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棟方志功聖地巡礼in富山 stage.1 【躅飛山 光徳寺】

昨年晩夏、それまであやしいウイルスに阻まれていたプランを実行すべく、北陸を訪れた際の記録を順にまとめています。前回までは金沢旅行がテーマでした。そして今回より、元来の目的だった富山県南砺市福光なんとしふくみつへ”世界のムナカタ”こと棟方志功の文化遺産を辿った、いわゆる聖地巡礼の内容を複数回に分けて記述していきます。よろしければ引き続きお付き合いくださいませ📖
それではさっそく出発いたしましょう!

***

北陸で迎えた朝。同行の晴れ女の威力は健在で、文字通り目の覚めるような晴天に🌞この世のすべてに幸あれ状態\(^▽^)/ 裏腹に、期待と出陣前の緊張感が入り交じり身支度中の顔面がむしろ蒼白だった記憶も蘇ります。← とにかくこの日は3カ所まわる予定だったため、早々にチェックアウトし、行動開始✊🏻本日乗車予定のバスの停留所がある金沢駅西口へと向かいます。(実は前日、JR金沢駅に到着した際に場所を確認しておいたのでした🚏)
所定の位置で少し待っていると、やってきたのは…かわいいマイクロバス!

ラン♪Run♪Bus(おそらく正式名称)

こちら、“誰もがランラン♪るんるん♪気分でお出かけしたくなる!そんなバスがあったらいいな。という思いから生まれた、地域のための無料巡回バス”だそうで、石川県内を拠点にいろんな路線を走っているみたい。今回、我々は富山方面とを往復する南砺ルートのバスを利用させていただきました🚌💛結構距離があるはずのところへも運賃かからないなんて、こんな素晴らしいサービス、使わない手はありません。ドライバーさんの愛想のなさも笑えるというもの😇おはようって言ってるのに聞こえなかった?ねえねえ、聞こえなかったの👈🏻?(つんつんすんな笑) 晴れ女に「あの人挨拶しないね?」と言うと苦笑してました。や、いいんですよ安全運転してくだされば…。←

しばらく車窓からの景色を眺めたりしているうちに、いつの間にか富山県へ入っていたよう。降車予定の“道の駅福光”停留所へ無事到着です!安全運転まことにありがとうございました🫡笑
では、まずは計画通り、棟方志功ゆかりのお寺・光徳寺こうとくじへ最初にお伺いすることにいたしましょう。ここから当地までは徒歩ですぞ。Let's walk there!

道中、見渡す限りこんな風景🌾
外におられた地元のかたに道を教えてもらうも…
土地勘のない観光客は迷子になりそう^^;
でも見て、この広々とした青空!
暑くても足取りが軽やかになったよ🧚

バス停から田園を縫って、我々以外誰もいない道のりを歩くこと10分ほどでしょうか。ずっと訪れたかった悲願の場所が、朝日に照らし出されているのが見えてきました🛕✨どうしよう…お参りする前から感慨しかないわ。浮足立ちながら門前にやってくると、来訪者をお迎えくださったのは古刹の風格漂う山門。その佇まいには思わず息を飲むほど。身が引き締まります!

山号も輝くばかり🌟
ちなみに向かって左の石碑には
蓮如上人御舊跡れんにょしょうにんごきゅうせき”と刻まれてます
※舊跡とは旧跡のこと
室町時代の僧・本願寺蓮如とも関係深いんですね

そしてそして!この蓮如上人御旧跡を表す石碑のさらに左側に目を移すと…

蓮如上人の柵(棟方志功)

