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「自分の在り方を整えること」が一番大事。堂々とそこに集中していい

先日、日本に住んでいる友人、美月ちゃんと久々にズームでおしゃべりした。
美月ちゃんは私より少しばかり年下なのだけど、精神的に大人なので(そして私が精神的に永遠の14歳なので(汗))年齢差をまったく感じない、とても良い友達だ。
さらに数年前、二人とも仕事を辞めてモラトリアム期間を過ごしていた時、同じシェアハウスに住んでいたこともある。それゆえ、彼女は私にとって、戦友のような、同志のような、家族のような、とにかく単なる友達以上、ちょっと特別な絆で結ばれた存在である。

もともと仕事がデキる頭の良い美月ちゃんは、現在はバリバリ、普通にフルタイムで働いている。最近はとても忙しいと言っていた。
そんな美月ちゃんと近況報告をし合ったことで、電話を切った後にふと、私って、生産的なことを何もしておらず、毎日ひたすら自己対話して自分と向き合ってるだけだけど、良いのかなぁ?大丈夫かなぁ?という気持ちに一瞬なった。
もちろん、美月ちゃんは私に対してそのようなことは一切何も言っておらず、むしろ「超良いですね〜!羨ましい!」と心から言っていたので、これは私自身の問題。私の中にまだ微かに残っている、後天的に刷り込まれた”常識的な私”からの問いかけである。

ターメリック・ジンジャーティーを飲みながら自己対話する中で出てきた答えは、「いまの私は、自分を整える作業にフォーカスすべき時だから、このままで大丈夫」だった。

近ごろ確信し始めたけれど、自分自身を整えること、特に、自分の在り方を整えること(=自分の波動を整えること、とも言える)は、何か行動をし始める前に行うべき、最も重要なベース(土台)だ。
例えるなら、家を建てる時に一番大事な基礎工事のようなもの。あるいは畑を始めるときの土を耕すようなもの。パソコンで言うならOS部分。
けれど、人間は往々にして、目に見えることに意識が行きがちで、目に見える行動や現象を高く評価する。だから、目に見える行動として、何か生産的、あるいは有意義な行動をしていないと、「何もやっていない」という気分になり、焦ってくる。親や家族など周りの人から見ても、「あの人は何もやってない」「怠けている。サボっている」などと非難の対象になったり、「あの人は大丈夫か?」と、心配の種になる。
逆に、目に見える行動を何かしらやっていると、本人的にも「やっている気」になるからなんとなく安心するし、周りから見ても「あの人はよくやってる」「なんだか良く分からないけど、まぁ何かをやってるよね」と見えるから、非難や心配の対象になることはない。
しかしである。
先にも書いたように、実は、自分自身を整えること、自分の状態を整えること、自分の在り方を整えること、つまり、Beingを整えることこそ重要で、それは行動(=Doing)をする上での土台、基盤になる。
自分の在り方(=Being)がしっかりしていない上に、いくら立派な行動(=Doing)を重ねても、それは砂上の楼閣のようなもの。何かの拍子に脆く崩れ去るだろう。積み上げた行動だけが崩れ去るならまだマシで、場合によっては、「私の人生、一体何だったんだろう?」「私は何のために生きてきたんだろう?」と、自分自身さえ崩れる危険もある。なぜなら、自分の在り方(=Being)という最も重要な基盤がしっかりしていないのだから。
ただ、在り方を整える作業というのは、分かりやすい行動として目に見えるものではない。まるで蕾やサナギのように、外側から見ると動いていないように思える。それどころか本人的にも「自分、停滞してるのかも?」と、まったく変化が感じられず、単に停滞しているだけのように感じることもある。
そう感じると、焦燥感に襲われ、とにかくなんでも良いから動かなきゃ!という気持ちになってくる。
でも、ここはグッと耐える時。強いはずの巨神兵でさえ、完成していない状態で発動すると、結局すぐにメルトダウンしてしまう。
「自分の在り方」が整うまで、自分の中で準備ができた、と感じられるまで、グッと耐え、目に見える行動や事象に惑わされず、「蕾の中では色々動いているのだ」「サナギの中ではちゃんと成長しているのだ」と自分を信じて、時が来るのをじっと待つ。時が来るまで、淡々と自己対話し、自分の内側を見つめ、自分の在り方を整える。
それをひたすら続けていたら、必ず自分で分かる。
動く時が来たことが。
どちらに動けば良いかが。

だから私は、いましばらく、自分を整えること、自分自身の在り方を整えることに集中して過ごす。

すべては自分の内側の問題だから、自分の外の世界についてはどうでも良いのだけれど、それでも少し思ってしまう。
老若男女問わず誰でも、自分の人生にふと違和感を感じたとき、いつでも、堂々と立ち止まり、必要なだけ時間をたっぷりとって、自分自身と対話し、自分自身とつながり直し、自分の在り方を整えることができる、それが当たり前の世の中になると良いなぁと。
私たちは、Human doingではなくて、Human "being"なのだから。

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