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イタリアの記憶

 3年前に生まれてはじめて救急車で運ばれた時にはさまざまなできことが起こりましたが、その後の経過をみると、元に戻ったこともあれば見事に失ったこともあります。ほとんどのかたにとって(わたしにとっても)よかったのはタバコをやめたことでしょう。不思議なことにやめなければダメ、と医者にいわれたわけではなく、自分からやめたのです。(まあ、普通の医者ならやめさせるのがあたりまえでしょうが) なぜか、これはまったく苦もなくできました。
 困った、というかなんというか、ヨーロッパの国々に関するものごとをほとんど忘れてしまったのは、生きていくには差し支えありませんが、生活にゆとりがなくなってしまった気がします。アメリカには行ったことがなかったのでその点は問題ないのですが、ヨーロッパにはかなり行ったはずであるだけに、情けないものがあります。
 個人的にもっとも好きだったのはポルトガルですが、イタリアも好きでした。21世紀のいまでは考えられないほどの戦禍にまみれた国ではありますが、民族のつくりあげた歴史とその残照は、他には見ることのできない印象をわたしに残しました、などといいカッコして語りたいところなのですが、ほぼなにも覚えていません。あれだけいろいろなところへ行ったはずなのに、記憶していないのです。いまとなっては右半身不随で、もう一度経験するのも難しくなってしまいました。
 脳出血になったからといって、誰もが記憶喪失の症状になるわけではありませんし、なかにはもっと悪い状態のかたもいらっしゃるので、簡単に論ずることはできません。ここではあくまでもわたしの個人的な状態として書きます。どうかそのつもりでお読みいただきたいと思います。
 
 はじめてイタリアに行ったのがいつだったかも忘れましたが、おそらく40歳くらいのときだったと思います。それから60歳くらいまでの間に、10回以上は行きました。仕事もあればプライベートもありますが、一番印象的だったのは上の子どもが留学中に、遊びに行ったときのことです。50歳ごろだと思います。
 「なんだ、覚えてるじゃない」といわれそうですが、ほとんどは記憶でなく記録のたまものです。パソコンに書きとめたことを見ながら、あっちが早いとか遅かったとかやりながらたどっているだけですので、ほとんど覚えているわけではないのです。発病から3年たって、自分なりに思い出したこともあるのですが、バラバラに出てくるだけですので、写真(というべきか画像というべきか)やメモが重要なデータになりますが、パソコンとまじめにとりくんだつもりになった2003年ごろよりも前の記憶はほんとに希薄です。もともとの記憶力がいいかげんなところへもってきて、病気としての記憶障害が重なり、思い出すのに時間がかかっていることをご容赦ください。
 わが子は高校を卒業してからなかなか大学に行かず、結局進学したのは3年たってからでしたが、その間の1年をイタリアで過ごしました。別に音楽とか美術の方向をめざしていたわけではなく、語学留学ということで行ったのですが、さすが20歳くらいのことはあって、半年たったころには普通の上ランクの実力は身についていたようです。なにしろテレビのインタビュー(もちろんイタリア語)に出くわしても平然と答えていたほどで、あまりの進歩にびっくりでした。
 まあ、わが子の成長などというものは親の自己満足に過ぎませんのでほどほどにしておきますが、イタリアでのことはわたしとしてはかなりの驚きだったこと、これはまぎれもない事実です。
 わたしがイタリアに行った総日数はせいぜい100日から120日の間だと思いますが、その中で、単に遊びに行った旅行と、住んでいる人(イタリア人とは限らない)に会いに行く出張がだいたい半分くらいですが、その日々は恵まれていたと思います。ヨーロッパに行った回数でもオランダ、デンマーク、フィンランド、ギリシャ、ブルガリア、チェコに各1回、スペインとベルギーに各2回と、行ってはいるがたいしたことない中味(例外はありますが)であるのに比べれば、イタリアはヴェネツィアとローマに6回、フィレンツェとミラノに4回など、日本国内の著名な旅行先よりも数多く伺っています。まあ、回数でいえばドイツ、オーストリア、フランス、イギリス、スイスにもそれなりに行ってはいますが、これは出張が圧倒的ですし、逆にポルトガルは個人旅行のほうが多いので、公私の回数がほぼ同じ、という意味ではイタリアに勝る国は他にないでしょう。
 イタリアに行くときはなんといっても飛行機が多かったですが、鉄道でドイツやオーストリアから行くこともありました。いつだったかチューリヒから夜行でミラノに向かったとき(たぶんそれが最初のイタリア訪問だった)は、朝がくるのが本当に楽しみだったものです。
 病気が直って飛行機に乗る、それも国際線で出掛けるなどというのはいまとなっては遠い夢ではありますが、いつか機会があれば、イタリアにはまた行ってみたいと思います。
 
 

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