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雑感記録(287)

【「/」の隙間を考える】


僕の最近の個人的なテーマとして何度もしつこいようだが、「あそび」ということをどう捉えていくかということがある。

これは谷川俊太郎のエッセー「ことばあそびをめぐって」(『ことばを中心に』)という所から拝借した考え方である。と大仰に書いている訳だが、その実はどうということは決してない。詳細については以下の記録を読まれると良いのかもしれない。

具体的には「あそび」という所の「隙間」「空間」だと思って貰えればそれでいい。だが、「ただそこに在る空間」ということでは決してない。ここでの「あそび」というのは「AとBが衝突するその先端に於ける空間、隙間」というイメージだろうか。つまり、前提として「二項対立」が存在する。僕は個人的に、今の社会を生きていると西洋的な「二項対立」が席巻する時代だと感じる訳だ。

先日、古本まつりで購入した宇野常寛『ゼロ年代の想像力』を読んで、どことなく感じた。というのも、論考の中でしきりに「○○/△△」という構図を出してくる。『新世紀エヴァンゲリオン』の碇シンジの考察や、今僕が読んでいる所は宮藤官九郎の章である。中々刺激的で面白く、個人的に愉しく読んでいる。だが、僕はこの「○○/△△」というこの「/」が気になって仕方がない。話としては面白いのだが、文字レヴェルで僕はあまり好きにはなれそうにない。

それで、この「/」という記号は、何かを対立させる場合にしばしば使われる。ある意味で数学の分数を表示する時に、横書きの場合はこれを、例えば「2/3」や「3/100」というように表示する。分数の場合は分母の裡の何個かということが示される訳で、対立している物、それもとりわけ二項がある訳ではない。ただ、数字を1つのブロックとして見るならばどうだろう。「2」と「100」をそれぞれ数字という記号に置き換えれば、これ自身も「二項対立」である訳だ。

また、哲学などではこの「/」というものはしばしば使用される。とりわけ、デリダは過去に何度も僕の記録で登場している訳だが、所謂「脱構築」という概念、あるいは「差延」など様々な概念を引っ提げている訳だが、彼もまたそういった二項対立に対して疑問を抱いたうちの貴重な西洋哲学者だったのかもしれないなと僕は勝手に想像している。

今回の記録で設定したのは「/」の隙間を考えるということである。それはすなわち「あそび」の空間をどう捉えるか、あるいはそれをどう醸成するのか(ここでは「見出す」という方が合っているかもしれない)ということについてを書こうとしている。

これを書くにあたり、僕は先日の記録で引用したことを再び引用することになるだろう。それだけは先にここで断っておくことにしよう。


さて、早速「/」の隙間について考える訳だが、その前にこの「/」という記号について少し考えねばなるまい。結論として、僕は二項対立を記号として便宜上示すためのものという方面へ持っていきたいと思うのだが、しかし言葉がそう持っていくかは僕の知る由もない。

この「/」というのは、スラッシュと言う。と今更ながらにこんな説明も馬鹿馬鹿しいったらありはしないが、調べてみると大概が「語や文を区切るためなどに用いる斜めの線」ということらしい。確かに僕もそういう意味で「/」を利用している。前後のものを区別するためのメルクマールとして使用している訳だ。例えば、会社である1つのファイル、これは何でもいい。ExcelでもWordでも何でもいい。それを作成したとしよう。その際に名前を付けるときに分かりやすくする際、僕はこの「/」を利用する。区別する意味もあるし、それを他の者とは別のファイルであることを一目で分かりやすくする為である。

だが、冷静に考えて、幾ら「/」で区切ったところで、その区切られた方とお互いがお互いに実は関係しているということがある。記号上では一見すると区切られている訳だが、その実は「/」を超えてお互いがお互いに連関しているということがある訳だ。あくまで、僕らがこの「/」を区別するものだという認識があるのならば、それは字義的なものでは無く、記号的な意味合いであるということが分かる。しかし、これもまた書いていて思うが、至極当たり前のことである。

