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【読書】きみを死なせないための物語②


こんにちは!エルザスです。


いまエルザス的「このマンガがすごい!」大賞ぶっちぎり1位である

きみを死なせないための物語


の感想を綴っていきます。

前回の記事はこちら↓



今回は、本作を題材に

利他と利己
あるいは
モラルとインモラル

について考えてみたいと思います。


以下、『君を死なせないための物語』最終巻(単行本第9巻)までのネタバレを含みますのでご注意ください!





エルザスにとっての利他と利己


自分語りから始めさせてください。

私はもともと、「利他的な行動こそ素晴らしい」という価値観でした。
つまり、「自分のためではなく他人のためになる行動を取ること」が倫理的に正しいと思って生きてきました。

反対に、利己主義は悪いものだと思ってきました
それは自己中心的な考え方であり、利己的な行動を繰り返しているうちに他人から愛想をつかされ、長い目で見ればかえって自分のためにならない、と信じてきました。

そんな価値観を考え直すきっかけになったのが、育休を取ろうと思ったことでした。

職場のことを考えたとき、私が長期育休を取ってメリットがあるのは私一人だけで、同僚には業務のしわ寄せがいくというデメリットしかない。
したがって、私が長期の育休を取るのは利己的と言わざるを得ない。

「利他行動こそ善、利己主義は悪」という価値観だった私は、かなり悩みました。
でも、子どもの成長を間近で見たかったので、やっぱり育休は絶対に取りたかった。

結局、私は1年間の育休を取得し、本当に充実した日々を送ることができました。育休のおかげで人生がどれだけ豊かになったかわかりません。

それでも、私の中では「利他と利己、結局どっちが善なのか」という命題が残りました

育休をとって確かに私は幸せになれたけど、それは職場の人の犠牲の上に成り立っていて、やっぱり私は利己的な判断をしたんだと思う。
一方で、私が利他的な価値観のままだったら、きっと育休を申し出ることもなく、この幸福を味わうことはなかった。
利己的に動いてみてはじめて幸福がつかめるとしたら、利他行動がモラル的に善しとされているのはなぜなのか。皆が利己的になったら社会が回らなくなるからか。
ならば、私が育休を取ったのはやはり倫理的に間違っていたのか……


思考は同じところをグルグル回り、以来ず〜っと利他と利己のバランスのことが頭の片隅にありました。


そんなとき、『君を死なせないための物語』を読みました。そこには、利他と利己それぞれの長所・短所に関する鋭い洞察が描かれていて、乾いた脳みその土壌にスーッと水が浸透してくるような、心地よい感覚を味わいました。

これこそ私が欲していたものだったのです。



ルイとシーザー

ルイ(左)とシーザー(右)
対照的な人間性の2人


この作品の中盤(3〜6巻くらい)は、ルイとシーザーの2人を中心に回っていたといっても過言ではありません。

ルイは芸術家として活躍する感性豊かな人物です。
作中で人類が暮らす宇宙コロニー「コクーン」では、あらゆる人間関係を当局が管理していますが、ルイはそんなコクーンの社会制度に反感を持っています。
コクーン社会の常識に照らして彼を一言でいえば、インモラリスト(不道徳者)です

シーザーはアメリカ人コクーンの大統領の息子で、米空軍の幹部です。勇敢で有能で思いやりもあり、さらに責任感が強く、周囲の期待に応えて動くことを善しとするタイプです

ルイは利己、シーザーは利他の精神を体現した人物といえるでしょう。

かつての私なら、迷わずシーザーに感情移入してルイを軽蔑していたと思います。ルイは自分本位な振る舞いが多く、現に主人公のアラタに「お前のそれは傲慢だ」と注意されたりしています。
利己主義は常に傲慢と隣合わせなのです。

しかし、ルイの奔放な言動(わがままと言っても良い)は、どこか魅力的でもあります。
単なるわがままに見えても、ルイの中には確固たる自分軸があって、それに従って生きようとしているだけなのがわかるからでしょう。


モラリストの限界

ルイのシーザー評にも見るべきものがあります。モラリストの限界を厳しく指摘しているのです。

ルイとシーザーが恋人関係を解消したときのこと。
本作のヒロインであるターラが、2人のヨリを戻させようとルイと話します。

ターラ「ねぇ…シーザーはいつもあなたの望みを叶えようとしていたわ
自分よりもあなたの幸福を願っていたわ
18年前の祇園さんとあなたの結婚式のためにシーザーがどれだけ尽力したか………
シーザーの愛はそういう愛よ
わかってあげて」

ルイ「でもシーザーは祇園さんが堂々と生きられるように世界を変えようとは考えないよ?
いつだって安全圏から笑顔でほどこしをするだけの男なんだよ
親に逆らって意地をつらぬくとか!禁止された人工授精医療をよみがえらせるために働くとか!
そういうことは全く思わない男なんだよ!」

単行本3巻より


「祇園さん」というのは、ルイがかつて婚約していた人で、ダフネー症という不治の病を患っていました。ダフネー症患者はコクーン社会では差別されていて、祇園さんはルイとの結婚式を挙げるや否や自殺してしまったのです。

そのことにショックを受けて抜け殻のようになってしまったルイに、精一杯寄り添ったのがシーザーでした。


さて、ルイのシーザー評はどうでしょうか?

私は、真理を突いていると思います。
利他を重んじるのがモラリストの特徴ですが、そんなモラリストは往々にして既存のルールや常識の枠内でしか行動できないのです。
自分の願望を果たすために、あるいは今置かれている理不尽な状況を変えるために、「大胆な行動に出てルールをぶち壊そう!」という発想はまず出てこない。
ここに、モラリストの限界があるのです。

インモラリストは違います。理不尽な状況があるなら、そうさせているルールを破ることをいとわない。

程度にもよりますが、時には常識をうち破って、自分らしさを貫いて生きたほうが幸せになれる場合もあるでしょう。



まとめ

私が1年の育休を取る前、会社ではそんなに長い育休を取る男性は皆無でした。
つまり、男性は育休を長く取らないことが常識でした。
私は少しだけインモラリストになって、その常識を破りました。結果、本当に幸せな時間を過ごすことができたし、育休を終えた今も「自分らしさ」や「自分のやりたいこと」を大切に生きることができています。
そしておそらく、私という先例があることで後に続くパパたちが長い育休を取りやすくなった面もあるでしょう。

モラリストは「道徳」という他人が決めた軸によって生きています。
それはそれで立派だし、世の中の平安のために大事なことではあるのですが、インモラリストのルイのように、強固な自分軸によって生きている人間が眩しく見えるのもまた事実だと思います。そして、そういう人が社会の変革の先駆けになることもあるでしょう。

私はこの『君を死なせないための物語』を読んで、利己的でインモラルに思えた自分の育休取得をようやく許せました
モラリストのままでは決断できる範囲に限りがあり、結局自分の幸せも後進パパのメリットも生み出せなかったでしょうから。


というわけで、このマンガはこんな人にオススメです!

  • 発想の範囲がモラルの鎖に縛られている気がする

  • 他人のためではなく、自分のために生きる方向へ一歩踏み出したい

  • 哲学できるマンガが読みたい

これらに当てはまる方はぜひこの『君を死なせないための物語』を読んでみてください!



ではまた!


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