【健忘録22】病棟が一丸となって

表現方法によっては、結構末期の病状の時に非常によくしていただいたお話。


もう、起き上がることも許容できない体調だった。食事の時でも、寝て食べていたが、それでも自力では食べていた。


施設によっては、「誤嚥リスクがあるので、食事を口から食べるのはやめて、マーゲン(鼻から胃までのでチューブ)を入れて、経管栄養に切り替えてください」と言われたかもしれない。


しかし、病棟看護師が食事を持って来てくれた時に、食べやすいようにフラットにしたままのベッドの上にトレイを置いてくれた。


その上、冷蔵庫内の食べ物までわざわざ出してくれたのだ。


それも、毎食毎食、病院食に加えて欲しいものがあるか聞いてくれて、わざわざそれを出して、開けて、食べやすい位置にセッティングしてくれた。


神対応。


こういう、めっちゃ優しくて手厚いことが、患者の寿命を延ばしてくれるんだよね。食べる力は生きる力。


残念ながら、さらに体調が悪化し、自力で食べることもできなくなってしまった。


最初こそ、迷ったものの、お椀に顔を突っ込んで、口と舌で食べれるものを犬のような食べ方ででも食べようとしたが、どうやらそれすら無理だった。


ということで、治療で回復してくるまでの間、看護師さんに食事を口に運んでもらう、食事介助なるものをお願いすることとなった。


それ以前も、「食べれなそうだったら、手伝いますよ」といった感じに声をかけてくれたことがあったと思う。


しかし、他のもっと医療を必要としている患者さんがいるのに、悪いと思っていた。そして、数少ない自力でできることの中で、一つでも自分のできることを減らしたくなかった。自力でできることが一つ一つ減ることは、自分の一部がむしり取られるかのように辛かったからもある。(もちろん、いつどこで違う立場でお世話になるかも分からないスタッフさんに、「あーん」と赤ちゃんやご老人のように口をポカンと開けて目の前の食事を口に入れてもらうのも、なんだかとっても恥ずかしかったし、色々と躊躇した。加えて、何だろうなぁ、男性なら分かるかもしれない。自分の弱みを見せたくないという、非論理的で非合理的な意地か…… 自分のプライドが許さないのは2割、いくら体調不良とはいえ、背中を見せられない相手がいるというのも似ているようで違うんだよなぁ…… 尊厳が保てないのは、まぁ、たしかにそういう面もあるんだけど……でも、それはただお願いしたくないと思う理由の一つであって、心境的にお願いできない理由ではないんだよなぁ…… なんなんだろう? 自分でも、背景の心情や考えが100%は分からないや…… 純粋な患者と看護師のみの関係だけの場合よりも、複雑な心境が関わっている。そうだなぁ…… 直属の上司の友人に食事介助してもらうといったような感覚もなきにしもあらずだったのかもしれない。)


まぁ、そういう意味では看護師らも色々思ったことだろう。入院直後、彼らも私のそこの病棟との今後の関係を尋ねた。まぁ、皆めっちゃ丁寧に、そして真心というか自分達の仕事への誇りというか、めちゃくちゃきちんとした凄い対応をしてくれた。この時の対応が、私の立場ではなく人柄や姿勢などが理由のことを願っている。


えーと、話を戻すと、食事介助はしてもらうことになった。


その時も、めっちゃ丁寧に……私が咀嚼も困難で、嚥下も困難で、普通の人の何倍、何十倍という超ゆっくりな食事スピードでも、毎食毎食完食させてくれた。


持ち込みの野菜や持ち込み食まで食べさせてくれた。


正直、寝たきりで免疫抑制剤投与中の患者が、ほどほど長期間入院していたにも関わらず、大した感染症に罹らず、感染しても回復できたのは、看護師一同が連携して私に食事という生きる力を恵んで与えてくれていたからだろう。(連携というのは、PHSが鳴っても、食事介助中は出ずに他のスタッフがカバーしていたっぽい。画面を見すらしなかった。また、ある時は、人工呼吸器の音がPHSから聞こえるような中、食事介助をしてくれた。PHSの消し忘れで音が聞こえる時、それが病棟の音ではなくてPHSからくるものだと分かることが多い。これはあくまで私の想像だが、どなたか目/耳を可能なかぎり離したくない重症患者の受け持ち中のモニター手段として、PHSで室音を流しておくことで、その患者の状態も監視しつつ食事介助をしてくれていたのではないだろうか? 目の前の患者も、人工呼吸器装着中の患者も安全を守る工夫とか? 考えすぎだろうか? ただ、別の誰かは申し送り?カンファレンス?に遅れてしまったこともあった。色々、随分と手厚い対応をしてくれたことに感謝が尽きない。)


そして、私自身が自覚していた以上に、私は美味しそうに食べていたようだ。これは、きっとベッドから見える山とそれを登る瞑想を日々延々と続ける以外にできることがなかった私に、生きる希望と力を与えてくれていただろう。


食事中、私が咀嚼や嚥下に時間がかかる時に、色々と話してくれた、その会話内容も、正直楽しかった。人と交わるというのは、本当に凄いエネルギーを与えてくれる。


結局、私が今生きている理由は、治療が効いてくれたおかげでもあるけれども、治療に漕ぎ着けるまでもこうやって日々病棟の皆さんが色々連携して私に真心と栄養を注いでくれたからでもある。


この献身的な看護(食事や他の様々なこと)なくしては、私はもう大分前に感染症に罹患し、それが重症化してあの世に旅立っていただろう。


生きたいと願うから食べたいと思え、それをサポートしたいとエネルギーを注いでそれを実現させてくれる人々がいるから、人は生きられる。


人は人によって支えられている。


今を大切に生きよう!


追記:これはあくまで一例で、様々な神対応に恵まれる率が私は高い方だと思う。本当にありがたい。





























追記:
これほどまでに良くしてもらっていても、どうしても私はこの病棟に患者として戻りたいとは願わなかった。その理由は、ここで書いたスタッフにあるわけではない。私自身、正直職場で入院というと緊張する。それも、まだ慣れていない職場となると、そりゃあ、ね…… 色々あるでしょう。どんなにいい人達でも、どんなに良くしてもらっていても、やっぱり自分の頭の中で自分の立ち振る舞いとキャリアへの影響は完全に切り離せる思考ではなかった。すると、若干緊張はする。習得途中でとっても苦手な敬語も使っていた。どこかで、元々は関西弁の人が標準語で生活をしている時に体調を崩した時の話を聞いたことがある。関西弁に戻したら、体調が回復したそう。まぁ、母語じゃない言語の中でも、さらに慣れない習得途中の敬語や丁寧語を喋ろうとするのだから、自分も気がつかないところで色々気を張っていたかもしれない。要するに、自爆していた可能性もある。すると、まぁ、自爆しない環境での加療ってのがいいように感じる。もう、本当にめちゃくちゃ自分のことも、病状も深く理解してくれていて、めちゃくちゃ思慮深くて細部まで行き届いたきめ細かくて真摯な対応をしてくれていたことに、感謝してもしきれない。

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