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檸檬読書日記 森見登美彦の区切り方、マティスは踊り、馴染み知らずの物語。 5月13日-5月19日

5月13日(月)

小川洋子『約束された移動』を読む。

六つの短編集。

俳優が泊まった後のなくなった本を秘密の合図とする女性や、ダイアナ妃に憧れバーバラと名乗る女の人、元迷子係の末の妹や、突然老女に引っ付かれて離れたくなってしまった男性、黒子羊と出会い託児所を始めた女性や、希少言語の通訳をする女の人の話。

相変わらず少しひんやりと冷たく、それが凄く心地よい。温度はないけれど、生命が終わった瞬間の肌のような、ひんやりとしているけどまだ生々しさが微かに残っているような、そんな感じ。

目の中に寄生するハエが出てきたり、黒子羊の死を考えたり、時にに不気味な、グロテスクさがあったりすれど、それがまた惹かれる魅力・要素になるから、小川洋子の文章は不思議だ。

心と意識を、一時どこかに移動させたい時に良さそうな作品。



「これどこで区切るの?」

『森見登美彦』 

「もりみ・とみひこ」

「あぁ、そりゃそーだ」

投げやりに言ってて笑った。

「それにしても長くない?」

「いや、長くはないんじゃない?」

「…そうか」

笑う。





5月14日(火)


陣太鼓。
嬉しい。
いくつかは普通に食べて、いつか冷凍庫に入れて、そのまま食べよう。冷凍すると求肥がぬちっと少しかためになって良いんだよなあ。
10個あるから結構楽しめそう。むふふ。



神野紗希『もう泣かない電気毛布は裏切らない』を読む。


有限だと気づけば、今をいとおしむ気持ちも湧いてくる。季節も必ずめぐり移ろうものだ。どんなに寒くても、待てばきちんと春は来る。そのことを知っているから、厳しい冬にも耐えられる。楽しみを見出せる。
「赤、やだ!」
信号が赤だと進めないことを知った息子は、ベビーカーの上でイライラしている。
「青になれ、って念じてごらん。きっと変わるよ」
「青、なれーっ!」
信号がパッと青に変わる。息子の表情もパッと明るくなる。
そう、この世界には永遠などない。赤から青へ、今日から明日へ、常に変化してゆく。だからこそ私たちは希望を抱いて、今を超えてゆけるのだ。


「この世に永などない」本当に、その通りだと思う。
どんなに願っても、平穏も日常も続かない。でも同時に、辛いことも苦しいことも、永遠ではない。そう知っている方が、きっと幸福だ。そう知っている方が、平穏と日常を大切にする。大切にするれば、多少の変化はあっても、長く保てる。
良いことは忘れてしまった時に終わり、悪いことは知った時に終わる。なんて、思ったり。





5月15日(水)

『マティス』展へ。


結構前に前売りチケット買っていたけれどなかなか行けず、ようやく行けた。間に合って良かったぁ。

目が覚めるような鮮やかな色彩と、シンプルな線が素敵だった。


どちらかというと、そのシンプルさと配色は、紙に書かれるよりも、ステンドグラスになってこそ魅力が増すように思えた。

全体的に明るく、今にも踊りだし歌いだしそうな楽しそうな絵が多かった。後数日しかないけれど、この明るさは是非とも味わってほしいなあ。

そういえば、せっかくだからと六本木をブラブラしていたら、変わった人に遭遇した。
出汁の試飲場所で、いくつも飲んでいる女の人がいたのだ。その飲み方がまた異常で、小さな紙コップに少しずつ入ったものが何種類か置いてあるのだけれど、全部飲んでいた。1種類ずつではなく、置いてある分全部。
試飲だから少しずつ入れているのに、1つのコップにある分だけ集めて入れて飲んでいた。
六本木という場所だけに、こういう人がいるということが驚きだった。
お金持ちが多いイメージがあったから、そんな迷惑行為をする人はいないものかと思っていたけれど…

「関係ない。変わった人は何処にだっているんだよ」

そのことを言ったら、うんざりしたように言われた。過去に何かありました?

その人、自分が見ている限りずっとその行為をやっていて、店員が仕方なく増やしてもそれも全部飲んでしまい、他のお客も来るから仕方なくまた増やして、でもその女の人が飲んでしまって…と繰り返していた。その手際の良さといったら…あれは絶対常習犯。
あまりに酷いから、いっそやめた方が良いのではと言ってしまおうかと思った。店員は言えなそうだから、自分が言いたくなった。
けれど直前で日和ってしまった。今変な人が多いから、それで逆恨みされてついてこられて家特定されてと考えたら…
でも女の人だったから、暴力に出ることはないだろうし、やはり言った方が良かったかなあ、と言ったら

「いや、注意しなくて良かったよ。女の人の方が危ない。ねちっこいからね」

と言われた。
何かありました?

「それに刃物とか持っていたりするかもしれないし」

な、何かありました?

