まさお

自分の思ったことや考えたことを、少しづつまとまったら発表したいと思ってはじめました。よ…

まさお

自分の思ったことや考えたことを、少しづつまとまったら発表したいと思ってはじめました。よろしくお願いします。

最近の記事

イタリアの記憶

 3年前に生まれてはじめて救急車で運ばれた時にはさまざまなできことが起こりましたが、その後の経過をみると、元に戻ったこともあれば見事に失ったこともあります。ほとんどのかたにとって(わたしにとっても)よかったのはタバコをやめたことでしょう。不思議なことにやめなければダメ、と医者にいわれたわけではなく、自分からやめたのです。(まあ、普通の医者ならやめさせるのがあたりまえでしょうが) なぜか、これはまったく苦もなくできました。  困った、というかなんというか、ヨーロッパの国々に関す

    • 水上温泉に行った話

       群馬県の水上温泉に入るというさいわいに恵まれて、夫婦で行ってきました。温泉に入るだけの旅なので気楽なもんですが、なんと旅館の目の前がJRの水上駅だったのにはビックリ。まあ昔日に比べればかなりさびしい感じではありますが、窓から鉄路が見えるというのは格別のものがあります。特にわたしは病気なので(実際のところ病気なのですが)電車が走っていなくても走っている姿を想像しながらニンマリしてしまう困った症状があり、手におえません。この姿を鉄道模型で実現させるとすればどうするか、なんて

      • 脳出血、その後

         わたしが脳出血で倒れてから3年以上になります。出血後しばらくはわかりませんでしたが、脳出血といっても人によって症状が異なり、対応も変わってくるということが、患者である自分にもようやくわかってきました。「いまごろ、ですか?」といわれてしまうとお恥ずかしい限りですが、本や雑誌などを読めば読むほど、幅が広くて手に負えません。  もちろん専門のお医者さんもおられますし、手術せよとか手術するなとか、わたしなどのはるかに及ばない判断もありますが、わたしのように医者に常に監視されているレ

        • 編集手帖

          ★今月は「イタリアの記憶」という短文を書いてみました。昔のできごとを思い出すきっかけ作りになれば、と思っています★話は変わりますが、「謙って」と書いてなんと読みますか? 少なくともわたしは最近調べるまで読めませんでした。そんな言葉は他にも「口遊む」(くちずさむ)「流離う」(さすらう)「泥む」(なずむ)など山ほどあるらしいのですが、わたしは無知で読めませんでした★「そんなことを書くこと自体恥ずかしい。文章を書くなんてやめてしまえ」といわれそうですが、ではどこまで漢字を使えばよい

        イタリアの記憶

          お酒を飲まない日

           「孤独のグルメ」という話は井之頭五郎という人物がいろいろなものを食べては語る物話です。わたしは原作のアニメを読んだことがなく、テレビドラマとしてずっと観ていましたが、そこでは彼は下戸という設定になっていて、ずっとかわいそうだな、と思っていました。  ところがわたしも脳出血をやって酒どころではなくなり、このドラマからもしばらく離れていましたが、退院して少し経ったころから再びみるようになりました。と同時に、自分の体調と飲酒の関係について考えるようにもなったわけです。退院にあたっ

          お酒を飲まない日

          鉄道模型の縮尺について

           日本で鉄道模型をやっている人の中で、一番多く採用されているのはまちがいなくNゲージでしょう。  ですが、これは正確にいうと「Nゲージ風」というべきかもしれません。  なぜかというと、日本でのNゲージは1/150でできているものが多いのですが、Nゲージというものは、正しくは1/160で作られなければいけないきまりだからです。  しかし、不思議なことにこの国では、1/150で作られたものが普通で、わたしもそれを愛用しています。  日本でNゲージを1/160でなく1/150で作る

          鉄道模型の縮尺について

          ある脳出血患者の記録6

          時間の経過  入院、退院してから現在までのあいだには、いくつもの時間の流れがあるように感じますが、その流れが早かったか、あるいは遅かったかという質問には、なかなか答えられません。早い部分ももちろんありますが、信じられないくらい長くかかったところもあります。また、時間という価値観が自分にとっていかなるものであるか、という常識の変化も大きく影響しています。  なんといっても、時計というものを持たされなかった入院期間は、どうやって時間を知るか、ということが生きる価値の一部でした。お