こういう時に言葉というのは難しいものだと痛感する。所謂、「シニフィアン」と「シニフィエ」の問題である。これについて詳述することはここではしない。何故ならば、日本語で考えだしたらキリが無いからである。漢字をどうしても含めざるを得なくなり、新たに再検討せねばならなくなる。況してや、あくまで「/」とはなんだということについて今は書いているのである。こちらの問題はソシュールを読んだ人々にお任せしよう。

いずれにしろ、「/」というのはあくまで記号的な断絶を示すものであり、その内奥にあるものは連続している。記号上で、つまり我々に対してその内容云々の前に、情報伝達の記号の1つとして機能するのであり、表層的な部分での区別である。そう考えるとすれば、この「/」の両端に居るものは、実は記号上では繋がっていないけれども、意味的には繋がっている。そういう感じが僕にはするのである。

だが、どうして「/」が区別するという記号的役割から、「対立する」「相反する」というような意味合いを孕んでしまったのだろうか。

先程、僕は分数を例に挙げたが、例えば「2/3」。これも言ってしまえば、2と3を区別している訳であり、「3のうち2つ」というように3いう記号に2がある種連関している状態である。記号上で見てみても「2」と「3」を区別するだけであり、別に対立している訳ではなく、相反するものでは無い。また、インターネットのURLも言ってしまえばそうだ。あれは結局、区別しているとは言え、総体として1つのページと成り得る訳で、お互いがお互いに連関しあうのである。記号上、つまり見た目の問題として区別できるからなのか?しかし、そうであるなら「/」である必要性はどこにもない訳で、例えば「△」でも良い訳だし、「_」でも良い訳だ。

「区別をすること」=「対立すること」という系図に繋がるのが僕には気になって仕方がない。これについては、まだ僕の中で考えが固まっていないのでここまでにするが、いずれにしろ現在では「区別」よりも「対立」という意味を「/」という記号が持ってしまったという印象を受ける。その背後関係については、また別の機会に考えてみたいと思う。と書いている時は、実はとかく人間考えないものである。


それで、この「/」というのは対立を現代では表現する。

例えば「聖/穢」「善/悪」「優/劣」…様々に考えられる。漢字で表現すると、「/」を入れなくても1つの単語、熟語として成立するからややこしい。だが、ここが僕は日本語のというか、漢字の良いところだなと思う訳だ。つまり、相反するものあるいは対立するものが同じ地平に並び、しかも手を取り合って2つで1つの意味を構成するのである。お互いがお互いに連関することを分かっているという、日本人の古来よりの発想なのかもしれない。

ところが、先に「聖/穢」「善/悪」というようにわざわざ「/」という記号をぶち込んでしまった。それは記号的にも字義的にも繋がっていたものを切断する。そんなような印象を抱いてしまう。つまり1つあるものをわざわざ「/」という記号によって2つに分割しようとしている。

ここで1つ面白い引用をしたい。たまたまこれを考えていた時に鈴木大拙の「東洋的見方」(『東洋的な見方』)を読んだのだが、これが僕のこのモヤモヤしていたものに1つ大きな衝撃を与えてくれた。それは昨日の記録にあまりにも嬉しくて引用してしまったのだが、再度ここで引用しようと思う。

