はくじらが好きなのか?確かに、小学校1年生の時に国語の教科書で読んだ「くじらぐも」のお話には相当憧れた。大きなくじらに乗ってみたかった。確かに、そう言わてみれば、私はくじらが好きだ。むしろ心動かされ、買ったことで気がつく。

では、これが「くじらの箸置き」ではなく、「くじらのお皿」や、「くじらのマグカップ」だったら…。それも買っていない。お皿は事足りているし、マグカップもたくさんある。箸置きもたくさんあるが、箸置きなら手頃で置く場所もそんなにとらないし、いくつあっても良いだろう。

そう考えると、やっぱり、

くじら(そう言われれば好きなもの)× 箸置き(手頃なもの)というのがポイントらしい。

「くじらの」箸置きという、中々見かけない組み合わせなのも、ポイントかもしれない。(そうなると、買った理由には、「もの珍しさ」も入る。)

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まぁ…色々と考えてみるが、分からない。でも、心が動くということは、「好きだから買った」とか単純な因果関係で説明できそうにないことは分かる。

私の仕事である、教育に置き換えてみても興味深い。

思わず「面白い!」「なるほど!」と心動かされる瞬間はどうしてだろう…?

理性的に納得をしてそう思う瞬間もあるが、理科という基本的には客観的な事象を扱う教科においても、往々にしてなぜそう感じたのか頭では説明しにくい、感性的、感覚的にそう思わされる瞬間があるように思う。

#私の仕事 #エッセイ #日々のこと   #ユーザー感性学  #科学と物語とをつなぐ言葉







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