ある脳出血患者の記録4

退院後の住まい 
 わたしは自宅に戻りました、といっても、入院する前の家には帰っていません。最終的にいまの住まいに落ち着くまでのあいだに数回立ち寄ったことはありますが、泊まったことはついにありませんでした。というのは、前の家は1階とはいえ外から8段の階段を上らなければならず、退院後すぐの体調ではとても帰れる気がしなかったのです。いまになって思っても、手すりのない階段の昇降(特に降りるほう)には決意が必要です。というわけで、そこからほんの少し離れた、いまのところに引っ越すことにしたのでした。退院と転居が同時にやってきたわけです。
 新しい住まいは家内が選んでくれた賃貸のアパートです。もともと住んでいたところは分譲マンションだったのですが、もし今後一生住んだとしても、賃貸のほうが合理的だという考えだったようです。わたしは当初賃貸だか分譲か、ということもわかっていませんでしたが、理解できてからは大賛成でした。2人のこどもがいるとはいえ、もともと一緒には住んでいませんでしたし、いまさら同じ世帯に住むことは考えにくいということで、われわれ夫婦の意見が通ったわけです。
 部屋の大きさや間取りも家内がすべて決めて、わたしは追認しただけですが、文句はありません。電気など一部の設備をあとで決めたところはありますが、これについてもわたしには異存のありようがありませんでした。(家内はなかなか認めてくれませんが、わたしに確認してNGということは、いまではよほどのことがない限りありません。ずいぶん変わったものだと思います。)
 自宅は8階建ての2階です。エレベーターが完備していますので困りませんが、いまでは上りはできるだけ、下りも急ぎでなければ階段を使うようにはしています。
 
日々の生活
 わたしの生活習慣は、病気で倒れた時期と会社の仕事の最終期が重なっていたために、変わったことも多くあるとは思いますが、ふだんの生活は病気になる以前とたいして違わないと思っています。まあ、いくらかは生活の中でよくなっているポイントもあるとは思うのですが、それ以外はきわめて普通の生活でしょう。ただ、「普通」というのが必ずしもみなさん同じではないらしいので、念のため現在のわたしが普通だと思っていることを書いておきます。
 起床はだいたい6時半かそれより少し早めです。顔を洗ったらまず血圧測定、これは病気になる以前にも不定期に測ったことはありましたが、毎日記録するようになったのは退院以降です。最初の血圧計はあまりにも誤差が出やすく信用できなかったので、昨年新しいものに取り替えました。
 そのあとのパソコンチェックは以前もやっていましたが、新聞に目を通すというのは病気以降でしょう。しかし「新聞に目を通す」といっても、すべての面を見てはいるもののホントに眺めるだけで、ろくに読んではいません。この中で、「天声人語」(自宅でとっているのが朝日新聞なので)だけはちゃんと読んでいますが、そのことは別に書きます。
 朝食はパンとコーヒー中心のものです。これは病気の前後でまったく変わりました。基本的に朝食に関して家内はパン食、それに対してわたしは(海外にでも行かない限り)ごはん派だったのです。たぶん30年か、もっと長い期間そうだったと思うのですが、これが家内と一緒のパン食に変わりました。これは大きな違いです。
 料理というものをかつては多少なりとも自分でもやっていたのですが(3食とも、です)これは現在まったくなくなってしまいました。いつかはふたたび、と思うものの、いつになるかは未定です。冷蔵庫の前にたつのも家内がやむをえず外出してしまうときだけです。
 そのあと体操を40分くらい、ただしリハビリや整形外科など、外出する予定があるときは午後にやるようにしています。
 昼食はその日によっていろいろ異なりますが、出されたものはなんでも食べます。外食はいまのところかなり少ないですが、病院の帰りなどに食べることも少しづつ増やしているつもりです。
 午後もパソコンをなんとなくさわってから、だいたい3時半から4時ごろ、おやつ(!)を食べます。(!)をつけなければかつてのわたしにはイメージできない話なのですが、いまではあたりまえのようになっています。習慣的にチョコレートを食べたあと、アップルパイやアイスクリーム、和菓子なども食べるようになりました。一応、人並みの量を食べるようですが、幸い(いまのところ)太ってはきていません。
 夕方までのあいだに、ランニングマシーンその他の運動を行います。で、時間が余ったら趣味の鉄道模型をちょっとだけ(最大30分程度)やります。鉄道模型は12歳から50年以上もやっていますが、病気になる前は(お金はかけていませんが)けっこう凝ったものをやっていました。いまはそんなことはなく、誰でもできるNゲージというのをちょっとだけやっているだけです。なにしろ右手がほとんど使えないというわたしには、できることには限度があります。
 夕食は酒を飲む日とそうでない日によって異なります。基本的に日本人の家庭として標準的な夕食だと思われる、メイン1品、サブ2品くらいなのですが、酒を飲む日はごはんはありません。退院後しばらくはごはんも出ていたのですが、そのうちやめました。
 飲まない日はノンアルコール飲料を飲みます。本当は500mlの缶とかがあればちょうどよかったのですが350mlしかないようで、とすると2本では多くて、1本でやめるようになってしまいました。
 酒量も病気前といまではまったく違います。退院後すぐは2日に1日くらいのペースで飲みはじめましたが医者に止められ、週1日くらい、量も缶ビールの3分の2くらいに抑えるところからはじめました。いまは3日飲んだら1日休むというのと、飲む量は焼酎の水割りを2杯半というのを上限としています。病気になる前とは比較にもなりませんが、一応書いておきます。
 寝るのは9時半。退院後、9時だったり10時だったりもしたことはあるのですが、どちらもうまくいかず、あいだをとって9時半になりました。いまのところ、夜はこの時間に寝たとしても、不幸にして起きてトイレに行くのは月2回あるかどうかで、あとは起きてもまた寝てしまうか、あるいは朝まで一度も起きないか、というくらいよく寝られています。病気になる以前に午前0時すぎまで平気で起きていたのが信じられません。また、死ととなりあわせだった刹那に何回も出会った夢にも、どうやってみるのだったかというくらい遠い記憶になってしまいました。
 なお入院以後、病院では酒もタバコも当然禁止だったわけですが、酒はともかくとして、タバコはもう一度吸いたいとも思わなくなっていました。医師がそうすすめたわけではなく、自分でそう思ったのです。別にわたしの前でだれかが吸ったとしても、わたしにはまったく関係ないこと、そういう扱いになりました。世の中の嫌煙ブームとはまったく関係ありません。

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