          ある脳出血患者の記録6

          ある脳出血患者の記録5

          一歩外へ出ると  かくしてわたしは障害者となり、元気なころわけもなく自宅の周囲を歩いていたのが、いまや夢のようなことになりました。まず、自宅といっても当時の自宅はいまのところより200mほど南にあるマンションの一室だったというのは申し上げた通りで、それなりに緑も多くてすてきなところでしたが、前述したその構造だけでなく、周囲の環境なども障害者には乗り越えなければならないことが多くて大変だったのです。  東京は平地ももちろんたくさんありますが、油断すると驚くほど傾斜や落差ばかりの

          ある脳出血患者の記録5

          ある脳出血患者の記録4

          退院後の住まい   わたしは自宅に戻りました、といっても、入院する前の家には帰っていません。最終的にいまの住まいに落ち着くまでのあいだに数回立ち寄ったことはありますが、泊まったことはついにありませんでした。というのは、前の家は1階とはいえ外から8段の階段を上らなければならず、退院後すぐの体調ではとても帰れる気がしなかったのです。いまになって思っても、手すりのない階段の昇降(特に降りるほう)には決意が必要です。というわけで、そこからほんの少し離れた、いまのところに引っ越すことに

          ある脳出血患者の記録4

          ある脳出血患者の記録3

          朝昼晩  さて、身体はままならないながらも、どうやら病院の暮らしが身についてきたわたしに3食とそれ以外のことからなる、長い1日がはじまりました。夜寝るのはだいたい8時くらいでしたが、夜中の1時、3時、5時と3回ほど目を覚ますのがほとんどで、なかなかうまく寝られません。  結局、入院の期間中、夜から朝にかけてはほぼ毎日こんな調子でした。  夜寝られないからといって、昼間寝られるかというと、そんなこともありません。  たしかに朝食のあとは一瞬眠くなる(ひょっとすると一番眠くなった

          ある脳出血患者の記録3

          ある脳出血患者の記録2

          なぜ入院?  まず、わたしは何のためにここにいるのか、と考え、(ときどき眠り)いろいろ話しかけられるが答えがままならず、という調子で、何日か同じようなことが続きました。病院側としてはおそらく、それによってこちらの意識層がどのようなレベルなのか、を研究していたのでしょう。(もちろんそれ以外にも、病院としてはいろいろ情報収集はしていたと思います)わたしの認識では転院して1週間くらい経ってから、なんとかようやくまわりのかたたち、つまり病院スタッフのみなさんとの会話らしい会話ができは

          ある脳出血患者の記録2

          ある脳出血患者の記録1

           2020年の12月末にわたしは突然倒れ、緊急入院しました。自分ではどうにもならず、周囲のみなさんのおかげで病院に行き、いろいろな施術を経てどうやら現在のところにいるわけですが、果たしてそのとき周囲にとってわたしはどんなふうに見えていたのか、そしてわたしからはまわりがいかに映っていたか、そのあたりのことは、書いておきたいと思います。それは、わたしが体験したからだの異常と現状に至るまでの措置・対策についての記述でもあります。決してこれで終わったわけではなく、これからの脈絡によっ

          ある脳出血患者の記録1

          これからのわたしと鉄道模型

           鉄道模型とどうかかわっていくか、これまでのわたしはあまり真剣に考えていませんでした。まあ、いまでもそんなに真剣なのか、と聞かれると答えに窮してしまうのですが、3年前までに比べればまじめにとりくんでいるとは思います。ですが、とりくみ方がまじめだといっても、脳出血を経験した自分としては腕や脚がまじめに働いているとはいえません。否、部位はまじめなのですが、それをさせようとするわたしがふまじめなのです。  2021年の秋くらいまでは模型の世界に戻れるかどうか、という状態でしたが、2

          これからのわたしと鉄道模型