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「書いて生きていこう」と思わせてくれる、あたたかくて幸せな映画ーー『マイ・ニューヨーク・ダイアリー』感想文

大好きな映画ができてしまった。

「映画は一回劇場で観て、あとは地上波で流れるのを待てば十分」というタイプの私が、二回も劇場に足を運んでしまうなんて。

その映画は、社会的なヒット作でもなければ、TOHOシネマやMOVIXなどの大きな映画館で上映されているものでもない。ミニシアターで上映されている、吹替無しの洋画だった。

『マイ・ニューヨーク・ダイアリー』。90年代のニューヨークを舞台に、作家志望のジョアンナが、夢、仕事、恋に悩みながらも奮闘し、生きる道を選び抜いていく――……みずみずしい成長物語だ。


今作と私の出会いは、Instagram。フォローしていたネイルブランドが、『マイ・ニューヨーク・ダイアリー』とコラボしたプレゼントキャンペーンを行なっていたのだ。

駅で本を読んでいるジョアンナの画像を見たとき、「おもしろそうだな、観てみたいな」と直感的に思った。そのときは、この映画がこんなに私の胸を打つとは考えもしていなかった。

明日からの仕事に備えて英気を養おうと、ゴールデンウィークの最終日にこの映画を観に行くことに決めた。数年ぶりに訪れたミニシアターにも、数年ぶりの字幕にもドキドキする。

物語は、ジョアンナの語りから始まる。90年代のアメリカ文芸の世界に、私はどんどん引き込まれていった――……。


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ニューヨークで作家になることを決意したジョアンナは、老舗出版エージェンシーで働き始める。上司・マーガレットから命じられた仕事は、タイプライターを使ったテープ起こしのほか、世界中から届くJ・D・サリンジャーへのファンレターを片付けることだった。

サリンジャーは、30年前からファンレターに返信を書いていない。返信を書くどころか、読んでもいないという。届いたファンレターは、編集部で中身を確認したあと、それぞれに適した定型文で返信し、処理が終わったものから順番にシュレッダーにかけられる。本人には一枚も届かないのだ。

オフィスには、稀にサリンジャーから電話がかかってくることもあった。電話を受けるジョアンナは、マーガレットへ取り次ぐ間のほんのわずかな時間、彼と会話を交わすようになっていく。「調子はどうだい?」「そちらの天気は?」「君は詩を読むんだね」「自分でも書くのかい?」 ――……作家志望は敬遠されることを知っていたジョアンナは、マーガレットを含めオフィスのメンバーにも、作家志望であることを伝えていなかった。

サリンジャーへのファンレターは、どれも情熱の溢れるものばかり。小説の主人公に自分を重ねる若者、戦争体験を綴る元軍人、作家志望の娘を亡くした母親。ジョアンナは、心のこもったファンレターに“くそ定型文”で返信することに気が進まなくなり、次第に自分の署名で返事を書き始めてしまう――……。


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私の胸がぎゅっと苦しくなったのは、仕事も上手くいかず、恋人・ドンともすれ違ってしまったジョアンナが、ボイスレコーダーにファンレターの返信(と思われるもの)を吹き込んでいるシーンだった。

ノースカロライナ州に住む青年からのファンレターに、ジョアンナはずっと返信を書くことができなかった。『ライ麦畑でつかまえて』の主人公・ホールデンに自分自身を重ねていた青年の手紙に、不思議と惹きつけられていたからだ。

「僕は感情を飲み込む。感情をぶら下げて街を歩くわけにはいかないから」という彼の文章に、ジョアンナは「私も感情を飲み込んでいる」と口にしていた。

どんな感情かまで明言することはなかったけれど、恋人から大切にされないことへの怒り、やるせなさ。仕事を任せてもらえなかった悲しみ。そして、本当は作家になりたいのに、思いっきり打ち込めない苛立ち。私には、ジョアンナが何もかもを我慢しているように見えて、胸が押しつぶされそうになってしまった。本当の感情に蓋をして、飲み込んで、やりたいことのできないツラさを、言いたいことの言えない悔しさを、私は知っている。


ところで、ジョアンナは、サリンジャーの作品を一つも読んだことがない。ドンが友人の結婚式で数日不在にしている間(本当はジョアンナも誘われていたのだが、ドンが一人で行くつもりで内緒にしていた)、ジョアンナはサリンジャーの作品を読みふける。世界中から届くファンレターに込められた熱意の意味を、この目で確かめようとしていた。


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そういえば、私にもこんなときがあったっけ。映画を観ながら、ジョアンナの姿が若かりし頃の自分と重なった。

「文章を書く仕事がしたい!」と思って入社した、教育系の広告代理店で働いていたときのことだ。まだ24歳だった。そのとき私が任せられた仕事は、ライティングではなく事務作業で、全然やりたい仕事じゃなかった。とにかく激務で、朝から晩まで働いたし、休みも月に4日しかなかった。

恋人とは明確なすれ違いがあったわけではないけれど、土曜日働いたあとで、一時間かけて神奈川で暮らす彼に会いに行っていた。といっても、平日休みの彼は、たいてい土日は仕事。パスタを茹でて先に食べながら彼の帰りを待ち、数時間一緒に過ごしたのちに眠り、翌朝彼は仕事に出かけていった。私は昼まで彼のベッドで眠り、夕方頃一時間半かけて自分の家に戻る。何も生産性のない日々だった。

