まりんの経歴|就職が決まるまでに取り組んだこと
略歴
noteを始めたばかりで、なかなか私がどんな人なのか伝わらないと思うのでまずは私の略歴を書いてみる。
幼少期
とても繊細で内気なthe 女の子だった。とても泣き虫で母から離れない子どもだったらしい。医者の顔を見るだけで泣いたりするくせに、家ではお転婆でイタズラ好きだった。弟に嫉妬したのか赤ちゃん返りが酷かったようだ。
小学生時代
まだまだ内気で繊細な部分もあったが友達もたくさんできた。ベネッセのこどもチャレンジをやったり、塾へ通ったり、そろばん、合気道、水泳など色々な習い事をさせてもらった。今では感謝でしかない。この頃から図画工作や体育など、勉強以外の科目が大好きだった。
愛犬(ビーグル)が亡くなってから気持ちもダウンしていた。
中学生時代
将来やりたいこともなく、高校受験は迷いに迷った。小学生〜中学生時代は自分的に魔の時代。なんかずっとネガティブで自暴自棄になることが多かった。泣いてばかりで学校も休んだりしていた。ただ、家庭科や技術、美術、体育、音楽は大好きだった。自分は弱い人間で、何も得意なことがなくて、小学・中学生ながら存在意義について考えて夜な夜な泣いたりしていた。
高校生時代
高校生になると一気に魔の時代が消え去り、私の青春の時代が始まった。時々あの魔の時代の自分がチラついていたが、だんだんポジティブで明るい昔のようなお転婆な自分が顔を見せ始めた。生きやすくなっていった。
部活も受験を言い訳にバトミントン部を辞め、学校で合宿できる文化部に友達と入部した。体育祭、文化祭、修学旅行、スキー教室、イベント、放課後22時近くまで塾なしで先生と勉強したこと、恋愛、思い切り楽しんだ。
大学生時代
第一志望の大学に入学できて、さあこれから!という時に始まったコロナ禍。悔しかったし夢だった留学など色々諦めかけてた。丸々3年間通常通りには大学に通うことができず、それなのにとてつもなく高い学費だけが引かれていく。悔しかった、とにかく。みんな泣く泣く活動を諦めて就活して就職を決めていた。私は諦めきれなかった。「私だけはなんとか大学生させてよ!」と思ってアルバイトを3つ掛け持ちして動き出した。
まずハンドメイドアクセサリーのオンラインショップを開設し、上五島で1ヶ月間住み、1年間フィリピンの無給インターンに飛び込んだ。この流れ、一応全て繋がりがあってちゃんとバックストーリーがあるんです。(他の記事でまとめようと思ってます)
それからタイ1人旅したり、韓国行ったり、またタイへ行ったり…。
絶対、就活したくないと思ってたけど色々経験して就活したくなり、海外からオンライン面接を受けながら人材企業のUXUIデザイナーに就職が決まった。
現在とこれから
私は今入社に向けて熱量がすごい。それと、今しかできないことをやりまくりたい気持ちでいっぱいだ。小学生〜中学生時代の魔の時代が嘘みたいだ。人格が変わったようだ。今は前向きで明るくなれたと思う。
今しかできないこと、これについても他の記事『大学生活も残り半年、イマ私がやりたい10のこと』でまとめているのでぜひご覧ください!⇩
https://note.com/ma__rin/n/n367c331646c4
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