見出し画像

生きる意味あるのかな?

「人間はいつかは死ぬ」という言葉を聞くことがある。大人だと何度も何度も聞く。そして聞くことに慣れるんだけど、子どもには初めてその言葉を聞いたと認識するタイミングがある。今まで耳に入っていたかもしれないけれど、特にその意味について何も考えてこなかったのに、ある日突然「人間はみんないつか死ぬ」という言葉が心の中に響く瞬間があるようだ。

夕食を食べている時に、小学生の子どもがこう言った。

「人間はいつかはみんな死ぬ」っていう言葉から始まるTikTokとか見てると、じゃあなんで生きてるのかな?生きる意味ってあるの?って思う。そしたら、毎日何かを食べる意味あるの?ってなって、全部何もかも意味あるの?ってなる。どうせみんないつかは死ぬんでしょ。死ぬのにわざわざ生まれてきた意味なくない?

と。

めちゃくちゃわかる、と素直に思った。まず、わたしが今まで何度も何度も思ったことだし、なんなら今でも度々、定期的に、かなりの頻度でそう思っている。さらに母親であるわたしがここまで生きても、まだ答えがないのだ。

親としてなんと答えるべきか、と考えるよりも、ものすごくよくわかるその気持ち、ということが強く強く出てきた。と同時に、本当にみんなこんなことを考えるのだろうか?という疑問もあった。

幼い頃からわたしはこんなことばかり考えていたけれど、知人からこういう疑問や考えてしまったということをあまり聞いたことがない。もしかして、自分の遺伝子がこの疑問を生み出してしまったのではないだろうか、どうしよう、生きづらい人生が始まってしまったのだろうか、という不安が襲ってきた。

しかし子どもはパクパクとトマトやキャベツを食べたり、好きなお肉は最後に食べる主義だと言いながらニコニコ笑って食事を続けていた。

わたしはそんな子どもを目の前にして絶句することもなく、間を空けず、問答無用で生きてもらいますよ、という対応をした。脳内では前述のような不安スパイラルが始まっていたけれど、口からはスラスラと言葉が出てきた。

それ、答えのない問いだから。知りたいと思っていたほどの生きる意味の答えは、どこかのタイミングで自分にとってのオリジナルが見つかると思う。それはきっと何個もあるから、その答え探しのハードルは低くしておくといいよ。

例えば今これ食べたら美味しいとか、デザートが楽しみとか、明日行く場所があるとか会う人がいるとか約束があるとか、そんなことだって生きる意味になる。というか、人間だからそう思うわけで人間をやっていくみたいな。小さなことで生きる意味になることを重ねていける。そんなに生きる意味ってたいそうなことじゃなくて大丈夫という前提は入れておいた方がいいかもね。

そのうち、「このために生きてる!」って簡単に思えるようなことがたくさん出てきて、あれもしたいこれもしたい、という時間を過ごしていたら、結果的に生き続けていて、誰かを守りたいとかまだ一緒にいたいとか、なるべく死ぬまで楽しくいたいから健康が必要とかにまでつながるよ。

生きていく流れとしてはこんな感じ。今の所のわたしの経験上は。しかしまぁでもそんな難しいこと考えなくて大丈夫。

とりあえず、あなたが生きている意味はあなたがわからなくても今はわたしがわかっている。毎日起きて生きてることを偉いと思っているし、生きているとわかるから嬉しくて、あなたに生きてほしいと思うからわたしが働いてる。ご飯を一緒に食べてもらえたら幸せだし、一緒に出かけると楽しいし、わたしにたくさんの幸せと生きる意味をくれている存在。

とスラスラ出てきた。

脳内ではあんなことを考えていたのに、心はこんなことを感じていたんだなぁと思いながら、さらにまた別の自分がわたしを見ている感覚だった。

そうやって、そうだからこそ、命は生まれてまたつながれていくのかもしれない。わたしに生きる意味をくれた命がそこにあるという事実。

この記事が参加している募集

#子どもに教えられたこと

33,172件

#この経験に学べ

55,532件

喜びます、ありがとうございます。