檸檬読書日記 宿命の王と、4次元の大泥棒。 9月11日-9月17日
9月11日(月)
今話題らしい「ブリスボール」なるものを作ってみた。
結構簡単で、好みのドライフルーツ(自分は、プルーン、無花果、レーズンを入れた)と、好みのナッツ類(自分は、アーモンド、カシューナッツ、胡桃、かぼちゃの種を見れた)に、太白胡麻油とココアパウダー(無糖)を入れて、混ぜるだけ。
簡単!だが、何故か自分は失敗した。
原因は分かっている。欲張って、分量よりドライフルーツをたくさん入れ、細かく刻まなくてはいけないのに、面倒くさがってざっくり刻みで投入してしまったせい。
通常はボール状にして食べるものなのに、ゴロゴロしすぎて固まらず。全部が独立して、違う食べ物になってしまった。
けれど味は最高に美味。
止まらない止められない。
ココアの苦味と、ドライフルーツの優しい甘みが最高で、パクパク食べてしまう。
結構危険な食べ物です。
失敗してしまったけれど、ポロポロ状態もこれはこれで面白い。
でも次はちゃんと細かく刻もう。そしてボール状にして、きな粉とか周りにつけて食べてみようかな。
後、ドライフルーツにパイナップルとかマンゴー、杏子とか入れてもいいかもしれぬ。
エレノア・ファージョン『マローンおばさん』を読む。絵本。
森のそばでひっそりとひとりで暮らしていたマローンおばさんは、
そんなマローンおばさんの元に、弱ってボロボロになったスズメが訪れる。マローンおばさんはスズメに言うのだ。
そしておばさん自身も豊かな暮らしではないのに、自分のものを分け与える迎え入れる。そして次々とマローンおばさんの所に様々な動物たちが訪れ、おばさんは弱っている動物たちに言うのだ。
そして…。
なんとも愛に溢れていた。
最後まで満ち足りた気持ちになれる、素敵な絵本だった。
沢村凛『黄金の王 白銀の王』を読み始める。
翠という1つの国で、鳳穐(おうしゅう)と旺廈(おうか)という2つの氏族が争っていた。
現在、鳳穐を治めている頭領はひづち(漢字が出なかった)、旺廈の頭領は薫衣(くのえ)という年端もいかない少年で、お互いにそれぞれの氏族のために片方を敵と憎み、敵を殺したいという欲求を生まれながらに植え付けられていた。
しかし2人の選んだ道はもっとも険しい、共に生きる道だった。
まだ読み始めたばかりだが、この話、かなり深い。
人によって決められた運命ではなく、生まれた時に与えられる宿命を全うするために、もがく。
敵を殺したい、長年の先祖たちの恨みを晴らしたい。そういう気持ちはあるものの、自分たちの感情ではなく、これからの世代や未来のために、2人はもっとも苦しくて険しい道を進む。
最初から、惹き込まれる。物語とは分かりつつも、実際を考えると、その果てしなさにクラクラする。
2人だけではない。のちに薫衣の妻となる、ひづちの妹・稲積(にお)という女性もまた、かっこいい。
今の時代、これだけ自分の感情を押し殺し、高貴な血筋に生まれたからと、務めと割り切ってしまう人はいるだろうか。
昔は、生まれた家柄だとか、昔からの仕来りなのだから仕方ないという考えが、納得出来無かった。
誰だって自由に生きたいし、生まれる場所は決められないのだから理不尽だと思っていた。でも、今は少し違う。そこに生まれたことにも意味があると思っている。
昔ながらのものを壊すのは簡単だ。でも、何故続いているかを考え、それが秩序を保つためなら、やはりそれは大事なことではないかなあとも思う。
ただそれが私利私欲のためになってきているなら、終わってもいいと思うけど。
でも、何でも抗うことを美談に感じてしまうのが人だよなあ。
9月12日(火)
家に人が来てバタバタ。なんだか1ヶ月に1回来ている気がするなあ。
車に乗ってお出かけ。
そしたら赤信号で止まっている時に、自転車に乗って犬を散歩しているおじいちゃんがいた。
結構犬が引っ張られていて、あれってどうなのかなあという話になった。
その上そのおじいちゃんは自転車を止めて、人の家の植込みに小の便をしだしのだ。そしたらすかさず
「うわっ、神は見てござるなのに」
と言っていて、良いこと言うなあと思わず感動。ただ、
「ったく、ジジィは…」
と続けて言っていて、口悪っ!ってなった。
面白いなあ。
人の、たまに無意識で出る口の悪い言葉って、ちょっと面白い。
沢村凛『黄金の王 白銀の王』を読む。
この世は生きる者が住む世界。確かに、死者の言葉も大事にしなくてはいけない。でも死者に縛られる囚われてしまったら、この世は死者のための世界になってしまう。
だから「生者がなすべきことをなしていけばいい」、深いなあ。
死者の言葉で大事にしなくてはいけないのは、きっとその人、これからも生き続ける者を想って言った言葉なのだろうな。
