ある程度の病人―――わたしにとって必要なもの

 「病気になった」と一口にいっても、いわれた側にはさまざまな受け取りかたがあるでしょう。「入院した」とか「手術した」というだけでも聞いたほうにしてみれば「それで?」という人もいますから、「病気」といわれても重い、軽いやその他の程度を示す言葉によってだけでも、反応はいろいろです。
 わたしは脳出血という病気になったわけですが、これも症状や後遺症が人によって異なるので、だいたいの状態は要介護度でしか他の人に伝える方法がありません。で、これがわたしの場合「2」でした。(倒れてすぐは「5」だったのですが、リハビリの結果相当よくなって、それでも「2」止まりだったようです)
 では「2」の状態がどの程度かというと、歩行は杖あるいは歩行器、長い距離を移動する場合は車いすを用いるくらい、というところです。注意しなければいけないのは、どこにも「使っていいよ」と書いてあるわけではないことです。介護用品のホームページによれば「要介護2」は「日常的な動作は自分でできるものの、介助が必要になる状態」、要介護認定では「要介護認定等基準時間(介護にかかる時間)が50分以上70分未満またはこれに相当すると認められる状態」を指すことが書いてあるだけで、介護されるわれわれには何が必要か、という視点で決まったものではありません。
 車いすにせよ歩行器にせよ、もしくは杖であったにせよ、健常者からみれば寸法的に一回りかそれ以上の大きさが必要になります。格納する場所も必要ですし、伸ばした寸法は本人にはとても重要になりますが、不用なかたにとっては邪魔以外のなにものでもありませんから、折り合いを見つけていかなければなりません。
 また、世の中は広いようで狭いもの、これは健常者のかたでもそうなのですが、障がい者にとってはどうしても心理的に追い詰められている部分があるようです。それに、どんなものでも自分ではどうにもできない大きさ、重さがあり、車いすも電動ともなれば、病み上がりの者にとってもかなり運びにくいものになります。
 これらすべてを、自分と介助者がよく理解して使うべきなのですが、病気になってすぐは経験が少ないですし、慣れてきたらそれはそれで、カン違いや思い違いしていることもあり、なかなか大変です。
 その大変なところを少し書いておきます。レベルの違うかたはそれぞれのレベルに応じてお調べください。Wikiのほうが信用できるといわれるかたはそちらをどうぞ。
 
服装
 「なにもそこまで」といわれるかもしれませんが、この症状になってから買ったものの中には、健常者なら選ばないものもあるのでまずはそこから。(ちなみに男、67歳です)
 わたしの洋服を選ぶ感覚はもちろん他の人に押しつけたりしませんし、逆に他人の好みが必ずしも自分に合うわけではないですが、個人的に申しますと概してゆるめの服が多くなりました。もともとはきつめの服も嫌いではなく、むしろ好きだったらしいのです(感覚的には忘れています)が、ほとんど処分しました。
 また服の長さも、どちらかといえば短めのほうが多いです。とにかく、かつてのように細かいことはいわなくなりました。
 靴は、倒れているあいだに家内が買ってくれたもの1足をいまだに履いています。右足に装具(説明は後述)を装着できるように最初は左右でサイズ違いを履いていました(右が2センチも大きい)が、いまの装具は華奢になったので左右同じサイズを履いてもいけるようになりました。ですから最初は正確には「左右同じデザインの靴」といったほうが近かったかもしれません。
 靴下は紳士用の普通のものですが、最近2本足ソックスなるものを見つけて履いています。これは現状の病気とは直接関係ないのですが、外反母趾がひどいので手に入れました。5本足のソックスは以前からありましたが、あまりにも履きにくくて困っていたのです。6月以降の夏の時期は家の中でもはだし+草履で過ごしています。
 いまのところはこんなところで困っていません。しかし、もしフォーマルな席があったらどうするか、そんなすさまじい場面はあまりないと思うのですが、なにしろ上の子どもがまだ結婚しておりませんので、どうしても必要な時になればなにか考えなければなりません。
 

 基本的に杖はどうしても必要です。もう67歳なので、年寄りとしてもボチボチ必要にはなるのでしょうが、わたしの場合、歳とは関係なく杖なしでは歩けません。デザインや色、長さなどは、入院中に自分で選びました。
 ただし、家のなかでは壁が近いので、まっすぐでは歩けませんがなんとか杖なしでやっています。これは退院後1ヶ月くらいからずっとです。
 自分がなんという命運のもとにいるのか、と思うときもありますが、両手に杖が必要なかたや、片足や、もっと厳しく、両足とも使えなくなってしまったかたに比べれば、ずいぶん恵まれていると考えて生きています。
 
