檸檬読書日記 本屋を切望し、手紙を読み、遺骸が嘶く。 10月16日-10月22日
10月16日(月)
ああ、近くに本屋さんが出来ないかなあ。
周りにある本屋が全部それなりに遠い。古書店は仕方ないと思う。でも、本屋が欲しい。歩ける距離に欲しい。
願望を言えば、新刊と古書2つがある本屋が出来て欲しい。
とかなんとか、ずっと言ってたら「もういっそ自分で作れば?」と言われた。
いや、そういうことではないのです。
本屋や古書店に行けば、新発見があるから行きたいのです。自分で作ってしまったら、自分の中にあるものしか出てこない。
そもそも、資金がありませぬ。(それが1番の理由か)
川上弘美『大好きな本 川上弘美書評集』を読む。
そういえば昔(といってもそれほど昔ではない)、紹介されている、久世光彦『蕭々館日録』を買っていたのを思い出した。
有名な文豪たちが登場すると聞いて、興味を引かれて買っていたのだった。
この書評を踏まえて、近々読んでみようかな。(とか言いつつ、自分の近々は当てにならぬけど)
『蕭々館日録』を見て思い出す。そういえば、最近ちょこちょこと文豪関係の本を買っているなと。そして1つに集めてみたら、結構あった。びっくり。
しかも、このどれ1つとして読めていない。あんぐり。
よ、読まなきゃなあ。
あ、伊集院静『ミチクサ先生』(上・下)入れるの忘れた。
10月17日(火)
今の時代の(というか、自分の中での)固定観念で、ホテルは泊まるものと思い込んでいたが、戦前は下宿がわりのようにホテルに住んでいる人が多かったのだとか。
内田百閒がホテルに住んでいたという話で、そのことを教えてもらった。自分は本当に無知無知だから嬉しい。
けれど良く良く考えてるみれば、ポアロの相棒ヘイスティングスも良くホテルに住んでいたし(日本でもなく物語の中の話だけど)、昔は当り前だったのだろうなあ。
そういえば、これも物語だけれど、エイモア・トールズ『モスクワの伯爵』もホテルに住んでいたな。
でもあれは、ホテルから1歩も外に出てはいけないという罰でそうなっていたけど。
日本人は…まったく思いつかないなあ。旅館は執筆のためにではよく聞くけど、ホテルは。今度から注視しておこう。
坂口恭平・斎藤環『いのっちの手紙』を読み始める。
「いのっちの電話」という、自殺をしたいと言う人達の話を聞いてきた坂口さんと、精神医療のプロである斎藤さんの往復書簡。
確かになあ。お金と善行はあまり結びつかない。
それにお金が発生すれば、仕事になってしまうもんなあ。(でも決して、それが悪いという訳ではないのだけど、とはいえ)仕事と自分の意思だけの行為では、やはり少し違ってくるもんなあ。
『牛腸茂雄写真 こども』を見る。
こどもをテーマにして集めた写真集。
全てモノクロで、昔の写真だからか、どこか味わいがあって、懐かしさにじんわりと来る。
ほとんど日常的なものが多く、こどもたちも笑顔ばかりではない。けれど、そこが良い。親や親しい人が撮ったものではなく、他人が撮ったからこそ見えてくるのもがあって、面白い。
素朴で、本当にただこどもたちの写真が連なっているだけなのだが、見てると何だかいいなあと思えてくる。
写真って、こういうのが大事だよなあ。ハッキリとはしないけど、何か良いなあと思える感覚。
何か訴えている訳ではない。でも、それがまた写真ならではで、良い。訴えるなら、絵でもいいのだから。
何か良いなあがあれば、充分な気がする。
綺麗と思えるものはたくさんあるけれど、何か良いなあというのは意外と少ない。
だからこそ素敵な写真集だった。特に個人的には、2番目の写真がお気に入り。大人たちとは視線が合わず、こどもだけがこちらを向いて、写真に気づいている感じがなんか好き。
10月18日(水)
今日、本屋に行った。けど欲しかった『ニングル』も『MONKEY』最新号も売ってなくて、衝撃を受けている。
『MONKEY』はなかなかマニアックだから分かるけど、今日発売の『ニングル』までないとは!そこそこ大きい本屋なのに。