 東洋・西洋というと、漠然としたことになるが、話の都合がよいから分けておく。東洋的見方または考え方の西洋のと相異する一大要点はこうである。西洋では物が二つに分かれてからを基礎として考え進む。東洋はその反対で、二つに分かれぬさきから踏み出す。「物」といったが、これは「道」でもよし、「理」でもよし、「太極」でもよし、神性でもよし、絶対「無」でも、絶対「一」でも「空」でもよい。とにかく何かある、それが分かれぬ前というのは、「渾然として一」である状態である。これは甚だ誤解しやすい言詮であるが、今しばらく仮にそういっておく。言葉はいつもこれで困るのだ。それで西洋の考え方は、二元から始まるとしておく。
 二つに分かれてくると、相対の世界、対抗の世界、争いの世界、力の世界などというものが、次から次へと起こってくる。西洋に科学や哲学が、東洋にまさって発達し、したがって技術の面にも、法律的組織の面にも、著しい進捗を見るのは、いずれも個に対して異常な好奇心を持っているからである。東洋はこの点において大いに学ばねばならぬ。対抗の世界、個の世界、力の世界では、いつも相対的関係なるものが、弥が上に、無尽に重なりゆくので、絶対個は考えられぬ。いつも何かに連関しなければ考えられぬ。個は、それゆえに、常住、何かの意味で拘繋・束縛・牽制・圧迫などいうものを感ぜずにはおれぬ。すなわち個は平生いつも不自由の立場におかれる。自ら動き出ることの代わりに、他からの脅迫感を抱くことになる。たとい無意識にしても、そのような感じは、不断あるにきまっている。

鈴木大拙「東洋的見方」『東洋的な見方』
(岩波文庫 1997年)P.20,21

これを晩年に書いたというのだから、やはり鈴木大拙は凄いのだが、いずれにしろここで言いたいことは、西洋は2つに分割したところから話が始まるが、東洋はそれが2つに分裂する以前から始まるという点である。今、僕は漢字の形態にそれを見出したということである。もう少し具体的に話をしてみよう。

漢字は先の「聖/穢」「善/悪」というように相反する意味を持つ、対立する意味を持つ字が並び熟語を形成することがある。対義語の並列関係である。例えば、これが対義語じゃなくても「永久」とか「身体」とかそういったものでも成立する。今回はあくまで対義語の並列に着目している訳だ。他にはどんな熟語があるか。「山河」「東西」「美醜」などがあるだろう。これに敢えて「/」を入れてみようと思う。

「山/河」「東/西」「美/醜」

こう表示すると、それぞれが個として存在「させられている」という印象を持つ。本来は「山河」として山と河が混然一体としている物で、対立しているもの同士が調和を取り、1つの物として、「山河」としてそこにある。風景的に見てもそうだろう。山に行けば大抵河はセットだ。多分ね。「美醜」だって醜いものの中にも美しさはあるだろうし、また逆も当然然りで本来的には対立するよりもいい関係を保ちながら漢字のように共存している訳だ。

しかし、例えば英語圏の人が「山河」(さんが)、「美醜」(びしゅう)と言う時それを「サンガ」「ビシュウ」というより「mountain and river」「beautiful and ugly」という方が意味が通じるだろう。だが、このmountainとriverとはそれぞれが別の個であり、合わせて使うには「and」というようにワンクッションを入れなければ通じない。そう考えると「/」というのはある意味で西洋的なものであるような印象を受ける。つまり、彼らにとってはそもそも「山」と「河」対立して存在しているということが分かる。そこから西洋は始まるのである。

とすると、「and」と言うものがある種「/」と同じ役割を演じているとも言えるのではないか。何となくそんな印象を受けた。そう考えると、西洋の場合はこういった簡単なレヴェルに於いても「/」という対立の概念、つまり「二項対立」が垣間見える。混然一体となっている「山河」を「mountain」と「river」と個々に二分割にして、「and」つまり「/」で対立させてあげないと物事を捉えることが出来ないのである。


だが、鈴木大拙が言うように、この二項対立があるお陰で成長できたという点を認める点は凄いと思う。僕は鈴木大拙にこそこの「あそび」という概念を体現しているように思える。

もう少し遠回りをしよう。

これも過去の記録で引用しているのだけれども、この鈴木大拙のように東洋的、西洋的とも捉えつつそれは文化的な話ではある。だが、それを文学のレヴェルで簡単に纏めたことを書いているのが大澤真幸の『近代日本思想の肖像』である。これも引用してみよう。

