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檸檬読書日記 海を眺める小説に、井上靖は愛を、寺山修司は青で沈めて。 6月24日-6月30日

6月24日(月)

もう夏だ。これは夏。絶対夏。いや夏だけど、真夏。



アンネ・フランク『アンネの日記』を読む。


きょうはうだるような暑さです。じっとしていてさえぐったりしてしまうのに、なんとこの厚さのなかで、どこへ行くのにも歩いてゆかなくちゃなりません。電車って、なんとありがたいものか、といまさらのように思います。


国も年代も違うけれど、同じ日にアンネも同じように暑さを感じていた。
でも、状況はまるで違う。
アンネは、ユダヤ人だからと電車には乗せてもらえなかった。だから学校までの長い長い道のりを、暑い中歩いていかざる負えなかった。電車が使えたとて、この時代は当たり前のようにクーラーだって扇風機だってない。
そう思うと…。




くちなしの花(おそらく)を発見。

何故「口無し」という名前なのだろうかと、ずっと不思議に思っていた。せっかくだからと調べたら「果実が熟しても口が開かないから」らしい。ほぉ。

花言葉は「とても幸せです」

他にも「喜びを運ぶ」があるらしく、幸せを感じさせる花らしい。
なんか良い。

くちなしといえば、栗の甘露煮や栗きんとんを作る際に、色を綺麗な黄色にするために使う「くちなしの実」がよくスーパーで売られているけど、これも採れるのかなあ。あれ、割と高いんだよなあ。
成ったら…そわそわ。



絲山秋子『海の仙人』を読む。

海を眺めているような小説だった。

宝くじで3億円を当て、海のある敦賀に引越し、隠居生活のような暮らしをおくる河野勝男は、ファンタジーなる神様に出会う。
それからファンタジーとの不思議な同居生活が始まり、河野の元には2人の女性が現れ、止まっていた時間が動き出す。


「えっ。ファンタジーって、『救い』なの?」(略)
「俺に救われるんじゃない、自らが自らを救うのだ」


「誰かと一緒に寝るの、久しぶり。すっごい安心する」
「寝るときは一緒でも眠りにおちるときは独りだぞ」
「うん、眠るときも死ぬときは独りなんだ……」


「(略)真実とはすなわち忘却の中にあるものなのだ」


時折、孤独と悲しみの波が押し寄せる。
ファンタジーとの会話はどれも愉快で、突っかかりなく流るように入ってくる。けれど急に海の深さと広さ、そして溺れた時の苦しさに気づかされたように、ハッとさせられる。周りの見えない暗い夜に、1人で海の中に立たされているような。

ファンタジーとは、一体何だったのだろうか。
誰もが知っていて、懐かしい存在。でも普段は忘れている。
自分も忘れているのかもしれない。はっきりとは分からないけれど、ファンタジーという存在を思い起こさせてもらった気がする。
孤独を悲しみだけでは終わらせない、美しくも心が穏やかな波に包まれる。静かであっさりとしているのに、いつまでも漣が聞こてくる、心に残る物語だった。

この人の文章、とても読みやすい。
比較的淡々としているのも、凄く好み。過不足なく、情景心理会話どれも丁度いいバランスで、ストレスなく読める。最初だけファンタジーの存在に、ん?となるけれど、読み進めれば問題なく解消される。
解説にも「一つも難しい言葉や、手の込んだ表現をつかっていないのに、鮮明な情景だけでなく、水の肌触りまでも想起させしまう。」と書かれていた通り、本当に上手い。海の光景から始まり、次第に景色が広がって、そのまま物語が進んでいくから、まるで映画を観ているようだった。
本が読みづらくなっている自分には丁度良い作品だった。他の作品も読んでみたいな。


「自らが自らを救うのだ」が、今凄く響くなぁ。
あの騒動以降本当に思うよ。
自分自身のことなのだから、自分しか救えない。





6月25日(火)


