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わからない

僕が文を書くのは、世界を壊すためだと思っていた。内に宿る破壊衝動を正当化する手段としての文学。でもやっぱ、それじゃ抽象的すぎるとも思う。

すべての作り手は、どれだけその創作に対して自覚的であるだろうか。僕はたまにわからなくなる。「世界を壊したい」という曖昧な願望だけが脳内を揺蕩っていて、具体的なかたちは未だ獲得されていない状態。脱したい、この状態から。どれだけ書いても霧の中にいる錯覚に陥る、この状態から。
たぶんこれは、書き手としての僕がずっと抱えていく問題だ。だからまだ答えは出さないでおく。問いを問いのまま残しておく。

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