ある脳出血患者の記録1

 2020年の12月末にわたしは突然倒れ、緊急入院しました。自分ではどうにもならず、周囲のみなさんのおかげで病院に行き、いろいろな施術を経てどうやら現在のところにいるわけですが、果たしてそのとき周囲にとってわたしはどんなふうに見えていたのか、そしてわたしからはまわりがいかに映っていたか、そのあたりのことは、書いておきたいと思います。それは、わたしが体験したからだの異常と現状に至るまでの措置・対策についての記述でもあります。決してこれで終わったわけではなく、これからの脈絡によってはなにがどうなるかまったくわかりませんが、現在のわたしが手にすることのできる情報はだいたいお出しできていると思います。
 
はじめての経験
 
 いろいろ書きたいことはあるのですが、一番伝えたいことは忘れてしまっていることがほとんどですので、少しづつ、覚えていることから書いていきます。みなさまにはあまり興味がないことが多いですが、がまんしてお読みください。
 
はじまり? 終わり?
 わたしが倒れたのはまっ昼間です。急に倒れたので自分ではどうすることもできず、家内も出かけていましたので数時間(おそらく3時間くらい)は寝たままの状態でした。家内が外出先から帰ってきてわたしの異変に気づき、急いで救急車を呼んでくれたわけです。
 最初は近くの大きな病院に入院しました。自分の意思ではなく救急車が連れていってくれたのでしょうが、その経過については残念ながら知るべくもありません。しかしながら、救急隊員の方々も病院のみなさんもめいっぱいやってくださったようです。どれくらい経ってからか、夢だか現実だかもわかっていなかったのですが、(というか、いまから思えば明らかに夢なのですが)毎日いろいろな看護師の方に診てもらったものの、医師の方には出会った記憶がありません。そのうち、別の病棟に行って女性の医師が現れたりした場面もありましたが、背景などからするとやはり夢だったようです。医師という仕事のかたには、なかなか現実にお会いする機会には恵まれませんでした。結果としては、手術することなく入院することになったようです。
 本人がバタバタしていた同じときに、家内は家内でたいへんな思いをしていましたが、それはそのうち、彼女が文章にしてくれるでしょう。わたしは、といえば、2021年1月中旬(らしい)にリハビリテーションの専門病院に転院しました。これも自分には決める権利などなく、わたしの長男の判断で決まったようです。最初の病院にいたのがおそらく2週間、その後の入院生活のすべてを、ここで過ごしたわけですが、かつてその病院の近くで働いたこともある私としてはただならぬ縁だったと、いまにしてみれば思います。しかし、当時はそんなことはまったく考えもしませんでした。
 手元に残った資料では調べようもありませんが、1月中はまだ意識がはっきりしていない時間がほとんどだったようです。2月になると呼びかけに呼応する時間がいくらか多くなり、2月末から3月アタマにかけて、ようやく自分が誰で、いまどういう立場なのか、ということがわかってきました。
 この時期は新型コロナウイルスの影響が非常に強く、妻が面談にくるということもありませんでした。(病院にはきていたそうなのですが、わたしとはしばらく会えませんでした)これで、わたしは妻に見捨てられたのか、と勝手に思ったわけです。おそらく当時入院していた多くの患者も同じようなものだったでしょう。入院先の4人部屋で、孤独な生活がはじまりました。(くどいようですが、わたしが一方的にそう思っていただけです。後日、平謝りに謝ったのはいうまでもありません。)
 入院というものがいかにひとりきりのさみしいものであるかはわかっていたつもりでしたが、現実にはそこではじめて知りました。個室のかたはそれなりに孤独なのかもしれませんが、4人部屋は別の意味で孤独です。入院しているうちの3時間はリハビリ、あと3食の食事時間、その他は(なんだかんだといわれる日はたまにありましたが)自由時間といわれましたが、それをどう使うのかも自由だというのです。はじめはどうするべきかがわからず、そのうち何をやるにも自由どころか不自由の極みだとわかり、まったく困りました。
 それに輪をかけての新型コロナです。しばらくの間、わたしは自分のおかれた状況がまったく理解できませんでした。
 いろいろな本を読むと、病院にいるあいだに有効に時間を使うことができる(できた)人はたくさんおられることがわかりますので、時間を無駄に過ごさないと決めたかた、あるいはそのサポートをしようとお考えのかたは、ぜひそのような本をお読みになることをおすすめします。わたしはそうではないかたのために、この先を書き進めたいと思います。

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