K君との日記 #5−2
エゴとの遭遇
エゴとの遭遇
「まっこちゃん、それがエゴだよ」
魔法使いの先生が、ふと言った。
「えッ?ーーーーーー」
その日は魔法使いの講座があって、他の生徒さんとみんなで集まって
最近の出来事なんかをシェアしていた。
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魔法使いの講座では、ちゃんと三角のトンガリコーンのような帽子をかぶっていたんだぞ。前回、#5−1では暗いテーマだったので、読者の皆様をそのまま放っておくようなまっこちゃんではないのである。
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私は音楽が好きなので、少し前に参加した音楽イベントのことを話していた。
私は会社員の仕事の片手間に、ヒーヒー言いながら、
必死で集客などのノルマをこなしていた。
人間関係も、音楽のテクニックも練習もコミュニケーション能力も、
何もかもダメな自分、身の置き所がない自分にがっかりして落ち込む、
どうせそんないつものパターン。
そんな気分になったことを話していたんだと思う。
どこに行ってもフィットしない、疎外感にさいなまれる私。
若いと、ナメられて軽んじられる。
年をとったらとったで、年寄りという自己認識に苦しむ。
なんじゃこりゃ。
ええとこないのう。
行くも地獄、戻るも地獄やのう。
どこにもいたくなくて、消えたかった。
できることと言えば、家に帰って音楽を聴いて泣くだけ。
それが私の唯一の自分救済措置。
私が私じゃなかったら、私がこんな人間じゃなかったら
もっと幸せなのに…
私が不幸なのは自分のせい、自分が憎くて憎くて仕方ない。
見ないようにして、いつも心の中で、言葉にならないくらい当たり前に
私は私を責めていた。
そんなことは私にとっての当たり前だった。
大前提だった。
「ーーーそれがエゴだよーーーーー」
えッ?
これがエゴなの?
エゴって、正直なんなのかわからなかった。
なんか「エゴイスト」って英語で言うと、
わがままだけど自分を持っていてカッコイイ人、
てゆう比喩表現とかじゃなくて?
私はそれを直視することを避けていた。
知ることをあきらめてもいた。
ーーへええーー、これがエゴなんだああああーーーーー?
この当たり前に、出来損ないの自分にがっかりすることが?
まるで自分の一部のようなものが?
それが、人生で初めて、
わたしがはっきりとエゴをとらまえて、
認識できた瞬間だったと思う。
なんだか、生け簀で川魚を手で捕まえたみたいで、
お家までの帰り道、すこしうれしかったことを覚えている。
私は無宗教な人。
言うなれば、私は無宗教な人。
そして、お釈迦様もイエス様も偉人伝で読んだみたいに、
実在の人物で、彼らの人生を「本当にお疲れ様でした」
と思っている。
10歳の時、私は人生に疲れて、疲れ切って、
「もう悟りを開くしかない」と学校の校庭で遊んでいる時に思った。
私のおばあちゃんは熱心な仏教徒で、お釈迦様のお誕生日の花祭りには
「アマチャヅル茶」を得体が知れないまま飲んでいた。
(でも、都内にあるご先祖様のお墓の宗派は知らない)
カラー漫画や手塚作品でお釈迦様の生涯を読んだ。
イエス様の生涯は、アニメで見た。
(とんだ聖☆おにいさんである)
小学生のころのピアノの先生と、帰国子女のお友達はクリスチャンだ。
キリスト教系の学校に行っていた職場の上司は、クリスチャンじゃないけれど、学校の繋がりで聖書研究の生涯学習講座を受けると言っていた。
日本書紀や古事記のように、聖書は歴史書なんだって。
(そうなのかなー、ほんとかなーーー?)
国際社会だと、無宗教の日本人は
「信仰を失った可哀想な人」って思われることもあるらしいよ、だって。
(そうなのかなー、ほんとかなーーー?)
