脳出血、その後

 わたしが脳出血で倒れてから3年以上になります。出血後しばらくはわかりませんでしたが、脳出血といっても人によって症状が異なり、対応も変わってくるということが、患者である自分にもようやくわかってきました。「いまごろ、ですか?」といわれてしまうとお恥ずかしい限りですが、本や雑誌などを読めば読むほど、幅が広くて手に負えません。
 もちろん専門のお医者さんもおられますし、手術せよとか手術するなとか、わたしなどのはるかに及ばない判断もありますが、わたしのように医者に常に監視されているレベルではない人間にとっては、専門家に頼りっぱなしというわけにもいかず、結果として自分に近いかたの動きを参考にして生きていかざるを得ないことになります。
 では実際にどのような患者のかたがおられるのか、同じ患者側からみたみなさんとわたしの同じ部分、違う部分をみたり、感じたりしていきたいと思います。また、自分なりによくなったと思っている点やそうでない点をみて、今後自分がどうすればいいのか? これをしてはいけないのか、などを考える助けになれば、というつもりです。しかしわたしには診断が下せるわけもなく、医師としての経験も資格もありませんので、あくまでもふだんの生活の範囲で気づいた自分自身のことだと、はじめにおことわりしておきます。
 
身体の問題
 全身のからだ各部の状態について、です。わたしの場合右半身不随といってしまえばそれまでですが、同じ右半身不随といってもどこまでを右半身というのか、また上半身と下半身でも違うようです、
 顔でいいますと、わたしは左目から右目までほぼ問題ありませんが、右目の右端末からさらに右側には常に軽い振動があります。右手に関しても軽く振動しているのと、手の温度が低いです。(体感では2度くらい低く感じますが、実際にはそこまではないようです)そこから腰の右側部にも振動があり、ひざから下は振動というよりかたまっている感覚になっています。
 これが、あまり覚えてはいませんが入院時からほとんど変わっていません。もちろん、いまより全体に症状はひどかったと思いますが、劇的によくなったということもありません。
 こうした中でわたしは、車いすを家内に押してもらいながら病院に行くわけですが、他のかたもそれなりに苦心していらっしゃいます。すべてのかたが脳出血というパターンではなく、脳梗塞その他、似て非なる病気のかたもおられるので、手当ての手段も違うと思いますが、ある程度まとめておけるところもありますので、そのつもりで書きます。
 まず、わたしはエスカレーターに乗れません。足が不安定なためですが、わたしが入院しているときの仲間にも、普通にエスカレーターに乗れている人もいましたので、これがひとつの分岐点になります。
 徒歩は、歩行器を使えば最大で5000歩歩いた経験がありますが、だいたいは2000歩くらいで精一杯ですから、4000歩前後の駅までは車いすに乗せてもらっている現状です。(いまは歩行器で2500歩というところを次の目標にしています) 電車に乗るのも降りるのも、家内のヘルプが必要です。また、車いすには電動のものもありますが、わたしは手動1本です。
タクシーでの移動は運転手のお世話になるのでよいのですが、路線バスは(乗らずにすむので助かっています)心配が大きくて乗ったことがありません。
 それから杖。まず、杖がいらない、というかたもいらっしゃいますが、わたしは絶対に必要です。杖のスタイルもいろいろあり、わたしはごく普通の杖を使っていますが、先端が可動式というか、本体と先端が別々に動くものなど、カタログ上でも各種あるようです。(カタログを検討すると杖だけでなく、全般について勉強できますが、なにか必要なときでないと手元においておくというわけにはいきません)
 これでわたしの移動の状況がおわかりいただけたでしょうか?
 
視聴覚について
 これは、みなさんの中では非常にたすかったほうだと思います。もともと視力がすこぶる悪く、その点が改善されたというわけではありませんが、それは出血前とくらべても同じくらいですし、聴力も変わりません。軽い失語症と診断され、いまでも週1回、訪問のSTさんの診断を受けていますが、話すという機能が以前より落ちたといっても、こちらは少しづつ改善されています。これについては、ほぼ同時に入院していた人でももっとひどい人がいるので、感謝しています。
 ただ、パソコンで文章を打つのがゴマカシで、手ではまったくといってよいほど書けません。右手で文字としてどうにか読める、というか書けていると思うのはフルネームを清書したときですが、それにしても人にお見せできるようなレベルではないので、さらに訓練が必要です。
 手を使う、という意味ではごはんを食べるのも右手ではたいへんで、よくて6割くらいは右で食べているとはいうものの、はしでは無理でフォークを使用しています。
 床に落ちているものをひろう、などもかつては夢のまた夢という感じでしたが、これは今年くらいからは難なくできるようになりました。
 このように不完全なところもたくさんあるので、できあがりといえるまでにはまだ、長い時間がかかります。
 
衣食住
 ここからでわたしが書くことは、他人との比較というよりは、自分中心になります。
 着るもの、これはワンパターンです。まったくといってよいほど正装する必要がなくなったため、毎日家内が用意してくれたものを着ています。脱ぎ着はほとんど自分でできますが、風呂に入ったあと、風呂から出てからの着衣に関しては3年たったいまでも家内の手伝いがないとうまくできません。
 外出は前述の病院に行く以外に、散歩をしているのですが、そこで着るものも、いわゆる普段着です。
 食べるものも、あまり凝ったものは食べていません。冷蔵庫にあるらしきものを家内が日々肉、魚、野菜etcとならべてくれるだけで、味付けもまかせっきりです。かつては食べものにやかましく、あれやこれやと口を出してうるさかったほうなのですが、別人になりました。いろいろ食べたいものをいってくれ、と家内にいわれるのですが、あまり思い浮かびません。
 住まいに関しては、もともと住んでいた分譲マンションから、現在の賃貸マンションに移ったことにより、失ったものもあるかもしれませんが、感覚的には手にしたもののほうが大きかったと思います。一日のうち60分くらいは毎日、軽い体操をしていますが、運動らしいものはそれだけです。
 旅行は、病気が直りつつある過程で昨年都内のホテルに一泊と、箱根湯本の駅近くのホテルに一泊、計2回だけ行きました。今年も少しは行きたいと思うのですが、具体的には決まっていません。
 これらのことについては、結婚していないかた、また結婚してはいるが手伝っていただけない事情があるかたの状況はわかりませんが、ヘルパーのかたに助けていただくなど、いろいろな方法が考えられるでしょう。
 
油断してはいけないとわたしが思うこと
 このように気をつけなければならないことに注意して暮らすのは当然なのですが、それでもちょっとでも気がゆるむといけないところがあります。一番はケガです。
 自分の責任においてのケガはもちろんですが、不注意のせいでケガしてしまう、あるいは他者にケガを与えてしまうというのは、ダメなのですが起こってしまう可能性があります。自分の不注意といえども自分のペナルティですので、いくら気をつけても充分とはいえませんが、特に身体が不自由なのでより注意が必要です。
 いくども書きますが、病人は治りかけが一番あぶないと思っていますので、繰り返し、気をつけていきたいと思います。

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