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『カルマ』の定義

カルマはスピリチュアル界隈でよく聞く言葉。
大きな誤解は『カルマ=罪と罰』という認識。

— 因果関係・因果応報・業(ごう)
どれも『悪いことしたら酷い目に合うよ!』という脅迫に使われがち。

しかし、もともと因果には善悪も優劣もありません。
《誰にとって・何が・いつ・どう》《良いモノ・悪いモノ》になるか?
それは人の数だけ、状況の数だけ、無限に存在するからです。

因果は単なる物事(エネルギー)の連鎖反応

— 自己愛(本心本音)に紐づく想い・言動・行為
それは愛同士の共鳴を起こします。
お互いにとって楽しい・嬉しい・気持ちいい結果を生みます。
— 自己愛(本心本音)に背いた想い・言動・行為
それは愛同士の共鳴を阻害して拒絶します。
お互いにとって辛い・退屈・しんどい結果を生みます。

カルマは単純に『自分の在り様』が外側に反映された結果です。
それが罰や不幸に感じる時、どうすればよいのでしょうか?

不満足・不幸はメンテナンスサイン

・どうも最近ツイてない、ヤル気が出ない
・なにをやっても上手くいかない、しんどい
・病気やトラブルに多く見舞われる

心が満たされない、状況が良くならないと感じる時。
それは自分の中の古い思考・習慣(パターン)・マイルールを見直す時期。

何かが足りないのではなく、余計な何かが足を引っ張っている状態です。

道に迷い車がうまく走らない時、無理にアクセルを吹かしたりカンフル剤で誤魔化しても良い結果にはなりません。そんな事を続けていたら、やがて致命的な状態に陥ります。

必要なのは静かに立ち止まり、現状位置を確認して、ボンネットを開けてメンテナンスすること。

つまり、自身の内面と向き合うことです。

わたしは『何故』ここに居るのだろう?

現状に至るまでの過程を一つ一つ確認していきましょう。
大事なのは『何をしてきたか』ではなく『何故それを選んだか』という動機。

必ず『本音に背いた動機』に思い当たるはずです。

— 仕方ない、みんな同じ、そういうもの、無難だから
— 親に怒られる、嫌われそう、バカにされそう、失敗しそう

・満足しないと解っている選択
・選びたいけど不安で選べない選択肢
・不満(感情)を納得(理屈)で誤魔化している

『でも・けど・だって』の言い訳、抑圧と葛藤の積み重ね。

心の奥底のあなたは『思い出して!』とメンテナンスサインを出しています。
軌道修正の為にわざと不幸な出来事を起こして、立ち止まるよう促します。

サインを無視して足掻くほどサインは大きくなり、
より大きな不幸』へと変化していきます。
最終的には大病・取り返しのつかない失敗など『強制ストップ』となります。

そうなる前に、足枷となっている自己欺瞞を一つずつ手放しましょう。

不幸は罰ではありません

カルマは単なる物事の連鎖反応。
連鎖の結果が不満や不幸となるのは、自分が真に幸せになる為の采配です。

本心本音に紐づいていない現状を『苦痛』という形で教えてくれている。
カルマも不幸も、本来とても親切で便利なシステムなのです。

終わりに

人は簡単に不幸を呼ぶ因果(不幸カルマ)に絡め取られます。
しかし、メンテナンスサインが小さな内に早めに気づくことが出来れば大難は小難で収まり、幸せを呼ぶ因果(幸せのカルマ)へと軌道修正できます。

すべてはメッセージ、必然です。

自然栽培・オーガニック食品の生産者に還元します