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檸檬読書日記 バナナ革命。 1月30日-2月5日

1月30日(月)

長々と続けていたバナナと相性のいいもの探しに、ついに決着がついたかもしれない。
(パンにバナナをのせて、その上か下にのせるか塗るプラス品を探すというのを、勝手にずっとやっていた。)
新たなものを見つけてしまった!


それが「クリームチーズパイナップル」
この場合のパンは、固めのパン、フランスパンがおすすめで、フランスパンにこのクリームチーズパイナップルをたっぷり塗って、その上にバナナをのせる。仕上げに蜂蜜をたらりとたっぷり垂らして完成。

パイナップル感は薄いものの、パイナップルとバナナの相性が抜群で、南国感が凄い。その上蜂蜜の甘さが癖になって凄く美味。
どちらかというと夏っぽいけれど、クリームチーズがもってりしているから、冬でもよき。

けれど個人的にランキングするなら

1位・ピーナッツバター(ノットクリーミー、つぶつぶ入り、砂糖なし)に、蜂蜜、バナナ。

2位・クリームチーズパイナップルに、蜂蜜、バナナ。(パンはフランスパン)

3位・マーガリンもしくはバターに、龍眼ハニー、バナナ。

こんな感じかな。
クリームチーズパイナップルも衝撃的だったが、やっぱり最初のピーナッツバターとバナナ蜂蜜は衝撃が大きかった。
まさかの出会いで、ピーナッツバターと蜂蜜がぬちっとしてて、その上にバナナがふんわりきて、最高。

後、のせていないけど、黒蜜きな粉バナナも好きだな。

三島由紀夫『三島由紀夫レター教室』を読み終わる。
とうとう読み終わってしまった。もったいなくてゆっくり読んでいたのに、終わってしまった。
もう最高だった。世に出して頂き、ありがとうございますと言いたい。感謝の手紙を書きたくなった。

5人の癖あり登場人物たちの手紙のやりとりが、手紙というより物語のように進んでいくのが最高によかった。
物語みたいなのにきちんと文例にもなっていて、終わりも綺麗に収まっている。いやはや、凄い。天才なんじゃないかな。(ベタ褒め)

この本で完全に落ちてしまったから、三島由紀夫の他の作品も読んでみたい。
今気になっているのが
『命売ります』
『夏子の冒険』
『文章読本』
その中でも最も読みたいのが筑摩書房から出てるエッセイ全4巻。
でも絶版か…。むむ。古本屋で地道に探さなきゃな。



1月31日(火)

嬉しいことがあった。
以前、紹介した本、服部雄一郎・服部麻子『サステイナブルで暮らしたい -地球とつながる自由な生き方-』の著者である服部麻子さんに、コメントを頂いてしまった…!


こんな幼稚な文章を作者の方に、と思うと恥ずかしさと申し訳なさがあるけど、単純に嬉しい。

この本は、無理せずに自然と共に生きようとする姿が素晴らしく、ためになることが盛りだくさんなので、是非ともたくさんの人に読んでほしい作品なのだ。

この方!最近noteも始められたよう。↓


長田弘『読書からはじまる』を読み始める。
本の紹介というよりも「読書」についてのエッセイ。

本は「はじまり」「もと」という意味をもっています。(略)本は本(もと)であるというのは、言葉が本(もと)であるということです。その親しい感覚を通して、本はなくてはならないものとして感じられてきたということを、忘れないようにしたいのです。
(略)
今日、揺らいでいるのは、本のあり方なのではありません。揺らいでいるのは、本というものに対するわたしたちの考え方であり、「本という考え方」が揺らぐとき、揺らぐのは、人と人を結び、時代と時代を結ぶものとしての、言葉のちからです。

どんどん言葉のちからが弱ってきているんだろうなあ。今こそ、あらゆる面で本が大事になってくるのかもしれない。
本好きよ、増えろー!(熱望切望)



2月1日(水)

もう2月か…早いな。

『MONKEY』vol.28を読み終える。
今回は「老いの一ダース」というテーマだったが、なかなかに読み応えがあった。
ただ老いていくだけではない、作家それぞれに老いの捉え方があって、興味深かった。
次回は「天才のB面」らしい。なにやら面白そう。次も買おうかな。


若松英輔『考える教室 大人のための哲学入門』を読む。

人は誰も、迷っているとき、早急に答えを得たくなるものです。すると人は、その答えに多少の毒があっても、それを飲みこんでしまう。哲学の力をつけるには、喉が乾いたからといって毒を飲むのではなく、その乾きに耐えることを学ばねばなりません。心の乾きを真に癒すのは、世に流布する「甘い」言葉ではありません。自分の手で掘り出したコトバです。

結局のところ、甘い言葉で苦痛が治っても、それは一瞬であり誤魔化しているだけだからまた戻ってくる。
だから誤魔化すのではなく、耐えて自分で見つける。それが乾きを癒すことのできる唯一の方法で、結局1番の近道になる。ということなのかな。
あらゆる言葉を聞き入れても、やはり最後は自分で考えて決めることが大事なんだろうな。

それにしても「甘い言葉は毒」とは、言い得て妙だな。



2月2日(木)

パン、パン、パン言ってるけど、実はパンより米派なのだが(知らん)、最近ハマっている丼がある。


それがこちら、しらすいくら丼!
ありそうでなかった組み合わせ(いや、自分が知らなかっただけであったのか?)
「孤独のグルメ」というドラマで五郎さんが食べていて、美味しそうと思ってやってみたら、真っ逆さま。どハマり。

