生きるチャンスと拷問を天秤にかけた時の思い(人工呼吸器装着に関する法律について思うこと色々)

私は、何回も人工呼吸器がついた状態から生還した経験があります。


しかし、過半数の人が一度人工呼吸を開始すると、亡くなるまで人工呼吸器を外せない。(手術の全身麻酔は人工呼吸器装着の意図が病状ではなく、麻酔の作用中や術中管理なので、ここでは除外してます)

いやね、回復したら取れますよ。でも、それまでが拷問のようなんです。

そして、人工呼吸器をつけなければ亡くなってしまう状態で、回復することもない人間にとっては、拷問が終わるまでの期間を引き延ばし、さらに様々な苦痛が増えるかのように感じる場合もあるかもしれない。

一方で、もしも蘇生や延命を試みられなければ別れの挨拶すらできなかった大切な人達に再び会える貴重な時間を与えてくれる魔法のような機械に感じる方もおられるでしょう。

呼吸や運動機能は損なわれてしまうけれども、知能も性格もそのままの人間にとっては、自分らしく生きる時間を沢山与えてくれる素晴らしい機械なのかもしれない。

人それぞれ、状況もそれぞれ、選択もそれぞれ。

それでいいではないかと思う人も多いのではないだろうか。

では、例えば5年間の拷問に耐え抜いたのならば、いずれ回復して人工呼吸器が外れるかもしれな状況だと仮定しよう。

ならば、耐えるのが当たり前だと考える者もいよう。

しかし、その拷問が何かによって、患者がどのような人物かによって、選択肢があっても良いのではないかと考える者もいるかもしれない。

選択肢とは、自分で一週間以上は人工呼吸器を装着しないでくれというものかもしれない。しかし、それはすなわち、回復を待たずして死を選ぶことになってしまうかもしれない。

それは、即ち生きれる人間が死を選択することになってしまうのだろうか?

それとも、一人の人間が尊厳を選び、拷問を受け続けることを拒むこととも考えられないだろうか。

例えば、手術や過酷な抗がん剤治療を行えば、命を長らえることができる末期がんの患者には、治療を受けるか否かを選択する自由が与えられている。

現代では、治療を続けることも、治療を止めて緩和に専念することも、そして、第三の選択である苦しくない治療を継続しながら延命はしつつ、拷問のような過酷な治療は行わずなるべく穏やかな日々を増やす道も肯定される。

どんな道を選ぼうとも、それは患者自身が人として尊重されている。

しかし、「延命治療」と命名されたものに関しては、開始されたら本人には一切の選択権が存在しなくなってしまうのが、今の日本の法律だ。

「延命治療」というと、いずれ亡くなる人を機械で短期間延命するためのみの治療や介入だと思われてしまう傾向がある。しかし、実はそういうわけでもない。

重篤な状態に至った場合には、救命措置として、人工呼吸器やECMO(人工心肺)の装着がなされる場合も多くある。

元々疾病を患っている者に対しては、事前に意思表示をしてもらうこともあるが、実際には、誰にでも事前に書面で意思表示ができるシステムが存在する国もある。日本でも、おそらく出来るだろう。実際には、家族と話し合って、家族に自分の意思を伝えておいて、万が一予期せぬ事故や急病の際に家族が代わりに全ての決断を代行するというのが最もメジャーなやり方であろう。

実際には、事前に本人に救命や延命をして欲しいか、あるいはして欲しくないかが聞かれ、一度「使用」の道を歩み始めたら、それは永遠に変えることのできないレールに強制されてしまう。「使用しない」と決めたならば、必要性が生まれた時に治療せずに亡くなってしまうので、これもどうように途中変更が不可能な決断になってしまう。

すると、人工呼吸のあの苦しみを一度と言わず何度も何度も味わった人間の中には、「もう、あれを長期間耐え続けるのは無理だ」と思う人もいるかもしれない。

しかし、だからと言って、「死にたい」なんてことは決してない。「生きたい」だから、そのために全力で全てのことはやりたいし、短期間であれば、人工呼吸を含む生き地獄のような苦しみのある救命措置も受けたいと思う人もいるだろう。

ただ、「拷問を受け続けるのは耐えがたい」という考えかもしれない。

その人が、岐路に立たされた時の選択肢は、以下の二つしか日本の現状では許されていない。

1)「人工呼吸器を装着せずにそのまま亡くなる」

2)「人工呼吸器を装着し、生を選ぶが、5年間拷問に耐え抜く。」

もう一度述べておくが、5年というのはあくまでここでの仮定である。実際には、数日や数週間程度になるかもしれないし、永久に人工呼吸管理下から逃れない状態もあるだろう。

しかし、実は第三の選択しが有る。

3)「短期間のみ人工呼吸器を装着し、全力で治療に励み、回復を祈る。そして、果敢に回復のための治療に挑む。もし万が一にも、それが上手く行かなければ、拷問は長期間は続けずに、人工呼吸器を外してもらう。それで仮に亡くなるであろうことが予想されたとしても、その時はそれが天命と腹をくくって、亡くなる道を歩む。しかし、出来る限り回復のために尽力してからの、最後の手段としてのみ本人の同意の元での回復不完全な状態での人工呼吸器離脱というオプションを残しておく。」