折りたたみ杖
 人によっては、この折りたたみ杖のほうが使いやすい、という人もいます。確かに、よりかけずに置いておけるのは便利だと思います。
 わたしもすでに退院時に買ってあったのですが、折りたたみの部分が少しずつ重みをましてくるのに慣れなくて、結局使用していません。もしこの機能が軽くてもできるのなら、売れ行きはまちがいなく増えるでしょう。
 
歩行器・歩行車
 杖はありがたいものですが、自力で支えるのでそのうちにつらくなってきます。そこで、歩行器というものができました、とわたしは思っていますが、もともと杖とは別の発展をしてきたのかもしれません。
 訓練用の歩行器には持ち上げ型、前輪つき、四輪つきとありますが、普通わたしが使用しているのは歩行車と呼ぶのが正しいらしいです。しかし通常はどれも「歩行器」と呼んでいます。
 杖ならば障がい者プラスアルファの寸法は知れたものですが、歩行器はどのタイプにしてもそれなりに大きくなり、歩行車と呼ばれるものはおおむね幅60cm、奥行80cm、高さ80〜100cm程度のスペースが必要です。なるべくコンパクトなものがよいのですが、機能を重視するとそれなりに大きくなってしまい、選択が難しいです。いま使用中のものは2台目ですが、1台目のもいまのもレンタルです。
 坂道をのぼる、というのは本来期待していませんでしたが、かなりの急坂をどうにかのぼっています。電車に乗って病院に行く、というのは車いすの出番ときまっていましたが、最近は歩行器で行くこともあるようになりました。
 
車いす
 歩行器まではわたしが操作(?)しますが、車いすはさまざまです。というのは、わたしには常に車いすを誰か手伝ってくれる人が必要ですが、要介護度によっては自分ひとりでなんとかするべきものだからです。(もっといえば、歩行器の格納とセッティングも自分でできなければならないところです)
 それはそれとして、やはり幅60cm、奥行80cm前後のスペースが必要であることは変わりありません。つまり、電車やバスなどに乗るにあたっては、歩行器にせよ車いすにせよ、その場所を計算しておかなければならないわけです。
 退院以来、これもずっとレンタルでやっています。どうももう少し長期間使うことになりそうだと思って1万5千円くらいで似たようなものを買ったこともあるのですが、若干ながら大きすぎて、使用には至りませんでした。
 
電動車いす
 その駆動を電動にしたものです。いまのところ法規に縛られてはいませんが、場合によってはなにかきまりが出てくるかもしれません。
 重さはさまざまですが、軽いものでも20kgくらいあるそうです。わたしは手を出しかけましたが、もともと月6日程度しか車いすを使用していないことを考えると電動にするメリットを感じられず、やめました。
 これは、もっとわたしよりも若く、お仕事で動くようなかたにならば大いに使いみちがあると思います。
 
装具
 脳出血などになると身体はなんとかなっても足はどうにもならない、という状態になることがあります。わたしもそうでした。それで足に装着するのが「装具」というものです。(足だけでなく身体のあちこちに使う装具がありますが、わたしは右足用だけで済みました) 最初に作ったのは革製で、いまから思えば相当重く、装着も一苦労でしたが、当時はそれがなければ歩けないですし、そんなにきついなどとは感じませんでした。
 現在のは3代目で、素材も軽量化(プラスティック製)し、かなり楽なものになっています。家の中ではだいぶ前から装具がなくても大丈夫ですが、なかなか外でははずす機会はやってきません。今年の4月くらいに、もうなくても大丈夫だと思って試しに少しはずしてみたら途端に腰痛になり、その役割をあらためて知ることとなりました。
 
昇降用具
 平坦なところだけで生活するわけにはいきませんので、階段(その他)を利用することになりますが、その中でもっとも有意義なのがエレベーターです。健常者のかたでもそうお考えでしょうから、障がい者にとっては必須です。一応、住んでいる集合住宅では2階に住んでいて、訓練というか練習のためには昇りは階段を使うことが増えましたが、降りは3年経ってもエレベーターがないとつらいときが多いです。
 エスカレーターに乗りたいという希望もありますが、これは夢のまた夢、といったところでしょうか。わたしと同時期に退院したかたがひさしぶりに病院にエスカレーターで訪ねて来られた様子をみてそんなに難しく考えていなかったのですが、症状が人によってまったく違うのだとは気がついていませんでした。
 
結びにかえて
 まだまだ語り足りないことが山ほどある気がするのですが、いざ書いてみると忘れているらしくうまくいきません。はっきりしているのは、毎日、毎週、毎月やれることが病気以前の10分の1、100分の1、いやもっと少ないかもしれないという事実です。「病人」というククリが徐々に曖昧になってきた、ボケた頭で少しずつですが、また思い出したら書き足しますのでよろしくお願いします。
 

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