個人的には、しらすとイクラだけでなく、ご飯に胡麻(あれば金胡麻)をかけて、かつお節といわし節をかけて(いわしがなければかつお節だけでも可)、刻んだ海苔をまぶして、その上にしらすとイクラを載せれば出来上がり!
しらすとイクラの塩分があるから、醤油いらず。
簡単で美味しい。おすすめです。

安東量子『スティーブ&ボニー 砂漠のゲンシリョクムラ・イン・アメリカ』を読み始める。
福島に縁があるということで、アメリカで行われる原子力の会議に参加しないかと誘われ、アメリカに急遽行くことになった著者の、その時の出来事を綴った本。エッセイ。

いろんな人と交流しながら気付いたのは、意見が違うことはしかたない。まずはそれを受け入れた上で、なにかひとつでもいいから共有できるものを探すことだった。内容はなんだっていい。(略)ひとつだけでも分かち合うことができれば、意見は対立したままであつたとしても、関係をつなぐことはできる。
こちらが相手を尊重する姿勢を示せば、ほとんどたいていの人は、会話くらいはしてくれる。(略)ひとつでもかわちあうものがあれば、敵対することもない。そして、そのようにできれば、それでコミュニケーションとしては大成功なのだ。
しょせん人間はわかりあうことはできない。わかりあえないなかで、それぞれが穏やかに暮らし、言葉を交わすことができるようになれば、それでいいのだ。

相当に、言葉に苦労してきたんだろうな。ここに至るまでを思うと、苦しくなる。
同じ日本語を話していても、宇宙語のようにわかりあえないことは多々ある。
だけどやはり大事なのは、それでも会話することであり、会話をするには姿勢が大切なのかもしれない。



2月3日(金)

豆まきー!
豆大好きだから、たくさん食べられるこの日が嬉しい。
別に他の日だってたくさん食べてもいいのだけれど…。でも特別感がある気がする。
豆、豆~!年齢分以上食べちゃお(え)

谷川俊太郎『どこからか言葉が』を読む。詩集。

きみ 道端の草むらに
ぽつんと咲いている小さな花よ
(略)

私は私できみの出自も名前も知らないのだが
私はきみに詩を贈りたい

だがヒトの言葉の有り余る語彙で
私はきみを飾りたくない
きみを形容するには美しいの一語で足りる

いや本当はまったく足りない
(略)

「小さな花」

「美しいの一語で足りる」から「いや本当はまったく足りない」と直ぐ否定するところが個人的に好きだな。
ゴテゴテと飾った言葉は使いたくないけれど、ただ美しいだけでは物足りない。その葛藤が、より小さな花の美しさを際立たせている気がする。



2月4日(土)

谷川俊太郎『どこからか言葉が』を読み終わる。

(略)
すべては自然に属している
ただ「神」と呼ばれるものだけが
自然に宿りながら自然ではない

ヒトの言葉は自然に刺さったトゲ
バラのトゲが原因でリルケは死んだが
この時代の詩人はそれと気付かずに

言葉のトゲで
死ぬ

「トゲ」

グサグサと、刺さるようだ。
言葉は、毛布に包まれたみたいに暖かくて癒しを与えてもするけど、間違えると何よりも鋭くて、決して抜くことのできないトゲになる気がする。
だからこそ気をつけて、慎重に。

安東量子『スティーブ&ボニー 砂漠のゲンシリョクムラ・イン・アメリカ』を読む。

ウランからプルトニウムを抽出する核分裂連鎖反応の過程では、膨大な熱が放出される。その熱にさらされる原子炉を安全な温度に維持する冷却作業は、決定的に重要だった。(略)
冷却には、横を流れるコロンビア川の水を使った。(略)世界で最初に稼働した原子炉だから、なにもかもが初めてだった。冷却水の供給がうまくいかず、危機的状況になりかけたこともあったそうだ。冷却に使用した後の高温になった水も、コロンビア川に廃棄された。その量は凄まじく、川の水温が上昇するほどだった。(略)
また、核反応後のウラン熱料の冷却や、化学処理の過程でも、水は大量に使用された。処理に使用された化学物質の一部やプルトニウムがコロンビア川に流出し、周辺環境を汚染してしまう事故も生じた。

海の温度が上昇して、魚や海藻が取れなくならなければいいのだけれど。



2月5日(日)

安東量子『スティーブ&ボニー ゲンシリョクムラ・イン・アメリカ』を読む。

私たちは、かつて殺しあった。
でも、大丈夫。
私たちは、いまは、いい友達なのだから。

いつまでも、いい友達であると願いたい。
いい友達だけではない。対等な、友達であればいいのに。

昼食を食べ終わった後に「あー、美味しかった」と満足そうに言った。
その時食べたものは、ご飯に納豆と卵と醤油のしその実漬けをかけたものと、海苔、そして味噌汁と、決して豪華な食事ではなかった。
でも、美味しかったと言った後に、しみじみと言ったのだ。

「美味しかったと思えるのって、素晴らしいことだよね」

なんて素敵な言葉だろうと思ってしまった。

豪華でなくても、美味しそうに食べて、心から美味しいと言う人がいる。そういう人がいるからこそ、今日も自分は美味しいと思うことができるんだろうな。

「いただきます。食に感謝」

いつまでも、こういう日常が続いてほしい。そう、心から願う。


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