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りぴーと

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素敵な作者さんたちの作品。私が読み返したいと感じた記事をまとめています。敢えて平仮名のりぴーと。
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#エッセイ

#ジブリパーク で失った言葉の置き場

ジブリパークの凄みは、どこにあるのか? 2022年11月1日、愛・地球博記念公園のなかにオープンした「ジブリパーク」へ、弟と行ってきましたレポート。 オープン初日のチケットを、運良く買うことができまして。 入場できたのは「ジブリの大倉庫」エリアのみでしたが、とてつもなく大切で切ない何かを、ドドドと怒涛のように受け取り、たまらなくなってしまったので、言葉にしておきます。 「ジブリパーク」のちゃんとした案内や魅力は、ほかの人がエエ感じの写真とともに沢山シェアされてるので、

「書いて生きていこう」と思わせてくれる、あたたかくて幸せな映画ーー『マイ・ニューヨーク・ダイアリー』感想文

大好きな映画ができてしまった。 「映画は一回劇場で観て、あとは地上波で流れるのを待てば十分」というタイプの私が、二回も劇場に足を運んでしまうなんて。 その映画は、社会的なヒット作でもなければ、TOHOシネマやMOVIXなどの大きな映画館で上映されているものでもない。ミニシアターで上映されている、吹替無しの洋画だった。 『マイ・ニューヨーク・ダイアリー』。90年代のニューヨークを舞台に、作家志望のジョアンナが、夢、仕事、恋に悩みながらも奮闘し、生きる道を選び抜いていく――

名前も知らない人のアカウントを2年かけて特定したら人生が確変に入った

自慢じゃないけどネットストーカーが得意。彼氏の元カノのインスタグラムとか秒速で見つけちゃう。マジで自慢じゃないです。このあいだ、友人がVJをやっているというので1分でそのVJユニットのツイッターアカウントを特定して送り付けたら「ネトスト1級?」と聞かれた。粘着質の賜物ですわよ。 まあそれにしたってアカウント特定にはある程度の手がかりが必要になってくる。名前、居住地、出身大学、エトセトラ。なんらかのヒントが無いとさすがに難儀。別に特別な技術があるわけでもないし、本当にただ粘着

彼の「得意」に甘えて生きる。

ここ最近、昼下がりに珈琲を淹れるためにキッチンへ向かうと、シンクに溜まっていたはずの食器たちがきれいになくなっている。ぼくはそのことについて、ひそかに苛立ちを募らせていた。 食器洗いはぼくの担当だと決まっているのに、気がつくと要領の良い夫がちゃちゃっと仕事の合間に済ませてしまう。自らのできなさを突きつけられているようで、有難さよりも惨めさが胸を支配した。「やるから置いておいて」と言っても、「でも手が空いてるから」「できるほうがやればいいでしょ」で終わらせられてしまう。そして

「覚え違いタイトル集」に大笑い

福井県立図書館が公開している「覚え違いタイトル集」。 図書館の利用者とのやり取りで出てきた うろ覚えになりがちな本のタイトルや著者名を リストにして公開するという、 とっても面白い試み。 ありとあらゆるうろ覚えの数々に思わず笑ってしまいながら、 このうろ覚えなタイトルや著者名のオンパレードから 正しいものを導き出す司書さんたちの知識量と機転に、 ただただ尊敬の念を覚えるのです。 もうその司書さんの大活躍ぶりを ぜひ皆さまにも堪能していただきたく、 個人的に盛大に笑

やさしさは、クッキーの型をぽこんぽこんと抜くように。

やさしさには形がある。 ある人のそれは△だったり、ある人のは○だったり。ほかにも☆や♡、□など様々な形がある。 受け取る側はやさしさの「型」を持っている。その型も同じく人それぞれで、△や○、☆に♡、□などの形がある。 誰かに「やさしさ」をもらった時、その型にピッタリ当てはまると、信じられないくらい、穏やかで、幸福で、あたたかい気持ちになる。 もちろん「やさしさ」である以上、どんな「やさしさ」も間違っていない。 ただ、やさしさを「渡す側」と「受け取る側」の「型」が一致

りんごのキャラメル煮を再現してみた

木曜の夜、劇場版「きのう何食べた?」を見に行った。 それからずっと食べたかった「キャラメルリンゴのトースト」 ゲイのカップル、シロさんとケンジの日常を描いたこの映画で、二人がある日の朝ごはんに食べていた。 そして、探してみたら、数巻だけ持っていた原作の中の4巻の#30にレシピが載っていた。ラッキー。 週末の朝ごはんに絶対作ろうと、映画を見た翌日、金曜の昼休み、わざわざお気に入りのパン屋まで足を運び、食パンを買ってきておいた。 そして迎えた土曜の朝。さあ、やるで! 1