この場合、上手く行けば、短期間で拷問のような人工呼吸器装着生活から解放されるし、回復もできる。

一命はとりとめられるのである。

失敗したとしても、第一の選択を選んだ時よりは長く生きられるし、生きるために奮闘もした。

それでも上手くはいかなかったのならば、それ以上苦しみ続けない道を歩める。

これは、いわば末期がんの患者がそれ以上積極的に激しく辛い抗がん剤治療はせずに、ホスピスや在宅医療に移行して余生を苦しまない選択を選ぶのに似ているかもしれない。

実際に、欧米にはこの第3の選択肢が存在する。

この第三の選択肢が、本当に素晴らしいだけのものであるのならば、存在しないなどノンセンス。

では、この第三の選択肢の問題は何なのだろうか?

そう。患者はしゃべれない。

音が出ない以上、文字盤で意思疎通をした場合には、本当の会話の内容は直接意思疎通を図っている人間ただ一人が知り得る。

眼球運動や瞬きで意思疎通をする場合には、会話よりもミスが起きやすいのだろうか?

また、その唯一の意思疎通を図った相手が、もし自分の意図と本人の本当の言葉をすり替えようと思ったら?

…それは容易にできる。

筆談をすれば済む話だと思う人もいるかもしれない。

しかし、人工呼吸というのは、呼吸すらできない人間に行う処置だ。病気や怪我で手足を一切動かせない状態の者も多い。

さらに、生命を維持できるほどの呼吸動作は出来ずとも、呼吸しようとする状態の場合(脳や脊髄がある程度機能しており、完全に麻痺していない場合)には、全身麻酔をかける。

全身麻酔下では、基本的には動作も抑制され、病気や怪我で麻痺がなくとも、全身に力が入らない状態にする。

さらには、その状態の意識がどれくらい鮮明であるかも重要な論点であろう。それが生命予後の大切な決断をできる状態に当たるかかというは非常に難しい。

さらには、拷問のような状態に置かれたものが、「たとえ死んでもいいから、もうこんなこと止めてくれ」と思ったとして、いざ回復した後に平常心で考えたら全く別の決断に至たる可能性も十二分に考えられる。

即ち、戦場で捕虜となり拷問を受けている状態の戦士が一過性に投げやりな考えを持った状態と、闘病中に激しい苦痛を伴った処置中の患者の精神状態には類似点がないとは断言できなかろう。

人工呼吸器が装着されていても、自由に意思疎通できるのは、特に入院患者の場合はレアケースなのである。

その時同時に平常心を保ち続けられる人間はさらに珍しい。

すると、どのようなことが起きうるのだろうか?

1)一過性な感情に流されて、生死にかかわる決断を下してしまうリスク

2)もう先がないとか、スタッフの価値観で「生きる価値がない」と判断されてしまったが、生きたい人間が、本人の意思とは関係なく生命を絶たれるということに繋がる可能性もゼロではない。

ここには述べられていない状況もあるだろう。

日本の医療現場は、そんなにも倫理観に欠ける場所なのだろうか?

答えは…

これが、万に一つでも、「スタッフによって違う」ことなど許されない。

生死が一瞬にして決まってしまう決断だからこそ、法は十分に様々な状態を吟味した上で作る必要がある。もし、今後法改正をすることが議論に上った場合には、社会全体で議論し、考察した上で結論を導く必要があるだろう。

それこそ、尊厳を守るための法のつもりが、生きる意思も快復して障害を全うする道がある者の命を摘む法にもなりうるからである。

これは何も、植物状態で5年後や10年後に目覚める患者は命だけが議題などではない。中高年の、いや若者でも、その尊い生命が第三者の価値観や固定概念で絶たれる選択肢を生む法改正でもあろう。

尊厳を重んじることは非常に大切であろう。

私自身、人工呼吸器は再び、少なくとも長期間は装着したくないと望んでいる。一方で、生きたいとも望んでいる者としては、選択肢が増えて欲しいと切望する。

しかし、この選択肢を生むために、失われる可能性がある命もあろうことは議論せずにはいられない。下手をしたら、私自身もその命を摘まれる人間になり得るであろうから。そして、読者のあなたやあなたの家族や友人も。

あなたなら、どのような選択をされますか?

そして、ご家族が万が一「延命」や「蘇生」が必要になり、回復するか分からない状態になった時、何を考え、何を選択されますか?

ICU(集中治療室)での素晴らしい思い出2点は ↓。

↑ フィクション風ですが、実話です。

死生観については ↓



頑張ってるとき
https://note.com/m_koenigin/n/n7168079ce247



私にとって大切な価値観
https://note.com/m_koenigin/n/n38bf27b702f3





分かってほしいこと
https://note.com/m_koenigin/n/nc58a3d234c41


余談ですが、こういう考えを持ってます。
https://note.com/m_koenigin/n/ne02a94a7414b







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