復讐や恨みを残すのは、きっと生きる者のことを考えていない、本当にその人を大切に思っていない言葉なんだろうなあ。
人の幸せ話っていいよなあ。
人の不幸は蜜の味とよく言うけれど、違う気がする。人の不幸は、ただただお腹が空く。密というか麻薬。
幸せ話とて、見栄や承認欲求からくる自慢は別物だけど。
9月13日(水)
大量のナスをどうしようかと悩んだ結果、干すことにした。
結構縮むから、かさばらない。野菜室に保存して、味噌汁に入れると良さげ。(ただ少し苦味はあるけど)
最近、なんでも干すのが好き。
採れた野菜はほとんど干している。
人参、大根、オクラ、ゴボウ、コールラビ、キュウリ、南瓜、ゴーヤ。後畑のものではないけれど、レンコンとかサツマイモとかキノコ類とかも。(南瓜とサツマイモは、レンジで10秒くらいチンしてから干した方が良き)
(ただ、市販や無農薬でないものは、細胞が壊れていて溶けやすく腐りやすいから、上手くいかない可能性もある)
これがまた良くて、干すとかさばらないし長持ちする(人参は2年以上持った)し、味も凝縮して増してとても良い。特にゴーヤは、苦味が少し軽減されて食べやすくなる。
後何が良いって、水で戻して味噌汁に入れると、最高。(キュウリだけは除外)
たくさんの干し野菜を作っておけば、組み合わせが増え、その日によって好みの具材を選んで作ることが出来る。これがまた楽しい。具だくさんになるから、体にも良い。
またやってしまった。
基本的にあまり携帯を見ないから、気づかない時がある。そして何度もやらかしている。
音も嫌で消しているから、余計に…。何度も「そじゃ携帯の意味がないだろ」と言われているのだけれど…。夜にマナーモードにしてしまうとそのままになってしまうんだよなあ。
気をつけよ。せめて見るようにしよ。
9月14日(木)
井上ひさし『ブンとフン』を読み始める。
小説家フンが書いた『ブン』という小説から、ブンという何でもありな4次元の大泥棒が、現実世界に飛び出し大暴れして、世界が大変なことになってしまう。
本当に、悲しいほど学ばないよなあ。繰り返さず同じ失敗や誤ちをしないために歴史や前例があるのに…悲しいなあ。
9月15日(金)
井上ひさし『ブンとフン』を読み終わる。
流石は井上ひさし、という感じだった。
大泥棒のブンはあらゆるものを盗み、世界を混乱させる。ハチャメチャでめちゃくちゃ。ブンの突飛な行動に、最初はこれはどうなのだろうと思ったりもした。
正直に言えば、あまり好感が持てなかった。
でも、やはりというようにそれだけでは終わらないのが井上ひさしさんだ。
突拍子もないと思われていたものが、だんだんと固まって、最後にはブンのことやフン先生のことまで好きになっていた。
笑いやユーモアだけではない、その中に皮肉やチクリとするものが混じっていて、そのバランスの素晴らしさに舌を巻く。
正義とか悪というものが、ひっくり返るところも見どころ。
井上ひさしさんならではの、歌詞のような詩も楽しい、そして杉井ギサブローという方の挿絵も面白い、最高にエンターテインメント性の高く、それでいて考えさせられる本当に素晴らし作品だった。
井上ひさしの歌詞集、シナリオ集、小説と3作読んできたが、完全に好きになってしまった。これからも色々読んでいきたいなあ。
芥川龍之介『羅生門・鼻・芋粥』を読む。
「手巾」を読み終わる。
大学教授の先生と、その生徒を亡くした夫人の話。夫人は、教授に息子の死を知らせる。
なんと、美しいのだろうか。
人には決して弱さを見せまいという気高さ、自分は凄い惹かれるなあ。でも、隠れたところでは耐えきれず、むき出しにしてしまっている。凄い好きだなあ。
そういえばこの話、どこかで聞いたことがある気がする。そう思って考えてみたら、ドラマ『相棒』で見たのだと思い出した。
確か父親を亡くした娘が、質問に淡々と答えていて不審に思っていたら、机の下でハンカチを握りしめ震えていた。そして、芥川龍之介の『手巾』の一節を言う。だったような。
まあだからなんだという話なんだけど。
それにしても、今まで読んだ芥川龍之介作品の中で一番難しかったなあ。
ないのは分かっているが、一応と思って古本屋に『シェルタリング・スカイ』を探しに行く。ついでに芥川龍之介の角川文庫シリーズの何がないか確認。
結局、どちらも見つからなかった。残念。
ただ、違うものを見つけてしまった。
『MONKEY』と『水』と『食足風々録』以外の4冊は、noteで紹介されているのを見て読みたかった本だから、嬉しい。『MONKEY』も絶版の号で新刊で買えないやつだから、凄い嬉しい。