人参がたくさん採れる。嬉しい。
後植えしたものも、順調にぴょこぴょこ出てきているから、第1弾が採り終わった後に丁度いい感じになるかも。無限人参。

枝豆半分、唐辛子3種類、スイカを植える。
キュウリが大きくなってきたから、棚を作った。もうそろそろ出来そう。楽しみ。



米原万里『打ちのめされるようなすごい本』を読む。

清水ちなみ『禿頭考』ハゲの話。


頭髪の残った皮膚を無くなった部分に移植する方法とかホルモン療法とか、ハゲ治療の最前線を取材し、ハゲの原因を、またとりわけ日本女性のハゲ嫌いの原因をさぐりながら、著者は医者、生物学者、文化人類学者や高僧まで、多分野の識者、専門家に会う。(略)ハゲ観の国際国際比較をやって、日本人のハゲ観を見事に相対化しているのが素晴らしい。「愛さえあればハゲなんか」という真実を偽善的、教訓的ではなく実証的に紹介しているのもハゲハゲます力があるのでは。


この短い文章の中でのハゲ割合が凄い。ハゲの過剰摂取でハゲしく混乱。
最後まで追い討ちをかけるように入れているだから凄いよ。





6月26日(水)

梨木香歩:作・出久根育:絵『ペンキや』を読む。児童書。

ペンキ屋見習いの少年・しんやは、元ペンキ屋だった父の墓を探すためパリへ赴く。だか探しても探しても何処にも墓はなく、見つけられないまま帰宅することに。その途中、ある少女と出会い依頼を受ける。

「ユトリロの白で おねがいね」

しんやは父が使っていたというハケを貰い、ペンキ屋を始める。客が望む色を塗り、人々を幸せにしていくのだった。

少し独特で味のある絵がなんとも魅力的な作品だった。特にペンキ屋、色がメインなだけに、重なるような複雑な色合いが美しかった。

この本を読んだ時「ユトリロ」が分からなかった。その存在を知らなかったから「ユトリロというのは白い壁を描くので有名な画家のことでした」と説明があっても、架空の人物だろうと思い込んでいた。


けれど、この本を読んだ後、この記事に出会った。
丁度、ユトリロの絵が紹介されていた。
もう驚いた、どころではない。ちょっと怖い。
そして一目惚れ。ユトリロとは、なんて素敵な絵を描くのだろうか。確かに重なる複雑な色合いが、目に馴染むように染み込むようで惹き付けられる。

一気に興味が湧いて調べたら、ユトリロの絵を所蔵している美術館があるらしいと知る。

「西山美術館」

ユトリロの作品を日本一所蔵しているのだとか。行ってみたい。でも鶴川かぁ…。うーん。いつか行けるといいな。

でも記事で紹介されている『モダンアート・コレクション展』は行く予定。チケットも購入済み。(まだ手元にはないけど)7月上旬辺りに行けるといいなあ。
村山槐多の絵も(常設の方に)あるみたいだし、楽しみ。





6月27日(木)

井上靖『愛』を読む。

「愛」がテーマの短編3作品か収録されている。
井上靖の小説は、これが初めてだったけれど、馴染むというか、なんか良いなあと思った。
素朴で、過剰ではないところが、個人的に好ましかった。

『愛』というタイトルであるものの、「愛」というほど強烈ではない。燃え上がるような展開もない。とはいえ「恋」というほど初々しくもなく、どちらかというと「愛情」という言葉がしっくりくる。
3作の短編、どれも境遇も展開も違うけれど、素直には認めたくない複雑さや、少しばかりめんどくさい「愛情」に満ちている。それはなんだか人間らしくて、だからこそ身近でスっと入ってくるようだった。

「結婚記念日」は、亡くなった妻との旅行を振り返る。
かなりの節約家だった妻を、愛していたのか男は分からなかった。けれど、旅行にはならなかったあの日、妻に感じた感情はきっと「愛情」だった。