これを置かないなんて…ジタバタ。
もうショックすぎて、折角本屋行ったのに何も本を買わずに帰ってきてしまったよ。
ブーブー言ってたら「もっと大きい本屋行ったら」と正論を言われ、来週は電車に乗って大きい本屋に行くことになった。しかもついてきてくれるらしい。1人だと結局行かなそうだから有難い。
大きい本屋なら、色々ありそうだから楽しみ。一気に気分上昇。
坂口恭平・斎藤環『いのっちの手紙』を読む。
誰かに見てもらえているという感覚が必要なのかもしれないなあ。
ネット上や大勢というよりも、確実な1人が。
それが今の時代、難しくなってきているのかなあ。んー…。
10月19日(木)
芥川龍之介『羅生門・鼻・芋粥』を読む。
「運」を読み終わる。
観音様へ参詣する列を見ながら、青侍は陶器師の翁に話しかける。
自分も参詣すれば、運がもらえるだろうかと。
そこで翁は語り始める。「どうぞ一生安楽に暮らせますのうに」と願った女の話を。
愚か者は結局は愚か者で、自分の身に振りかからなくては分からないということなのだろうか。
人にとっての仕合せというものは、他人に測れないよなあ。
翁の放つ言葉がなんとも印象的だ。
それにしてもこの話、いつもの芥川龍之介と少し感じが違う気がする。
どことなく綺麗というか、いつもの(いい意味での)泥臭さ?(もっと良い表現はなかったのか)がない。あえてまっさらな紙に墨汁を垂らしたような、それによって感じる近さがなく、遠くに感じられた。
現実味が薄く、別の世界のような、少し遠い感じ。
実は翁は仙人だったという表しなのだろうか、はたまた観音様自身…いや、それは深読みし過ぎだな。
遠いけど、今まで読んだ芥川龍之介作品の中で、1番読みやすかったな。
10月20日(金)
ないことは分かりつつ、中くらいの本屋に寄ってみた。けれどやはり目的の本はなく…残念。
本を買おうか迷ったけど、来週たくさん買いたい(買う)予定だから、我慢。
坂口恭平・斎藤環『いのっちの手紙』を読み終わる。
皆が皆、坂口さんのようだったら、きっと戦争などなくて平和な世の中になっているのだろうなあ。
結局全ては、執着から始まっている。物に対する執着、人に対する執着、土地に対する執着、命に対する執着。様々な執着。
それらが全てなくなって、執着したとて何一つとして持ち続けることが出来ないと理解すれば、戦争など起きない気がするなあ。
それに、執着と幸福は対義語だと思う。執着で幸福は生まれない。
自分も昔は強い執着に囚われていたけれど、なくしたら一気に軽くなった。読みたい本も欲しい本もたくさんあるけど、読めなくても手に入らなくても、それならそれでいいかと思う。いつ死んでも平気だから、怖いこともほとんどない。(まあ、実際に迫ってきたら分からないけど)
だから、今が人生で1番楽しい。
短い人生なんだから、争うよりも喜びで満ちた人生を歩む人が増えるといいのになあ。
なんて、思ったり。
『いのっちの手紙』は、将来の参考になったらいいなと思って読んだけれど、結構深くてためになった。勿論、考え方が違うなと思うところもあったけど、全体的に興味深い内容だった。
特に、相談者に対して、全て受け身にならないというのは、なるほどと思った。叱る時は叱り、突っぱねる時は突っぱねる。出来る範囲でやり、出来ない時はやらない。自分も大切にしつつ、やる。
誰もが出来るものではないのだろうなと感じるけど、自身のためにも相談者のためにもなるやり方で良いなと思った。
そしてもう一方、斎藤さんは、自身の話というよりも、投げかけや前回(坂口さんの手紙)のまとめに徹していて、それがまた上手く(持ち上げも上手い)、入り込みやすく読みやすかった。
また2人で第2弾をやったら読みたいなあ。
10月21日(土)
酒場御行『そして、遺骸が嘶く -死者たちの手紙-』を読み始める。