そう言えば、人間の肉体に生まれてから悟りを開いた人、
アセンションした人は、アセンデッドマスターって呼ばれるんだっけ?
たくさんの、たくさんの、彼らが悟ることで、
人類により多く光がもたらされて、後の人が楽になるんだって。
(そうなのかなー、ほんとかなーーー?)
私もそれになりたいと思った。
自分が苦しみのただ中にいて、そんなことはどうでもいいと思っていても、
私の魂は覚えていた。
名前も知らない、どこかの誰かが、
ずっと君を覚えていて、祈っていること、
気にかけていることを知っていてほしいと、
なぜだかとてもそう思う。
いつでも「自殺的」な「思考」
結果から言えば、「自殺的思考」というのは、
つまり、「自殺的」なのは「思考」なんである。
私の場合には。
それは塩の柱ともいう
小さい頃にね、TVで古い映画を見たの。
崩壊する街から逃げ出す途中、
「振り返ってはいけない」と言われたのに振り向いたがために
塩の柱になってしまった女の人。
逃げる時、あちこちから脅すような声が、不安を煽るような
振り向いてみろという誘惑の声が聞こえて、
不安になってしまって、その女の人は後ろを振り向いたの。
映画の中では火の粉が飛んで、真っ赤に街が燃えていて、
地震もあって、とてもとても怖かった。
焦って逃げ出す時、家族が心配な時、
果たして冷静でいられるかしら。
その人悪くないよ?
可哀想だよ?
なのになんで塩の柱になっちゃうの?
なんで愚か者なの?
イエス様も、お釈迦様も、悪魔と戦う時って、
こんな感じだったのかしら?
怖いわねー、大変だったわねー。
アダムとイブの蛇って、こんな感じに囁いたのかしら?
私だったら?
私だったら、誘惑に打ち勝てるかしら…?
楽園追放で 「ウンガー、ン”ッン”ッ!!」
私が小学校に上がるまえ、古い家の土間で、
お父さんがアダムとイブの話を何度も何度もしてくれた。
「アダムとイブがいて、蛇にそそのかされてリンゴを食べて、
アダムはリンゴのかけらを喉に詰まらせたんだよ。
だから、喉仏があるんだよ」
私の指をお父さんの喉にすべらせて、その話をよくしてくれた。
ほんとだー、お母さんにはないけど、お父さんの喉は、
「ボッコン」ってなってるねー、なんで?
ああ、だからかあ。
今思えば、英語で喉仏を「Adam’s Apple」ということについて、
教えてくれた、教育熱心なお父さんなんだと思う。
神様、仏様、バチをアテナイでください
おばあちゃんは、お膳(ご飯を食べる台)には乗っちゃいけません、
バチが当たるよ!って言います。
お仏壇から、仏様が見てるから、って。
仏様って、ご先祖さまのこと?
人間って死ぬと仏様になるの?
あとおばあちゃんは「一人一人の中に仏様がいるのよ」
ってゆうのよ。
保育園の先生にそれを言ったらね
「そうよね、よく知ってるね、えらいねー」って言われたよ。
「じゃあ、仏様ってどこにいるの?」
って先生が言うから…
喉仏って、仏様なの?
あれれ?
アダムとイブのお話につながっちゃったー?
ねえねえ、仏様と神様ってどう違うの?
私は悪趣味を卒業しました
私、塩の柱にならないで、打ち勝てるかしら?
後ろを振り返らないでいられるのかしら…?
怖い、怖い。怖いよーーー。
イエス様も、お釈迦様も、悪魔を見破る時って、
こんな感じだったのかしら?
怖いわねー、大変だったわねー。
何度も何度も、心の中で試してみるの。
いざ、という時、その時がきてもいいように。
私はとっても怖がりで心配性だから、予行演習に余念がないのよ。
でも、やってみないとワカンナイナー。
ピアノの先生は、練習で120%できないと、
本番では100%が出せませんよ!てゆうのよ。
こわいよー、こわいよーーー。
「それがエゴだよ」
ううん、まっこちゃん、いつもその時なのよ。
いつもいつも、私たち、嘘の声を聞かされているのよ。
「それがエゴだよ」
「えッ?」
これがエゴなの?