「石庭」は、新婚で石庭を訪れた際、男は昔のことを思い出す。親友と女を取り合ったこと、その女を拒絶したこと。あの時女に愛情を抱けなかったが、今は妻となった女に愛情をいだいていた。しかし…。

「恋と死と波と」は、海岸へ自殺をしに来た男が、宿で同じように自殺をしようと訪れた女と出会う。だが2人の距離が近づくうちに、死が遠ざかり…。

どれも少し切ない。

井上靖の小説は、何処か武者小路実篤に似ている気がした。だけど彼ほど感情の濃さや劇的な展開はない。驚きはあるけど、全体的に淡々としているから、驚愕までにはならない。でもからこそ、染み込むように入ってくる。
文章は、川端康成に似ている気がした。だけど彼ほど突き詰められた美しさはない。ただ淡い美しさに、身近さを感じる。恐ろしくて手を伸ばせないものではなく、思わず手が伸ばして触りたくなるような美しさ。

愛情があるからこそ滲み出る切なさに少し心臓をギュッとさせられる、また読み返したくなるような作品だった。

井上靖の作品、他のものも読んでみたいな。
有名なのは『あすなろ物語』とかなのかな。でもこの人は短編が良さそうだなあ。



2人で自転車を走らせていた。自分が先頭。そしたら途中、嫌な予感がして振り向くと、誰もいない。どうしたのかと戻ったら、ポールにぶつかって倒れていた。慌てて駆け寄って起こす。
距離的に考えて、おそらくそのままの状態で1.2分は経っていたと思う。近くには1人、若い女の人が自転車に乗って信号待ちをしていた。
倒れて、起き上がれない人が目の前にいるのに、助けようともしなかった。近くにはその人しかいない。流石に見てはいたけど、見ているだけ。自転車から降りようともしない。
なんだか悲しくなった。こんなに人って冷たいものだろうか。
愛がないよなあ。
自分も結構冷たい方ではあるし、えっとなって瞬時には動けないかもしれないけれど、それでも流石に駆け寄って声はかけるし、起き上がらせるまで手助けはすると思うけど…。
ただ酔っ払いだとしばらく観察してしまうかもだけど…。
でも完全にそうではないし、声も出せないくらい痛そうにしていた。蹲って1人では立てない状況だった。
あの人だけがそうなのか、今の人はそうなのかは分からないけれど、でも…。今の世の中の愛のなさの表れのような気がした。
人の心も機械化が進んでいるのだろうか。そうでないことを願うけれど…。
助けられない人は、誰にも助けてもらえないよ。
見返りを求めてはいけないけれど、愛がほしいのなら愛を、助けがほしいのなら助けを与えなくては、何も始まらないと思う。
良いことも悪いことも、どちらにせよブーメランとして返ってくるから。





6月28日(金)

『らんま½』完全新作でアニメ化するのかあ。懐かしい。
『うる星やつら』もやっていたけど、次はらんまか。そしたら次は『めぞん一刻』かな?



寺山修司『さみしいときは青青青青青青青 少年少女のための作品集』を読み終わる。

鮮やかな青でも淡い青でもなく、黒に近い青のような作品だった。

夢見る少年少女を打ち砕くような、羽をもぎ取られたようなビリビリとした痛みを覚えた。上がっては落とされる。

非現実的な世界が広がるのに、何処までも現実を突きつけられる。
少年少女のような無邪気さがあり、それに惑わされて近づくと、実は深くて溺れさせられるような。

残酷で無慈悲。だけどそれから生み出されるものはとても美しく、目が背けなくなる。一つ一つ、どの作品も魅力的で、彼にしか生み出せないような世界観に、完全に心を掴まれてしまった。

深い深い海に沈められてしまった。
視界は全方位青に染められました。





6月29日(土)

ミントを天日干し
2日くらい干してパリパリに
手で揉んで砕いて完成


ドライミント。
買うと割と高いけど、干して手で壊すだけで簡単に出来るから作ってみた。
それに生よりも使い勝手が良さそう。料理とかお茶とか。違うハーブとブレンドしても良さそう。
でも匂いが凄い。手がミントになった。