出た~~~~~うわ~~~~~ん😭
見知らぬ土地で旧知の人に会った気分にも笑
とにかく境内に入る前からフェスの始まり🛐

▣躅飛山 光徳寺

では、せっかくですのでこのお寺のそもそもの由来についてを、先に案内物より引用させていただき、以下に掲載いたします。

堂内拝観の際いただいた案内リーフ

躅飛山ちょくひざん 光徳寺」は、文明三年(1471)本願寺八代目蓮如上人が越前・吉崎御坊にご滞在のとき、加賀・河北郡砂子坂(現在の石川県金沢市砂子坂町)に住む髙坂四郎左衛門の弟・治部尉がその門弟となり、法名を「道乗坊」と賜ったことに創まる。
 御本尊は蓮如上人御自作の黄金阿弥陀佛で、御丈は一尺二寸。平常は御厨子の扉を閉じられ、御佛事の際に開かれる。その蓮如上人の時代より伝わった上人ゆかりの直筆類や法宝物が多く所蔵され、毎年四月二十五日~二十六日に蓮如上人御忌を盛大につとめ、その法宝物も公開されている。
 「躅飛山」の山号は、第五代一雲の時、雷火のため道場が焼失したとき、御本尊が躑躅つつじ株の上に飛んで居られたという故事に由来する。その後、河北郡二日市村をへて慶長十九年(1614)現在地に移転し、現住職で二十代。四季折々の自然が趣深く、美しいたたずまいの古刹である。

光徳寺について(蓮如上人御旧跡 躅飛山 光徳寺 案内リーフレットより)

蓮如は浄土真宗中興の祖ともいわれる、あの蓮如です。こちらの光徳寺も、宗派としては真宗大谷派となります。思わぬところで歴史の復習にも役立つのが見学の醍醐味だな^^ それにしても、500年以上も存続しているとは!御見逸れいたしましたm(_ _)m
さあ、ざっと成り立ちを把握した後は、いよいよ境内にお邪魔しましょう🙏🏻石段を上り、厳かな門をくぐりますよ~。

山門の欄間の木彫
魚(鯉かな)と波に乗るサーファー仙人
てことは琴高…?
私には「ヒャッハー」と聞こえます笑
表情まで見入ってしまう緻密な技術

境内に入ったら、何はともあれ本堂を拝そうというので正面に進みました。

立派な扁額!
脇の小門?も美しい

お参りを済ませ、あらためて境内を一望すると、そこには…。一風変わった不思議な世界観が、それでもお寺の風情に溶け込んで広がっているのです。至る所に並べてあるものにご注目あれ👀特に民藝好きのかたは必見ですぞ!

鐘つき堂
なんか東屋っぽくてかわいくない?
正面に立っている石の歌碑の文言は
「桑山も 躅飛の院も 秋ならむ
その裾やまの 龍膽りんどう咲けるや」
龍胆りんどうの柵(棟方志功の板画)より
先生~遊びに来たよ~🙌🏻
平皿系もあり
溜まっているのは雨水かな🐸☔

ご覧のように民藝の焼き物の数々が境内の敷地に展示(といっていいのか)されているという。この独特かつ贅沢な空間を拝観客が楽しめる背景には、光徳寺18世住職・髙坂貫昭氏と民藝運動との関係がもとになっているのね。髙坂貫昭氏は、“民藝運動の父”柳宗悦が創刊に参加した『白樺』を愛読する文学青年僧だったといいます。
そしてその民藝運動を通じ棟方志功との深い縁が生じたことによって、今日こんにちここで“世界のムナカタ”の数多の傑作も鑑賞することができるというわけ🪷堂内の拝観料¥500でこれらをくまなく見られるなんて…破格すぎて未だに信じ難い話でござる…(でも、ホント!笑)

さ~て、では。満を持して、光徳寺が蒐集した棟方の作品および他の著名な民藝系作家の作品群・世界各地の民芸品等が所狭しと並べられている堂内へ伺うことにいたしましょう^^

先程の歌碑とは反対の方角に、
本堂内拝観受付の入り口がございます
壺がいっぱい😁
特にお気に入りの一枚
一番手前の甕には龍がいるよ~🐉✨
こちらの手前の蓋つき壺は小石原焼かな
それとも小鹿田焼かしら?
兄弟窯なので特徴が似通ってるんです🔎
釉薬のかかり具合がおもしろい
受付へと続く石段におられたはず
わ、おはようございます…!

堂内を拝観するまででも盛り沢山な光徳寺。ここで一旦、休憩を挟みます。次回は、目くるめく民藝の美の大波小波へと皆様をいざないたく思っておりますので、山門欄間の仙人たちのように楽しんでサーフィンしていただけますと幸いです🌊💮集合まで自由時間となります、その時までごきげんよう~👋🏻

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