だから仕方ないのです。買ってしまうのも。鬼のような天使に「自制が足りぬ!」と怒られたけど、甘んじて受け入れます。
決まったものを探すだけでも結局買ってしまうから、もう本当に暫く行かないようにしよ。1ヶ月くらい。(え)古書店だけ。(え)
ついでに近くの図書館に行ったら『シェルタリング・スカイ』が置いてなかった…。だから予約して帰る。読めるのは数日後かあ。
9月16日(土)
沢村凛『黄金の王 白銀の王』を読み終わる。
最後の最後までもどかしい本だった。
息をつく暇もあまりなく、次から次へと問題が起きる。それがどれも難問ばかりで、どうなっていくのかとそわそわし興味が尽きない。どんどん、惹き込まれる。
けれど問題は尽きないにも拘わらず、展開は全然進んでいかない。ただ、この話は進まないからこそ利点を発揮していた。
全く進まず、進んだとて1歩1歩。少しずつだからこそ、物語だけど現実味を帯びていた。
遅い展開だけではない。実際に起きた歴史の出来事かのように設定が緻密で、あらゆる立場の人間の感情がとても現実的で、余計に物語の世界へと引き込んでいく。
うーん、頭の弱い自分では、この魅力を上手く表現するのは難しい。ああ、もどかしい。そしてこの物語も、もどかしい。現実世界と同じくらいに、もどかしい。
本当に、長年の恨みや憎しみをなくすことは難しい。1度根深く根付いてしまったものは、1日2日ではどうにもならず、何年何十年頑張り続けて変えていくしか方法はない。それでも完全になくすことは不可能で…。だからこそ、戦争は起こしてはいけない。この本を読んで、より実感した。
今、世界のどの国でも、トップを見るとくらくらが止まらなくなる。
本来人を導き、国を支えていくのは、この本の主人公2人のような存在なのではないかと思った。
ひづちに薫衣も、決して完璧な人間ではない。悩み、感情に支配されそうになり、間違え、欠点を持ち、失敗もする。それはどうかのかと思うようなこともたくさんする。
でも、強い。自分に与えられた宿命をきちんと心得、そのために努力する。自分のためや周りの人のためだけでなく、国や未来の人達のために行動する。
そんな人が上だったら、どんなにいいだろうか。
この本は、物語自体だけでなく、薫衣・稲積夫婦も見どころで、この2人もまたもどかしい。でも追わずにはいられない魅力に満ちている。
最後まで妙に現実的で、もどかしくも素晴らしい、奥底まで残るような、たくさんの人に読んで欲しいと思える作品だった。
果たして、自分の宿命は何だろうか。随分前から考えているけれど、答えは出ない。
もしかしたら、昔の人の方が分かっている人が多かったのかもしれない。自由はないけれど、ないから明確だった。でも今は、ある程度の自由は手に入れたが、自由すぎて曖昧だ。
(かといえ、なさすぎるのも勘弁なのだけれど)
本が好きだから、本好きを増やせたり本との出会いを増やせたらとか、色んな人の世界が広げられたらいいなとは思うけれど。
自分の性格も文も受け入れられづらいことは分かっているからなあ。難しいだろうなあ。
まあやりようはあるだろうけど、変えてまでなあ。貫きたいよなあ。自分が伝えられるまで伝えていきたいよなあ。透明になるまでは。
とりあえず、見つかるまで地道に頑張ろ。
9月17日(日)
嵐山光三郎『追悼の達人』を読む。
「岸田劉生」編を読み終わる。
んー、またも知らない人がきた。続いている。
けれどこの方、武者小路実篤と仲が良かったらしい。
岸田劉生の伝記「劉生伝」を書いた土方定一に対して、武者小路実篤が結構批判をしているらしく、そのエピソードが興味深かった。
かなり熱い人だったのだなあ、武者小路実篤さん。
岸田劉生自身で面白いなと思ったのは、彼の好みさ醜女だったらしい。その上彼は画家。面白い。
彼にとって惹かれるのは、グロテスクで醜く不美人な人。
高村光太郎はそんな岸田劉生の気風を、ピカソ似ていると言ったらしい。
全員が全員、同じものを好み綺麗だと思っては、この世は面白くない。こういう人がいるからこそ、この世界は本当に面白い。
こういう人がいるからこそ、世界は広がり違うものを見ることが出来る気がするなあ。
なんて、思ったり。
畑に生えているの好きに持って行って良いよと、花をもらった。綺麗。
家に少しでも花かあると華やかになっていいなあ。
申し訳ないくらい長いなあ。
そしてまた避けられそうなものばかり。
次はある理由から短くなる予定だから、次こそは読みやすい、はず…。
ここまで読んで頂き、本当にありがとうございました。
皆様にも笑顔になるような出来事が訪れますよう、心より祈っております。
ではでは。
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