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『美術展の不都合な真実』古賀太著:安易で企画意図がない企画展が増えた理由

現在は日本大学 芸術学部 映画学科 教授で、かつては国際交流基金で日本美術の海外への紹介、朝日新聞社で展覧会企画を手掛けた著者が、日本の美術展の世界でも特異な実態を解説する本(2020年発行)。

「混みそうな美術展」は展示概要を見ればすぐわかる

本書の内容はわりと周知の事実だと思っていたことが多かったが、一般にはあまり知られていなかったのだろうか?著者はあとがき(「おわりに」)で「一般にはほとんど知られていない」(p. 209)と書いているので、そうなのだろうが。

私はなぜ知っているのかよく覚えていないが、大学で学芸員資格を取ったときに授業で聞いたか、それで気になって少し調べるかしたのか?

高校生のときから、「この展覧会・企画展は新聞社やテレビ局が主催に入っているから、マスコミで大々的に宣伝して、一般受けするテーマで、混むのだろうな」「これは美術館の学芸員だけで企画したもので、お金はかけていないが、日頃の研究成果を反映しており、もしかしたら見応えのある内容かもしれない」などと考えていた(笑)。

しかし、学芸員課程の講義で、「通常、美術館・博物館(ミュージアム)のコレクションの作品の貸し借りは、お互い様なので、貸出料は発生しない。借りる方が保険料を負担することはあるが」と聞いたように記憶しているが、本書では、日本で西洋美術の企画展を開催する場合、日本には西洋美術の名作はほとんどないし、マスコミとの共催展になるからマスコミが多額の借用料を出すので、欧米の美術館にとっては日本への作品貸し出しが多大な収入源になっている、とある。植民地主義のような搾取構造、と言っては言い過ぎか?

本書で少し触れられている、企画展を企画する会社があり、そこにマスコミが依頼することも増えてきているという話も知らなかった。

企画を放棄した企画展

マスコミとの共催展がブロックバスター展になっているのは今も昔も同じだが、それにしても最近はあまりにも「企画」を放棄した企画展が多くはないだろうか?

「〇〇美術館展」「印象派展」というだけで駄目とは言わないが、せめて何らかの企画意図、コンセプトが欲しい。持ってこられる作品を集めて、ただ時代順や作家ごとに並べ、教科書に載っているような一般的な解説を付けました、みたいな展示にはさすがにうんざりしてしまう。

「一般の方向けに、本物の作品を見ながら西洋美術の歴史がわかる展示にしました」ということもあるかもしれないが、そう言えるほどの名品が本当に集まっているのか?少しは集まっていたにしても、作品自体の魅力に頼り過ぎて、企画の労を省いていないか?どの美術館も同じような企画展を繰り返していて、いずれ客に飽きられるか、もっと悪ければ、それで満足してしまう鑑賞者を量産することにつながりはしないか?

資金と人員が圧倒的に足りないという現状はあるだろうが、なんとかならないものか・・・。と本書の著者ならずとも悩む。著者が指摘するとおり、これでは学芸員などの人材育成もできない。

改善策はあるのか?

著者が提案するのは、一つには、欧米の美術館のようにコレクション(所蔵品)目当てに訪れてもらえるよう、展示を工夫すること。ただし、財政難で新規購入ができず、収入確保のために共催展も開催しなければならなくて手が回らないという厳しい状況がある。だから著者は、複数の美術館のコレクションを一つにまとめたり、作品のデータベースを構築して貸し借りや売り買いをしやすくするという案を提示している。

ほかに著者は、地域振興のイベント的な芸術祭や、それとは異なり、ディレクターがいて「政治的」な要素が濃厚な作品も取り上げる「あいちトリエンナーレ」や、若者たちの集客に成功した現存作家の個展にも、一部には問題提起しつつ、可能性を見いだしているようだ。

