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パスタは茹で上がり、怠惰は加速する

午後4時に起きて、洗濯機を回す。
夕暮れ時に回される洗濯機はどんな気持ちなのだろう。RHT-045WCと名付けられたそれは、激しい振動でもって、その苛立ちを表現しているように見える。

洗濯機が踊り狂う47分間、僕は今まで放置していた家事をすることにした。まず手始めに、僕は排水口を掃除して、いまにも溢れそうなアメリカ製の灰皿をぴかぴかにした。溜まっていたゴミ袋を新しいものに取り替え、掃除機をかけると、何となく心地よい感じがした。しかしそれでも洗濯は終わらないようで、RHT-045WCに示された無機質な表記は、残り時間が30分であることを冷たく告げていた。

30分という退屈な時間をやり過ごすために、僕はパスタを茹でることにした。午後4時半にパスタを茹でている人間のことを、世間は怠惰と言うのかもしれない。

オリーブオイルをフライパンに引いて、鷹の爪とソーセージを炒める。今日こそは家から一歩も出ないと決めていた僕は、ニンニクを迷わずに入れ、簡易的なペペロンチーノを作った。村上春樹の文庫本を片手に、というのは嘘で、どうしようもないYouTubeを流しながら、僕は遅めの朝食を口に流し込む。洗濯機の表示は、残り10分を示していた。トイレ掃除でもしようか。

久しぶりにトイレ掃除をしていた僕は、退屈だな、と思った。これはつまり、目の前のトイレ掃除が、というよりもむしろ、僕が抱える人生全体の問題であった。「一生考えていく問題」とまで豪語していた言語哲学的な問題は、もはや日常的に暮らす僕にとって取るに足らない問題でしかなかった。

ある時は熱狂した哲学の問題も、皆が熱心に取り組む就活も、今の僕にとっては些細な問題でしかなかった。いやしくもそれに大義名分があれば、僕も堂々と胸を張ることができた。例えば、資本主義の歯車になりたくない、だとか、長いものに巻かれて死ぬのだけは嫌だ、とか。こうした「それっぽい」理由さえあれば、僕はまだ良かったのだ。しかし今の僕には、そうした「重要な何か」なんて、これっぽっちもありやしなかった。僕は就活が「ただ」面倒なだけで、哲学に対して「ただ」やる気が出ないだけだったのだ。

こうした純粋な怠惰は、おそらく世間には認められないだろう。だから僕はこんなところで愚痴を吐くしかない。文学はいつもダークサイドに生まれ、夜の闇の中でこそ輝く。深夜2時に『ねじ巻き鳥クロニクル』の頁を繰る手が止まらないのは、きっとそのせいだ。

梅雨明け迫る夏。
茹だる暑さの中で、怠惰は加速している。

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