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科学と物語とをつなぐ言葉 2

科学と物語とをつなぐ言葉をずっと探してる。

それらは「理性」と「感性」と言っても良いかもしれない。私はその両方に助けられて生きてきたけれど、バランスがわるいときは、その両者の極端な力に引き裂かれそうになる。所謂「文系」の人は、科学が苦手または嫌いなのだろうか?「理系」の人は、国語が苦手または嫌いなのだろうか?両者の役割は別物、だろうか。両者をつなぐ言葉を、探したい。まずは、自分の小さい頃を振り返ることから。

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次も、物語の記憶。

(思い出したまま、思いつくままに書こうと思っているので、時系列はバラバラです。物語の記憶、がもしかしたら続くかも。)

私は、物心ついた頃から、どちらかというと「空想家」でお話を考えることが好きな子供だったと思う。頭の中はいつも「言葉」で溢れていたし、特に幼稚園では大人しかったけれど、いつも頭の中は、たくさんの「言葉」や考えで溢れていた。(これは、今も変わらない。頭の中にはごちゃごちゃと色んなものが入っている。)

子供の頃に、作った「物語」。覚えているお話がいくつかある。今日はその一つを思い出しながら、書いてみたい。

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その「物語」は、たぶん私が幼稚園の年中組か年長組さんのときに作ったもの。

「うさぎ」が出てくる絵本だった。

子うさぎは、お母さんうさぎ、お父さんうさぎ、家族たちと一緒に暮らしていて、近くにくまさん一家も住んでいた。空にはいつもお日さまが輝き、赤色と黄色のチューリップも咲いている。子うさぎは、そこで草を食べたり、くまさんの家に遊びに行ったりして過ごしていた。

でも、あるとき目が覚めると…

空に輝くお日さまや、チューリップ、そして空にまで、「顔」が付いている。しかも、ニコニコと笑っているのだ。

お日さまやチューリップ、空には「顔」はないはず。子うさぎは、びっくりし、怖くなって、泣き出す。そして、元に戻りますように、とお願いをする。

そうしたら次の日「戻りました。」と、顔がなくなったお日さまが輝いている下、草を食べる子うさぎ。子うさぎは、安心して、美味しくむしゃむしゃと食べている。

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そんなお話だったと思う。この絵本を、父親に見せると、「どうして急に元に戻ったの?」「それも書かないと」と言われたのを覚えている。

父親のその言葉を聴いて、私も「顔が付いてニコニコ笑っていた太陽やお空が、どうして元に戻ったのだろう」と考えたけれど、なぜかはどうしても分からなくて、お話はそのままになった。

何だか、不思議なお話だなぁと我ながら思う。

子供の頃なら、当たり前に、太陽やお空、お花にも顔を描いたり、擬人化をすることに抵抗はなさそうなのに。

太陽や空、花に、顔は付いていない、ニコニコ笑ったりするように見えるだけで、実際にニコニコ笑っている訳ではない、ということを、当時に私はすでに考えていたのだろうか。

お日さまや空、チューリップに「顔」が付いていることを子うさぎがすごく怖がって、「元に戻りますように」とお願いをしたように。その絵本を作った私も、そのことがものすごく怖かったのを覚えている。

物語の記憶、のつもりだったけれど、私が幼児期に作った物語には、すでに自分の想い(太陽や空が、花がニコニコ笑っている)と、客観的に事実を捉えようとする視点(実際には、太陽や空や花に顔は付いていない)の両者が行ったり来たりしているのが現れているようだった。

それにしても、不思議な話だ。

(どうしてこんな物語を作ったのかについて、思い出したこともあるので、これは機会があれば、また後日に。)


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