 …日本の近代文学や文芸批評は、西洋の哲学や思想を直接に翻訳することの失敗を補償したのである。小説が、そして文芸批評が、われわれの日常言語と思想の言語を媒介してきたのだ。文芸批評が、やがて、守備範囲を拡張するような形で西洋哲学やその他のアカデミックな領域を呑み込んでいく。たとえば小林秀雄はベルグソンを論じ、吉本隆明はマルクスやヘーゲルに言及し、さらに柄谷行人がデカルトやカント、マルクスを我が物にしてきた。そして、西洋哲学は、文芸批評の言語の中に組み込まれたとき、その範囲内で、日本語による思想の言語の財産目録の中に登録されてきたのである。

大澤真幸「まえがきに代えて 哲学と文学を横断すること」
『近代日本思想の肖像』(講談社学術文庫 2012年)
P.13

恐らくだけれども、西洋哲学を日本に輸入する場合、二項対立に苦しんだのではないだろうかと僕は勝手に想像する。翻訳の難しさというのは、何となくだけれども外国語に言葉の「あそび」が無いような気がするのである。日本語の翻訳はとかく難しく、我々が読むと特に明治期、大正期の翻訳物を読むと何だか訳が分からない日本語が羅列され、読む方は一苦労である。

僕は個人的にここにも言葉のレヴェルとしての二項対立、そして文化的レヴェルとしての二項対立というものがあるのだと思っている。

言葉については先の通りである。つまり我々は「山河」を個としてではなく、合わせて見るのである。英語では「山」と「河」は個で存在せねばならず、それを1つと見る為には「and」という切断線「/」が必要になってくるのである。先の繰り返しになる訳だが、西洋の場合は1つのものを二分割しなければ始まらないのである。これは逆を返せば、つまり僕等からするとこの二分割を1に戻す作業がある意味で翻訳と言っても良いかもしれない。

そう考えると、西洋哲学を日本に持ち込んだ知識人というのが多言語操れるというのはなるほど、納得できる。1←2、1→2の双方が出来ることがある種の条件だったかもしれない。だが、それに耐え得る程の強度を恐らく日本人は持ちえなかったのだろうと思う。そういえば、夏目漱石のことを少し思い出した。

〇二個の者がsame spaceヲoccupyスル譯には行かぬ。甲が乙を追ひ拂ふか、乙が甲をはき除けるか二法あるのみぢや。甲でも乙でも構はぬ強い方が勝つのぢや。理も非も入らぬ。えらい方が勝つのぢや。上品も下品も圖々敷方が勝つのぢや。賢も不肖入らぬ。人を馬鹿にする方が勝つのぢや。禮も無禮も入らぬ。鐡面皮なのが勝つのぢや。人情も冷酷もない動かぬのが勝つのぢや。文明の道具は皆己れを節する器械ぢや。自らを抑へる道具ぢや、我を縮める工夫ぢや。人を傷つけぬ爲め自己の體に油を塗りつける[の]ぢや。凡て消極的ぢや。此文明的な消極的な道によつては人に勝てる譯はない。—夫だから善人は必ず負ける。君子は必ず負ける。德義心のあるものは必ず負ける。淸廉の士は必ず負ける。醜を忌み惡を避ける者は必ず負ける。禮儀作法、人倫五常を重んずるものは必ず負ける。勝つと勝たぬとは善惡、邪正、當否の問題ではない―powerデある―willである。

夏目漱石「斷片(明治38年11月頃より明治39年夏頃まで)」
『漱石全集 第11巻』(1919年 漱石全集刊行會)P.191

つまるところ、これは「選別と排除」の問題である。西洋的な観念としてそもそも前提には暴力的なものが潜んでいる。漱石はこれを「same spaceヲoccupyする譯には行かぬ」と述べている訳だ。言いかえればこれは2つのうちのどちらか一方でなければならないということである。混然一体としている物を2つに分けておきながら、そのどちらか一方に支配されなければならないのが西洋的な考え方である訳だ。些か暴論ではある訳だが。


