瓜田

詩と散文/じぶんの言葉をめぐって

瓜田

詩と散文/じぶんの言葉をめぐって

最近の記事

パスタは茹で上がり、怠惰は加速する

* 午後4時に起きて、洗濯機を回す。 夕暮れ時に回される洗濯機はどんな気持ちなのだろう。RHT-045WCと名付けられたそれは、激しい振動でもって、その苛立ちを表現しているように見える。 * 洗濯機が踊り狂う47分間、僕は今まで放置していた家事をすることにした。まず手始めに、僕は排水口を掃除して、いまにも溢れそうなアメリカ製の灰皿をぴかぴかにした。溜まっていたゴミ袋を新しいものに取り替え、掃除機をかけると、何となく心地よい感じがした。しかしそれでも洗濯は終わらないようで

    • わたしとあなたと彼と彼女と

      僕にはずっと、わからないことがある。 それは、他者とは本当に存在しているのだろうか、ということである。あまりにも人間で溢れた社会の中で、僕たちは毎日、数え切れないくらいの他者と関わっている。街を歩くとき、電車に乗るとき、バイトをしているとき、僕のことなんてさっぱり知らない彼らは、何食わぬ顔をして歩き、食事をし、言葉を発する。僕にはこの事実が、どうしようもなく恐ろしく思えてしまうことがある。というのも、これだけ多くのことを考え、数え切れないほど多くの生き物の命をいただき、信じら

      • ずっと真面目ぶっている

        僕は最近までずっと、いや、今もかもしれないけれど、ずっと、ずっと真面目ぶって生きてきた。 お酒は20歳までただの一滴も飲まなかったし、学校をサボったこともなかったし、親が決めた門限をずっと守ってきたし、倒れた自転車は時間があれば元の位置に戻したりしていた。 真面目アピールをすることが生きがいみたいになっていた時期もあった。「20歳になるまでお酒は飲まない」というスタンスで飲み会を断るたびに、半ば優越感さえ感じていた。本を読み始めたのも、周りに真面目だと思われたかっただけだっ

        • センスの暴力性

          好きなものを好きだと言うことは難しい。 だから、堂々と何かを好きだと言える人を心から尊敬している。 僕たちが何かを好きだと言うとき、そこには常に他者の目線がまとわりつく。好きな音楽を聞かれた時、アイドルグループの推しを答える時、無数の他者が僕の解答を評価してくるような気がして、身体がこわばる。「センス」という評価基準は、いつからか僕たちの好き嫌いにまで干渉してくるようになっていたみたいだ。 個人に許されていたはずの選択の自由は、世間によって作り出された画一的な基準によって

        パスタは茹で上がり、怠惰は加速する

          哲学は死に、将軍はヤギとなる

          ※この文章は映画「哀れなるものたち」を鑑賞後に書いたものです。 文学や哲学の世界に潜り込む時、僕はいつも、とんでもないくらいにわくわくする。だからこれまで、書店は僕にとって夢の世界でしか無かった。 きちんと並べられた背表紙は、僕に知的なハニー・トラップを絶え間なく仕掛け、考え抜かれた初めの一節は、僕を未知なる世界へと誘い、退屈な日常では味わえない興奮をもたらしてくれる。だから僕は、いつしかドラッグみたいに本を読むようになっていた。 何かのきっかけで心を病んだ時、疲れが溜

          哲学は死に、将軍はヤギとなる

          未知のヴェールは恋をもたらす

          電車で隣に座る女の子にどきどきする。 名前も年齢も出身も家族構成も知らないあの子に、必要以上に心が揺り動かされる。 僕が知っているのは、彼女が白いニット帽を被るような女の子であるという情報だけ。 どこから来たのだろう。 どこへ行くのだろう。 偶然同じ電車に乗り合わせたその奇跡と、彼女の未知性にくらくらする。 どんな顔をしているかはよく分からない。隣に座っているし。けれど確かに、適度に距離を保った彼女の肩は、僕をどきどきさせてみせる。 どんな声をしているのだろう。それも分か

          未知のヴェールは恋をもたらす

          年越しはいつだってぬるい温度で

          1年が終わった。 振り返ってみても、何を思い出すべきかは分からない。僕は果たして、何をしただろう? 2023年。 なんとなく迎えた1年は、やはりなんとなく終わりを迎えた。去年と違うのは、年越しの瞬間にジャンプをしたことくらい。2023年最後の日、僕はよく分からない場所で、よく分からない人たちと飛び跳ねた。よく分からない寺で、よく分からない列に並び、よく分からないままに、よく分からない相手に祈った。瞬間、もっと考えてから祈ればよかった、と後悔する。ふわふわした願いだけを頭に浮

          年越しはいつだってぬるい温度で

          ヘッドフォン付けてたら何聴いてるのって聞いてほしいし、本読んでたら何読んでるのって聞いて欲しい

          めんどくさい人間代表のぼくの中には、常に自分を見て欲しいという気持ちがある。これはもちろん、ぼくが見て欲しい時にだけ見てほしいという気持ちであって、ぼくが見て欲しくないような瞬間は絶対に見られたくないという気持ち。だからBeRealは苦手。見られたくない瞬間にまでRealでなんていられない。都合良いかな?文の中くらいは許してほしい。誰も傷つけてないはずだし。 そう、ぼくは自己顕示欲が強いのだ。たぶん。いやぜったい。心なしか、その自己顕示欲に比例してぼくのヘッドフォンはめちゃ