ペリドットという国は、多大な犠牲を孕みながら、勝利した。それから2年、キャスケットと名乗る男は、亡くなった兵士たちの遺品を大切な人たちのもとへ届けていく。
きっと、気づいていない。気づいていても、言えない。
でも、最初の届け主たちは、抗う。そして、非国民と罵られ、迫害されてしまう。
大切な人を守る方法は人それぞれ違う。けれど戦争は、必ず1種類に強制してしまう。逆らいたくとも、違う守り方をしたくとも、周りや制裁が怖くて、従ってしまう。戦争に向かうのには、死が伴うのに。
ライトな感じの見た目が勿体ないくらい、深くて、沈みそうだ。
架空の物語なのに、物語とは思えないほど、本当にあったことのような切迫感がある。
10月22日(日)
ポットに種をバッと撒いて出てきた白菜の苗を植える。
意外とたくさん出てきてしまい、結構時間がかかってしまった。
そして、今回は不出来だった唐辛子を取ってしまう。初めて種から育てたからなのか、あまり良くなかった。
でもおそらく、暑さのせいもある。そしてそのせいか、虫が凄い。今異常発生しているカメムシ(の仲間の黒いやつ)がたくさんついていて、そいつが唐辛子を食べてしまう。唐辛子を食べるやつがいようとは…。
んー、悔しい。来年は上手くいくといいなあ。
ただ、青唐辛子だけはまあまあだった。あまり使わず1番辛い青唐辛子が。んー、上手くいかないものだなあ。
茄子はたくさん採れた。
夏はいまいちだったけれど、秋はいい感じだ。ツヤッツヤで大きい。嬉しい。白ナスは逆に不調だけど…。夏はたくさんなっていたんだけどなあ。
生姜も一応採ってみたけれど、まだ早かった。残りはもう少し待とう。
酒場御行『そして、遺骸は嘶く -死者たちの手紙-』を読み終わる。
少し前、著者のもう一方の作品『吸血鬼は目を閉じ、十字を切った』を読んだ。
それがとても良かったから、もう1冊であるこの作品を読んだけれど、やはりこの人の本は、とても苦しい。苦しいけれど、惹き込まれる。そして痛みを露にするのが、とても上手い。
主人公のキャスケットも、手紙を届けられた者達も、その周りさえも、皆、痛みを抱えている。兄を、恋人を、父親を、子を妻を亡くして。
その痛みも複雑で、ぐちゃぐちゃに入り乱れていて、読みながらも痛みが侵食してきて、じわじわしてくる。
戦争は何も生まない。その後の悲惨さを、残され消えることのない心の傷や痛みを、本当にリアルに書かれている。
個人的にはもう一方の作品の方が好みだったけれど、こちらも深く心に刻まれるとても良い作品だった。
全てが受け入れられる訳ではなく、少し説明が足りなくてあれ?という部分もあるけれど、それでもこれがデビュー作だと考えると、本当に凄い。
そして2作目の上達ぶりよ。
2作しか出ていないのが、本当に惜しい。たくさん作品を出して欲しいなあ。もっと読みたい。
嵐山光三郎『追悼の達人』を読む。
「竹久夢二」編を読み終わる。
美人画などで有名な画家であり詩人。
竹久夢二は、女性関係が奔放だったらしい。
本当に、女性関係ばかりで、そのためか追悼はどれも辛口だ。
らしく、なんとも面白い。2人とは何か決定的な違いがあったのだろうか。
追悼とは関係ないけれど、「夢二」という名前は、尊敬する藤島武二の「武二(ムニ)」を「夢二(ムニ)」におきかえたものらしい。ほお。
竹久夢二の絵も気になるけど、詩も気になってしまった。
と思って調べたら
石川桂子『竹久夢二詩画集』
というものがあった。最高ではないか。しかも文庫というのも嬉しい。欲しいなあ。探そ。
今週は妙に忙しく、書く時間がなくて、月曜日に間に合うかと思ったけれど、どうにか間に合った。
(まあ別に月曜日投稿と決まっている訳ではないから、明日でも良いんだけど)
急いで書いたから、いつにも増して読みづらいかもしれぬ。
読みづらいものをここまで読んで頂き、ありがとうございました。
寒暖差が激しいので、ご自愛ください。
ではでは。
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