いま思い出しても、涙が出る。あの頃は、本当にしんどかった。文章が書きたいのに、させてもらえない。やりたいことができないのがしんどい。彼に時間を合わせているのもツラい。ずっと、自分の心に嘘をついているような感じがしていた。当時はそれを上手く言葉にできなくて、まさにジョアンナ同様、感情を飲み込んで毎日をやり過ごしていた。


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サリンジャーの作品を読み終えた後、ジョアンナはついに心を決めて動き出す。

まずは、結婚式から帰ってきたドンに別れを告げる。元彼には言えなかった「別れましょう」の言葉を、サラリと告げるジョアンナに痺れた。「愛していないことに気づいたの。早く別れるべきだった」

(個人的にも、ドンと別れてくれてよかったと思った。ドンもジョアンナと同じ作家志望だったのだが、書き上げた作品は彼自身の性生活についてで、どんな女とどんなふうにヤッたのか赤裸々に書かれていた。ジョアンナの空想で、ノースカロライナ州の青年が「そんなの誰が読むの?」とツッコミを入れていた。本当に誰が読むんだろう。

まあ、どんな作品を書くかは彼が決めることなので、それは置いておこう。でも、シンクのない部屋に勝手に入居を決めたり、嫌がっているのにジョアンナのことを「ブーバ」と呼んだり(彼は親しみをこめて読んでいるようだったが)、一緒に暮らすようになってから、彼のイヤな部分が目につくようになった。元彼のカール(音楽家。大学でも一目置かれている。ジョアンナのことをジョーと呼んでいて、ジョアンナも気に入っていた)のほうが全然素敵でしょ~~~と思ってしまった。以上)

そして、仕事でもジョアンナはようやく成功を収める。ジョアンナが担当した作品の出版が決まったのだ。原稿を読むことは任されるようになっても、担当を持ち、出版までこぎ着けることは初めての経験だった。これで、ようやく一人前のエージェントになれた。

マーガレットは喜んで、「あなたと組みたい作家がいると思うの」と、ジョアンナにいくつか担当を持たせようとした。――しかし、ジョアンナは退職を申し出る。マーガレットは、驚きながらも「他に夢があるのね?」と、優しい眼差しで問いかけた。ジョアンナは頷く。本当の意味で作家を目指すことを決めたジョアンナには、もう感情を飲み込んでいる様子はなかった。


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ジョアンナがマーガレットに会社を辞めると伝える場面で、私は、あの教育広告代理店を辞めるときのことを思い出していた。

その頃、私はジョアンナと同じように、運命的な本に出会っていた。今でこそ巷に溢れている、「好きなことで生きていこう」系の自己啓発本だ。たしか、私はその本を読んで「やっぱり諦めたくない。文章を書く仕事をしよう」と決意したのだ。今思い返してみると、それはジョアンナでいうサリンジャーの作品のような、私の心に火をつけてくれた本だったのかもしれない。

当時の私の上司も、マーガレットのように威厳のある、厳しい女性だった。私は「話したいことがある」と上司を会議室へ呼び出し、頭を下げて勢いよく「文章を書く仕事がしたいので、会社を辞めさせてください!」と言った。部長には、これまで何度も面談で「書く仕事がしたい」と伝えていたので、さして驚かれなかったし、引き止めもされなかった。

部長は、「あなたのような優秀な人材をなくすのは惜しいけど、玄川ならどこへ行っても大丈夫だから」と、私の目を見て真っ直ぐ言ってくれた。このときのことを、今も私は鮮明に覚えている。

ジョアンナが一人前のエージェントになってから仕事を辞めたのは、育ててくれたマーガレットへの恩返しなんじゃないかと思った。私も、イヤだイヤだ言いつつも、それなりに成果を出してから仕事を辞めた。長く会社に貢献することはできなかったけれど、やるべきことはきちんとやれたと思う。


『マイ・ニューヨーク・ダイアリー』の劇中で、ジョアンナが作家になる描写はない。「ザ・ニューヨーカー」に、自身の詩を売り込む場面のみが描かれている。この映画の原作は、ジョアンナ・ラコフの『サリンジャーと過ごした日々』なので、ジョアンナが作家になることは明らかだ。そして、この映画を観ている30歳の私も、24歳の私がライターになったことを当然知っている。いつか私も、ジョアンナのように本を出して、作家になれたらいいな。

作家への道を歩き始めたジョアンナと、書く仕事を求めて飛び出した24歳の私がオーバーラップして、映画は幕を閉じた。


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『マイ・ニューヨーク・ダイアリー』は、文芸版『プラダを着た悪魔』と評されることが多いので、お仕事映画(ドラマ)が好きな人も楽しめると思う。ジョアンナとマーガレットのレトロシックなファッションも見所だ。

何か劇的なことが起こるわけでもないし、派手さもない。けれど、“夢のある人”、ことさら“書く人”には絶対に、この映画を観てほしい。随所にちりばめられた書き手への――夢を追う人への――エールは、必ず私たちの胸を打つ。

「作家は書く。出版はビジネス」
「もっと書くことを求めなくちゃ。恋人やキラキラしたドレスよりも」
「15分でもいい。毎日書くことが大事だ」
「書くんだ。君は作家だ。そうだろう?」――「Yes. I'm Writer」


――『マイ・ニューヨーク・ダイアリー』。「書いて生きていこう」と思わせてくれる、あたたかくて、とても幸せな映画だった。


テアトルシネマ有楽町にて

※参考文献:『マイ・ニューヨーク・ダイアリー』パンフレット


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