正しいことは正しくないことを教えてくれた詩

正しいことは正しくない それを教えてくれた詩があります。 私は正しいと信じて伝えていました。 正しいと信じて伝えても、 誰も見向きもしてくれませんでした。 なんで? 正しいことを言えば言うほど、 周りは「うんうん」 と言いながら離れていました。 うなずいているのに… なんで? そんな私が結婚する時に 数少ない友だちが 一つの詩を贈ってくれました。 祝婚歌 吉野弘 二人が睦まじくいるためには 愚かでいるほうがいい 立派すぎないほうがいい 立派すぎることは 長持

錆びついた記憶の箱をこじ開けるとき

 少し前に、江國香織の「すいかの匂い」を読んだ。決して忘れることのできない夏の記憶を、心に秘めたまま大人になった、11人の少女たち。  些細なことがトリガーになり、鮮明な記憶が蘇ってくるときのあの、音のない夢を見ているような奇妙な感覚が、ありありと全身を襲った。わたしが体験した話ではないのに、どうしてか、その光景の一つ一つはわたしの記憶のどこかを刺激する。一度も来たことがないはずの場所を懐かしく思う。けれど現実味はなくて、心がざわつく。そんな感覚。  忘れ

男尊女卑→男尊女尊でよくない?

今日おはなしするのは、 女性であるがゆえに感じたこと。 これから先、こんな思いをしなくて済むように、 誰もこんな思いをしませんように、という気持ちを込めて。 わたし、ちょうど1年前に車を買い替えたんです。 ブラックのワントーンから ベージュとホワイトのツートーン、 ほんとうにかわいい軽自動車。 お気に入りの車に乗って通勤する日々は それはそれは楽しいもの、だったのだけど。 信号待ちで止まっていると、 わざわざわたしの前に割り込む車がいます。 車間距離を空けているわけでも

つまらないかも?読者はあなたではありません。

noteの連続投稿を始めて200日以上が過ぎた。 「さて、何を書こうか。」 noteを書いている人なら一度は、いや度々思うことだと思う。 私は日課のようにそう思っている。 200日中160日くらいはそう思っていたかもしれない。 そして誰もが思う「何を書こう」よりは頻度は低いかもしれないが、時々こんなことを思わないだろうか。 「この話、別に全然面白くないな。やめようか。」 何度”私は面白おかしいことを書くためにnoteをやっている愉快な人になりたいのか、いや違う”と自

忘れ去られた木

この木は、日本人にとってなくてはならない木でしたが、皆様ご存知でしょうか。 ノリウツギと言って、あじさいのような花を咲かせます。 今では僕らには、全く見向きもされませんが、かつて和紙を作るとき、この木の枝を叩いて粘り気を出し、和紙のつなぎにしていたようです。 その和紙に人々は文字を書き、気持ちや情報の伝達をしていました。 いまでは、ノリウツギは、見向きもされませんが、かつて、そのようにして、人々を支えていたそんな木なのです。

夜明けまで待てない

祖母が亡くなった日、関東は平年より少し早く梅雨があけた。お通夜の当日、今までの曇り空をもう思い出せないぐらいの夏空だった。入道雲と、田んぼの緑と、山奥から小さく聞こえる蝉。タクシー待ちの行列の、高校生の黒い肌。田舎の夏と喪服はミスマッチじゃないなと斎場に向かうタクシーの中で思った。棺桶に入った祖母はきれいにお化粧を施されていた。もう会えないという寂しさは、どうしていつもさざ波のように後から押し寄せてくるのだろう。 従姉妹と姉の子供達はお経を読み上げるお坊さんの後ろで思い思い

誰かにとっては悪で、誰かにとっては善で。

それぞれが持っている善人、悪人の性質について。 最近、『自転しながら公転する』(著:山本文緒)の小説を読んだ。 ストーリー的には、結婚適齢期のある女性の人生を仕事、恋愛、親、と大まかに3つの内容で描いたものだった。 その小説の中で一番印象に残っていることでもある「善悪のジャッジ」についてをここでは話していきたい。 それを考えるキッカケになった内容の、一部あらすじを紹介する。 主人公の恋人は、元ヤンチャをしていたタイプで人として不安な部分もあったが、 震災のボランティアに参