どうすれば現状を変えられるかというのは難しいが、どういう美術館にするかはどういう鑑賞者が育つかということと表裏一体で、「卵が先か鶏が先か、いやどちらも同時にしなくてはならない」ということなのだろう。著者も、「少しでも目の肥えた成熟した見方をする美術ファンが増えることの方が、結局はよりよい美術館や展覧会の環境を作っていくと思う」(p. 209)と述べている。

舞台芸術界にも通じる問題

この問題は、演劇や、バレエ・ダンスの公演にも共通するところがある。

言い方は悪いが、演劇は「客寄せパンダ」的な俳優(やアイドル)を起用すれば、高価なチケットが売り切れる(もちろん、優れた演出家の下、作品自体がよいものとなることはある)。ミュージカルも海外の「大ヒット作」を上演できれば、客入りは期待できる。しかし、コストをなるべくかけずに志を持って地道に作った作品は全然売れなかったりする(客席に関係者の割合がやたら多くなったり)。

バレエも、「人気演目」「(国内外の)人気ダンサー出演」の公演はチケットが売れやすい。バレエも西洋美術と同じように欧米が「本場」だから、来日公演などは海外のバレエ団やダンスカンパニーが稼ぐ手段でもあるのだろうか?それで、伝統的で「手堅い」ものが人気で儲かるとなれば、新作や意欲的な作品は上演しづらくなる。

コンテンポラリーダンスは、「客寄せパンダ」となる振付家やダンサーの数が、よいのか悪いのか、演劇やバレエと比べると圧倒的に少ないかもしれない。客がたくさん入る公演もあるが、関係者ばかりが見に来たり、客が入らなかったりする公演の方が多いだろう。

ただ、バレエやコンテンポラリーダンスで人気のダンサーは、実力も大いに伴っている場合が多そうだ。演劇のようにテレビ俳優だと人数が多いし、演技力だけが人気の原因とは限らない。しかし、たぶんバレエやコンテンポラリーダンスはもっとマイナー分野で誰もが目にするものではないから、業界内で知られた人がテレビなどにも呼ばれ、有名になるから、人気と実力が一致するのではないか、などと思ったりする。

一般庶民に面白いアートが届くように

日本の企画展の入場料が最近まで1600円くらいが多かったのに対し、イギリスやアメリカの企画展はもっと高い場合が多かったと思う。しかし今や日本でも2000円以上することも多くなっている。つまり、映画館より高い。

その価格に設定しないと採算が合わないのだろうが、子どもや学生、高齢者、障害者への割引はあるものの、低所得者向けの割引はないので、「一般庶民」にはますます手が届かない遠いものとなってしまう。気軽に行ける場所では全然ない。

とはいえ、小規模の美術館や、無料入場できるギャラリーで、目の付け所が面白い展示が結構行われているのではないかという気がしている。そういう情報も、美術に興味がない人には届きにくいが、美術を好きな人が注目して発信したら、もっと広く届くようになるのではないか。それに、そうした展示では、アートから現実社会を考えるような切り口も見られるので、その意味でも「一般の人」が関心を持つきっかけになり得るのではないか。幻想かもしれないが、そんな期待も抱いている。

もちろん、大規模館、特に公的な美術館が伸び伸びと新しい企画にチャレンジする環境も整えてほしい。私としては、そこに税金を使ってほしい。私を含む一般庶民に良質なアートを届けてほしいと思う。少しずつ、小さい企画でも、新しい意欲的な試みを続けるとか、そういうことも大事なのかな。

マスコミの文化事業については、動くお金や人の規模が大き過ぎて、急に変えることは難しそうだが・・・。彼ら自体が、「儲かる」だけでない発想をもっとしながら仕事してくれたら少しはましなのか?(もちろん、美術として見せる価値があるかなども考慮しているとは思うが)でも、新聞社もテレビ局も、本業は苦戦を強いられているだろうし。儲からなくなれば撤退するのかな。しかしそのときの日本のアート界はいったいどうなっているのだ?

悩みは尽きない・・・。


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