          ヘッドフォン付けてたら何聴いてるのって聞いてほしいし、本読んでたら何読んでるのって聞いて欲しい

          僕たちは美しくなろうとしてはならない

          高校3年生の伊良刹那さんが在学中に新潮新人賞を受賞したことが話題になっている。三島由紀夫に影響を受けたと話す彼は、そのインタビューの中でこう語った。「美しい文章を書いてみたいと思った。」 ああ、またか。 果たして、ここで言われる「美しい」とはどういうことだろうか?僕は正直、いまだに近代文学に囚われている日本文学の保守的ないし権威主義的な部分に、半ば嫌悪感を覚えてしまう。美しくあろうとした文章が新人賞というタイトルを取ったという事実が、今の日本文学全体に渦巻くそうした部分を

          僕たちは美しくなろうとしてはならない

          桃源郷へ

          本を読んだり誰かと話したりしてると、僕とおんなじように世界に対して不満がある人のなんと多いことか、ということに気付く。 もちろんその不満にも程度の差はあって、それになんとか目を背けてうまく生きている人がほとんどなわけだが、やっぱり世界には僕らのぬるい倦怠感が鈍く流れていて、それが遂には重力となって僕らの身体や心に重くのしかかってくるわけで。その重さにうんざりしながらも、この「生きにく〜〜」という(重い)思いこそが、僕ら反抗期の人間たちのゆるやかな連帯感を形作る唯一の拠り所だっ

          桃源郷へ

          言葉の頼りなさについて

          言葉をそこまで信じていない。 現実の複雑さを人類の貧しい辞書で書き取るなんて、どうしても無理だと思ってしまうのだ。 たとえばいま、僕はカフェにいる。 カーテンから差す陽の光は、夜の訪れをほのかに匂わせながら、やさしく店内へ入り込んでくる。オレンジに染まった僕の秘密基地は、時間がゆったりと流れていて心地良い。ぬるくなったカフェオレは、ここで過ごした時間の経過を静かに示している。 でも、ここまで書いてもなお、僕は自分がいま体験しているこの現実を、完璧に表現できていない。やさし

          言葉の頼りなさについて

          わからない

          僕が文を書くのは、世界を壊すためだと思っていた。内に宿る破壊衝動を正当化する手段としての文学。でもやっぱ、それじゃ抽象的すぎるとも思う。 すべての作り手は、どれだけその創作に対して自覚的であるだろうか。僕はたまにわからなくなる。「世界を壊したい」という曖昧な願望だけが脳内を揺蕩っていて、具体的なかたちは未だ獲得されていない状態。脱したい、この状態から。どれだけ書いても霧の中にいる錯覚に陥る、この状態から。 たぶんこれは、書き手としての僕がずっと抱えていく問題だ。だからまだ答

          わからない

          絶望のペルソナ

          フェルナンド・ペソア『不穏の書、断章』を読んでいた時、この一節が目を引いた。ああそうか、と思った。詩人にとって経験とは、単に副次的なものに過ぎないのだ。 この一節に出会ってから、僕の書き手としての態度は一変した。身軽になった、とでも言えばよいだろうか。経験していることしか書いてはいけない、と今まで自分を縛っていた鎖が、その瞬間にじゃらじゃらと音を立てて断ち切られていくのを感じたのだ。 こんな短歌を詠んだこともある。 書き手は絶望を描く時、必ずしも絶望に陥る必要なんてない。

          絶望のペルソナ

          気色悪い

          ビジネスがきしょい。 ビジネスをやってる特定の企業とか人間とかっていうより、なんて言うんだろう、ビジネスを取り巻く諸概念、サラリーマンとかサービス残業とかやりがい搾取とかスーツとか脂汗とか満員電車とか自己啓発本とか変な礼儀とかつまんない会話とか無駄にでかいビルとか札束とか中央線の広告とか、そのすべてがきしょい。 カフェで本を読んでたとき、隣に来たスーツの集団が椅子に座らずに名刺交換してて、なんかもう、無理だった。尊敬の念なんてゼロ、みたいな相手に対して譲りたくもない席を譲り

          気色悪い

          独白

          昔から、歌詞を聴く人に憧れていた。 だってそんなの、メロディーだけを追っている自分に勝ち目なんて無いんだから。 「この歌詞に影響された」とか「この歌は歌詞が良いんだよね」とかの言葉を聞くたびに、自分の感性を嗤われた気がした。自分がほんとうは歌詞なんて聞いていなかった、なんてことは口が裂けても言えなかった。だから僕はただ頷いた。共感の言葉を口に出した。「歌詞で音楽を聴いている人間」をひたすらに演じた。好きなバンドの歌も、実はそこまで歌詞聞いてなかった。ライブにまで足を運んでい

          詩に縋る

          僕らが詩の言葉に縋るのは、こねくり回された理屈の言葉によって冷やされた零度の魂をゆっくりと燃やし、暖かな人間性を再び獲得するためだ。 商業の匂いが染みついた手触りのわるい言葉たちは、僕らが持っていたはずの叙情をゆるやかに殺していく。ぼくも含め、誰もそのことには気づかない。詩は、ポエムは、言葉の熱で人の尊厳を取り戻す試みだと思う。だから、社会との接地面で疲弊した僕たちは、詩の言葉に縋るしかないのである。 詩の言葉には余白が多い。いわゆる行間を読むことが求められる。だから詩は

          詩に縋る