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5歳でも気持ちを受け止めてもらえたら、自分で切り替えられる

さきほど、パパと入ったお風呂から娘が出てきて、ドライヤーで髪を乾かしてもらいながら、ずっとひっくひっく泣いていました。

わたしは、よその子が泣いているのは「よしよし、自己主張しているね!ナイスファイ!」とほほえましく見ていられるのですが、

自分の子どもが泣いているのは、とーっても苦手です。

最近気づいたのですが、わたしは、身近な人が問題を訴えてくると、サポセンで培われたトラブルシューティング意識がむくむくとなり、「わたしが何とかしてあげなくては」と思ってしまうところがあるようです。

自分は自分でこたえを見つけたい方なのに、なんででしょ、と怪訝に思うのですが。

しばらくしても、ご飯を作っている余裕がないキッチンの入り口で娘が泣いて、ひっくひっくいながら、もにゃもにゃ言っています。

こんなとき、ラプンツェルを誘拐して母親のふりをしていた魔女のゴーテルが誕生日に外に出たいともじもじしながら話すラプンツェルに「はっきり喋ってちょうだい。むにゃむにゃいうの、大嫌い!」と言っているシーンを思い出し、よくないけどちょっとわかっちゃうんだよな、よくないんだけどさ、と罪悪感を感じてしまう。

とはいえ、ゴーテルの台詞をいうのは母としてNGだ。
「どうしたの?はっきり話してくれたら、わかるよ?」と声をかけました。

「引き算嫌い!」

最近、娘がかんたんな足し算の問題を出してもらい、答えて得意げにしています。

で、引き算の問題を出されて答えられなかったのね。

「そっかー。答えられなくて、悔しかったのねー。悲しかったねぇ」と背中をトントンしたら、くっついてきて、

あ、このまま拘束されたらお肉が焦げてしまう

と思った刹那、「パパのところいく~」。

おや。
瞬殺ではないか。

引き算については、なにも解決していないのに。
ちょっと拍子抜けしました。

やっぱりライティング・ライフ・プロジェクトで深く納得したように、人には自分の問題を解決できる力があるんですね。

例え、それが生まれてそろそろ6年の5歳さんだとしても。

うんうん、そうか。
やっぱり、人の力ってすごいな。

今回は、これを再認識させてもらうためのハプニングだったようです。

そして、以前の自分を振り返り、

前だったら、
引き算はまだ知らないもんね。教えてあげよか?
とか、見当違いのフォローをして、お肉を焦がしていたかもな、いや、焦がすからと娘を追いやり、娘をさらに傷つけてしまったかもしれない。

などと、フライパンの火を止めながら思いました。
(今日は豚の塩こうじ焼き)

感情を受け止めてもらえると、人は自分で進んでいける

そっか。
としたら、問題解決に口や手を出すのではなく、この子にはちゃんと力があるぞっと信頼を寄せつつ、待ちつつ、(子どもは自分の気分を適切に表現する経験が浅いから)必要なら気持ちの代弁をしてみるのが、ほどよい、んだな。

待つ余裕、受け止める余裕が生まれたのは、うれしいな。
これ、きっと、自分の感情を自分で受け止める練習をしたからだな。

やっぱり、自分を大切にするのって、いい。
やっぱり、自分でちゃんと自分をみるのって、いい。

ライティング・ライフ・プロジェクト、やっててよかった。

実はつい先日友人から「つらいんだー」とLINEがあり、「これって、助けるのがいいのかな?」とボディートーク施術士の友だちに相談していたのでした。

迷っていたタイミングに、同様のハプニングとスムーズな解決(^^;

「そっかー。つらいんだねー」と感情を受け止めつつ、問題解決に口を出すのは本人が「助けて」と言ってくるまで「助ける?」は保留します。

つい、いろいろ言いたくなっちゃうんだけど。

みんな、力があるんだから。
大丈夫。

***

余談?ですが。
昨日、ボディートークセッションで「親心」をバランスしてもらったんです。
ボディートークも、やっぱり不思議すごいかもしれない(^^;

以下、ボディートークに関する文章です。




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