よくよくこうして見ると、やはり明治期頃からすでに「二項対立」というのは言語のレヴェルで既に蔓延し、顕在化した。それはとりわけ、小説という分野で発生したのではないかというのが僕の見立てである。「翻訳」というものが最たるものである。それを目の前にし、「mountain and river」というものを「山河」と翻訳する。だが、英語では「mountain」と「river」と既に個として分けられたものがある訳で、それを1つの混然一体とした「山河」というのはどうもうまく行かないのはある意味で必然だったのかもしれない。

そういった流れは、言語の進行そして小説の大衆化や翻訳小説ではなく自己の言語での文学が発達したこと、そして哲学というものの流入が用意ウになったことにより、顕在的な二項対立はいつの間にか潜在的なものへと移行して行ったのではないか。ただ、鈴木大拙も指摘しているように、それが一概に悪い訳ではなく、今事実としてそういう思考の元に自国が発達したということもある訳だ。

だが、冷静に僕は、これの「二項対立」という概念そのものが日本人にとって合っているかというのはまた別の問題だと思っていて、僕は合っていないと思っている。勿論、そういう考え方は必要だとは思う。それが体質的に合っているかいないかは別として。

それで、僕はここ最近どうもそういう「二項対立」みたいな構図で考えられてしまっている傾向が強いと感じている。これは過去の僕の記録でゴジラについて書いた訳だが、どちらかが悪であり、どちらかが正義であるというのはキッパリと分けられるものではない。だが、このご時世というか、曖昧な態度は許されない傾向にある。そうだな…もう少し分かりやすく書いてみよう。

皆さんの中高時代を思い出してほしい。これは僕の数少ない経験談、というより外野から見ていたことだ。所謂「渡り鳥」的な奴が居る。つまり、どちらのグループにもいい顔をする奴だ。これをもっと言いかえるとするならば、「宙づり状態の人間」である。どちらの立場とも言えないけど、でもそれなりに上手くやっているタイプの人間である。大概、こういう人間は嫌われる傾向にある。何故ならば、どれかのグループに属さなければ排除されるからである。自分の安心を確保する為には染まらなければならない。

こう書くと、ホッブスの『リヴァイアサン』などが想起される訳だが、ここでは触れることはしない。それに柄谷行人の『世界史の構造』あるいは『力と交換様式』での所謂「交換様式B」が連想される。これも読んで貰う方が有益だと思うので書きはしまい。ここで重要なのは、二項対立(あるいは何項対立でも構わない)の中では、どちらか一方の立場を取ることを要請される。自分の意志とは関係なしに、その対立しているコミュニティの空間がそうさせるのである。

そして、僕が目指しているのは、この「宙づり状態の人間」であり、彼らが存在する場所こそが「あそび」としての空間であり、僕が現状目指している立ち位置である。


だが、この「あそび」というのは実は中々難しい。それは「おれはどちらの立場でもない」と言えるということは、即ちどちらかの立場の上に成り立っているからである。つまりは、二項対立が前提として、下支えとして存在してしまうからである。

例えば、ちょうど柄谷行人の話をしたから『日本近代文学の起源』を元に少し話をしよう。漱石は漢文学と英文学に狭間に居た訳で、ここでは漱石の中ではある意味で「漢文学/英文学」というような構図があった訳だ。その時に、例えば「俺はどちらの立場でもない」という時、それは少なくともどちらかの目線には立っている訳である。「あそび」からこの「漢文学/英文学」を語る時、それはどちらか一方の立場でしか語れない。「英文学はああでもない、こうでもない」と語る時、そのベースに在るのは「漢文学」が前提として措定されてしまうし、「漢文学はああでもない、こうでもない」と語る時、そのベースに在るのは「英文学」である。

「自分はどちらでもない」と語る時、それは無意識のうちにその二項対立の両方に下支えされてしまっている訳である。これでは「あそび」もへったくれもない。

では、どうしたらいいのか?