エドガー・アラン・ポー『黒猫 ポー傑作選1』を読む。
「アモンティリャードの酒樽」を読み終わる。

男は復讐に燃えていた。
屈辱を与えた男・フォルトナートに復讐することを誓う。
フォルトナートはワイン好きだったため、高級酒アモンティリャードで釣り誘い出すことにした。
酒樽は地下にあると言い、地下へ地下へ、奥へ奥へと進ませる。地下室の1番奥には、狭い部屋があり、人骨が積み重なっていた。そこで男は…。

何が凄いって、復讐に燃える男よりも、その相手フォルトナートの方が狂気じみているということ。反対に男は終始淡々として、冷静。
復讐に取り憑かれている男よりも、フォルトナートの方が何かに取り憑かれているように見える。同じ言葉を繰り返し、変な、男から言わすと「グロテスク」な動きをし、アモンティリャードに異様な執着を見せている。

本当に、こんな男に屈辱を受けたのだろうか。そんな疑問まで浮かぶ。何をされたのかは書かれていない。

そもそも、フォルトナートは存在していたのだろうか。

そんなことまで考えたり。やはりポーの沼は深い。考え出したらキリがなく、だから抜け出せなくなるのだろうな。





6月30日(日)

ちまちまちまちま、大量に出てきたゴマの苗を植える。多すぎて、1箇所にまとめて植えられなくて、空いているところにちょこちょこっとやってるから結構大変。でもなんとか全部植えられた。おそらく100本…。
日本の金ごまってなかなか売ってないから、出来たら凄く嬉しいなあ。わくわく。

後は向日葵をちょこっといじる。ただ背丈が大きくなりすぎて、上が届かなくなっている。2mは越えてる…でかい。
向日葵は植えたわけではなく、勝手に出てきた。おそらく去年の溢れ種で。凄い。何本か出てて少し邪魔だったりもするけど、なんとなくそのままにしていたらもう採れるレベルではなくなってしまってどうしようもならぬ。
まあ向日葵の種がたくさん採れるから良いか。美味しいしね。



石井千湖『文豪たちの友情』を読む。
「梶井基次郎と三好達治」編を読み終わる。

梶井基次郎の『檸檬』が今も尚読み続けられているのは、三好達治ともう1人の奔走があったからだっとのだとか。有難い。
三好達治は、幾度となく梶井基次郎のために、彼の才能に惚れているために奔走する。
中でも、梶井基次郎の『冬の日』を絶賛した三好達治は、見ず知らずだった室生犀星に送り付けたそうで、その行動力が凄いなと思った。愛情深いというか。
でも三好達治は、結構色んな人の作品を広めるのに活躍(?奔走?)しているから、自分が惚れた人・作品に対する情熱が凄かったのかも。

とはいえ、仲良いばかりではない。喧嘩することもあったらしい。


青森の林檎を幾つか、女房が(川端康成の妻)梶井君に上げたことがあつた。彼は温泉宿の一室で夜通し果実の肌を磨いて床の間に飾つた。翌る日、三好達治君がその一つを噛つた。梶井君はものも云はずに、いきなり三好君の頭を殴つた。


想像して笑った。
果物に対しての思い入れが凄い。

梶井基次郎は川端康成のところへ行って『伊豆の踊子』の校正を手伝ったとも書いてあって、へーとなった。へー。『伊豆の踊子』結構贅沢品だったんだ。

想いが強かっただけに、三好達治は梶井基次郎か早くに亡くなったことを受け入れづらかったよう。


友よと 友よ 四年も君に會はずにゐる……
(略)
君の手紙を讀みかへす --昔のレコードをかけてみる


彼を想う詩に、しんみりとした。





ここまで読んでいただき、ありがとうございました。
皆様が愛情に満ちますように、願っております。
ではでは。

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