この、いつもいつも、どうしようもない自分としか思えない、
あって当然の、言葉にすらならない、当たり前のことが?
自分がダメなやつってことが?
できそこないのこの私が?
よくわからないなーーー?
人間は、1日に6−7万回も思考していると言われている
そしてその思考は、速度にしたら、7倍速くらいなんだって。
(再生アプリだって、ICレコーダーだって、せめて2倍速だよ)
それを7倍速で、毎日、毎瞬、聞かされているのよ、
意識しないうちに。
「そうとしか思えないのがエゴだよ、思考だよ」
そんな、先生、私がダメで出来損ないなのは
当たり前のデフォなんですよ?
だから、私は、日々、こんな自分を変えたくて、
もっといい人間になりたくて、努力しているんです。
醜形恐怖症状、摂食障害、対人恐怖に、男性恐怖症で、
毎日ほんとはガタガタ震えながら、生きているんです。
それがバレないように、普通の人のふりをして生きているんです。
それから、それから…
自分のことが、自分の体が大嫌いで、
肉体を持って生きることこそが地獄で、
私は小学生の頃から、自殺の真似事をしていました。
(お父さんの3枚歯カミソリで切ろうとしたけど、3本のスジしかつかなくて、外そうとしたら、指が深く切れて、けっこう血が出た)
お母さんに見せたら
「そんなことしてどうするの!」って怒られた
ほんとは優しくして欲しかったけど、
お母さんには何を言ってもダメなんだと諦めて、
私は、もう自分の体の細胞だけが私の家族なんだと思うようにして、
もう傷つけるのはやめようと思って、
自分の背中を抱きしめて眠りにつくようになった。
悪趣味なお話しは終わったのよ
それは宇宙空間に浮かぶ
大きな大きな本棚
悲しい話ならいくらでも書ける。
人の心を惹きつける。
なんでか知らないけど、それに慣れているから...?
私はいくらでも泣いていられる。
それが、自己憐憫が好きなのかも知れない。
そうしないと、夜眠れなくて、立ち直れないのかも知れない。
(今まではそれしか知らなかったんだもん、仕方ないよね…)
「私にはストーリーテラーの才能があるのよ」
魔法使いの師匠に、私は得意げにいった。
お友達が少ない私には、そっぽ向いてる家族と、先生(師匠)だけ。
それもこれも嫌な時には、一人音楽を聴いて、
唯一存在を許せる、エルモの赤いお人形を抱きしめる。
お人形なんて、小さい頃には持っていなかったから、
お人形との関係性構築とか距離感にも気まずくて悩む、
どこかよそよそしい、対人恐怖で人間不信の私。
「お話を面白くしようとしているだけよ」
私の存在に価値がないのなら、せめて誰かに笑ってほしい。
でも、もう、たくさんの悲しいお話を書きすぎたね。
だから、私はその本の背表紙に
『悪趣味』と書いて、そっと、
自分の手でその大きな大きな宇宙の本棚にしまった。
私は、みんな、みんな見てきた。
かわいそうな、かわいそうな男の人と女の人のお話。
たくさん。たくさん。
本当はもう、読みたくないの。
たくさん、たくさん、目が溶けるほど泣いたから。
でも、まだ涙が出るの。(目は溶けないみたい)
私、みんなが幸せになるところが見たいのよ、本当は。
本当に、ほんとうよ。
意地悪な神様なんて嫌いだけど、彼らのためになら祈ってもいい。
そして、ほんとうは、私も、幸せになりたいなーーー…
自分で書いたお話なら、自分で書き換えられる。
「私にはストーリーテラーの才能があるのよ、ほんとうよ…?」
私には…
ーつづくー