そこで話は最初の僕の問題設定に戻る。つまり、そのどちらかを語るのではなく、「あそび」を語ること、「/」の隙間を語ることが重要に思われて仕方がない。こう書くと些か格好つけて書いてしまっている。もっと、簡単にそれを表現している物を引用しよう。僕が毎度毎度引用しているバルト『文学の記号学』である。

すでに示唆しようとつとめてきたように、この授業は、自己の権力という宿命にとらえられた言説を対象とするのであるから、実際問題として授業の方法は、そうした権力の裏をかき、権力をはぐらかすか、あるいは少なくともそれを弱めるための手段に関係する以外ありえない。そして私は、書いたり教えたりしながら、次第に確信するようになったのだが、このはぐらかしの方法の基本的操作はといえば、書くときは断章化であり、語る時は脱線、または貴重な両義性をもつ語を用いて言うなら、遠足=余談(excursion)である。それゆえ私は、この授業において互いに編みあわされてゆく発言と聴き取りが、母親のまわりで遊ぶ子供の行き来に似たものとなることを望みたい。子供は、母親から遠ざかるかと思うと、つぎには母親のもとにもどって小石や布切れを差し出し、こうして平和な中心のまわりに、ぐるりと遊びの輪を描きだす。その輪の中では、結局のところ、小石や布切れそのものよりも、それが熱意のこもった贈物となる、ということのほうが重要なのである。

ロラン・バルト『文学の記号学』
(みすず書房 1981年)P.52,53

詰まるところ、その「二項対立」をズラスこと。そうして「あそび」の場を創ること。それが「/」の隙間を創ることに他ならないのではないかと今の段階では考えている。

所謂、余計な事。これが肝心なのではないか。一見すると「二項対立」で話や社会がどんどん要請する時に、そこから背けるようなことをする。全く関係のない、言ってしまえばこういうSNSでの僕みたいなエセな人間がやる「っぽいこと」が肝心なのではないかとさえ思えている。

自分がやっていることは「それっぽい何かでしかない」ということを受け入れたうえでそれを語っていくこと。最終的に「好きだからそれでいいじゃん」という場こそが僕は必要なんじゃないかなと思う。勿論、こういう哲学や社会学といったもので生計を立てたり、本気で考えている人たちからすれば憤慨ものであることは言うまでもない事実である。「デタラメ言いやがって」と言われるのがオチだろう。

問題は、それを書いている人、つまりは僕みたいな人間がそれを自覚しているかしていないかが肝心だと思う訳だ。「自分が書いていることはデタラメだ。そんなのは百も承知だ。でもいいじゃん。人に迷惑かけてないし、好きでやっているんだから」という場そのものが必要だと思う。それがあってこそ初めて、「あそび」(ここでは「隙間」という意味も含むし「play」の意味も含む)があってこそ初めて何かが生まれるのではないか。僕はそう考えている。


さて、長ったらしくなったのでそろそろ終いにする。

とかく、現在というのは宙吊りにされることに慣れていない。僕はそんな印象を受けている。つまり、「二項対立」のどちらかに所属することで自己承認欲求を満たして満足している。そんな気がしてならない。だが、忘れてはいけないのはやはり原初的な何かであり、2に分割する前の混然一体とした何かである。これを忘れてしまっているような気がしてならない。

再三に渡って恐縮だが、とにかくその原初的な部分をつきつめた「あそび」の場、そしてその空間を今このご時世にどう設定して行くかが、今後を生きやすくする、そして愉しく過ごす鍵なのではないか。そう思っている。

以上。

よしなに。


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