最後まで動向を見ていたわけじゃないから、その後女の人がどう行動したか分からないけど、せめて商品買ってくれよと思った。お願いだからたくさん買っておくれ。





5月16日(木)

凄い。
種植えしたトウモロコシ、最後の1つだけ出ていなかったけれど、ようやく出て、これで10個全部出た。発芽率100%だ、凄い。



神野紗希『もう泣かない電気毛布は裏切らない』を読む。


朝、となりで目覚めた二歳の息子が、枕に頬を載せたまま、「逢いたかった?」と聞いてきた。なんだかとても永いこと、逢えなかったみたいな言いぶりで。昨夜も一緒に寝たじゃないか。でも、よく考えてみれば、自分が眠りについているときは意識がないのだから、どれだけ時間が経ったかなんて、確かめようがないのだよなあ。
「うん、逢いたかったよ。いっぱい、いっぱい、逢いたかった」
そうほほ笑みかけると、本当に百年待っていたような気持ちになった。彼は、私の目を見つめて、満足そうに笑った。


グッときた。こういうの、弱いんだよなあ。
愛されている子どもがいることを知ったりエピソードを読むと、安心する。全ての子どもが愛されて、満たされて、育ってほしい。
幼少期に満たされた子は、その感覚をきっと忘れないと思う。強くはなくても、落ちはしない。弱かったり落ち込んだり迷いそうになっても、道から外れることはない。と、思うのです。
だって、知っているから。自分が愛されていたとを。そう考えると、やはり強い人になるのかな。



米原万里『打ちのめされるようなすごい本』を読む。


人間の基準で犬の知能を判断する独りよがりについて、「誰でも英語を話すと決めつけている傍若無人なアメリカ人旅行者に似ている」


わはは。





5月17日(金)

滝沢カレン『馴染み知らずの物語』を読む。

有名な作品を読んだことない作者が、タイトルだけで想像して書いた物語集。

想像以上に良かった。
テレビで見るイメージで、不思議な配置をされた文章と、変わった世界観の物語で、笑えて楽しい作品なのかと思っていたら、全然違った。失礼ながら侮っていた。

最初の話から、凄い引き込んでくる。
明るいイメージを想像していただけに、恐ろしい内容に驚かされた。いい意味での裏切り。

明るい物語だけでなく、恐ろしいものや深いものまで様々で、オリジナルを知ってるものはオリジナルとの違いが面白く、知らないものはそれがオリジナルのように楽しめた。
個人的に知ってるもので良かったのは、カフカの『変身』と、ディーリア・オーエルズ『ザリガニの鳴くところ』。オリジナルが少しほの暗い終わりなだけに、滝沢さんではハッピーなものになっていて、救われるようだった。
でも内容結構違うのだけれど。『変身』など、虫でなくベッドに変身している。面白い。

物語だけでなく文章も良くて、作者のあの不思議な言葉選びが、この中では見事に物語を引き込む魅力の1つになっていた。

例えば


その日は雲がぎゅうぎゅうに詰まった、窮屈な朝だった。


(略)彼が私の頬に優しくキスをする。フワッと肌から自然に香る赤ちゃんみたいな香りに、私の肌に乗せたブルーベリーの香水はたじたじだ。


凄く良いと思うのは自分だけだろうか。
この言葉の選択、なかなかないと思う。それが他にない唯一無二な個性になっていて、自分は凄く惹かれた。いつもとは違う景色が見れたような。
本職ではないからか、ぐっだとしたところや軽い感じもあるけれど、慣れるとあまり気にならなくなり、物語自体もどれも良かった。
是非とも続編、シリーズ化してほしい。もっともっと読みたいなあ。



女の人のねちっこいのを早くも思い知った。
4、5年以上前のことを覚えているようで、凄い暴言を浴びせられた。しかも叫んで。
確かに気づかなかったとはいえ自分にも非はあるかもしれないけれど…それにしても凄いなあ。実際はなにもなかったのになあ…。 

取り憑かれたように、大体5個くらいの言葉を止めどなく繰り返し言い続けていた。それがまた早い早い。(早口言葉得意そう。違う時に聞いた人は、寿限無みたいと言ってた。笑う。)
あまりにも早くて言葉が強すぎて、呪言みたいだった。強烈すぎて暫く耳から離れなかった。
言葉だけで何かをする人ではないから大丈夫だと思うけれど、それでも流石に怖くて近づけなくて仕方なく遠回りした。せっかくだから近くの神社にも行ってお参りもしておいた。思わずその人の幸せを願ってしまったよ。

もうなんか、幸せじゃないんだろうなあ。
あれって言ってる方も苦しいと思うんだけど…。
愛されたいのにそういうことするから愛されなくて、不満が溜まって当たり散らして、だから余計人が避けていって…でも愛されたくて。抜け出せない負の連鎖が出来ている…。哀れだ。

気づいて幸せになれることを祈ります。





5月18日(土)

山本冴里『世界中で言葉のかけらを--日本語教師の旅と記憶』を読む。

さまざまな国へ行き、たくさんの言葉に触れ、各国で日本語を教えてきた著者によるエッセイ。

日本語を教えながら出会った人々、日本語を学びたいと思う人のことや、気持ち、言葉の気づき、言語に対する捉え方など、興味深いものがいくつかあった。
これはきっと、1つの言語だけでは分からない感覚なのだろうなと思った。違う言語を学ぶということは、知りたいという歩み寄りがある。
言語が1つなら楽なのになあと思うこともあるけれど、違うからこそ生まれるものもあるのだろうなと。より深く相手を知りたいという強い想いや、分かり合いたいという気持ちが。

想像していたよりもあまりピリッと感も踏み込んだ感じもなくて、少しあれとなったけど(最近そういうのを読みすぎたせいもあるけど)、言葉や言語に注目するよりも、日本語を教える教師として各国を回っている人のエッセイだと思って、旅日記として楽しめる作品。



米原万里『打ちのめされるようなすごい本』を読む。


(略)牛丼がもたらす健康への弊害は馬鹿にできない、と山下惣一編著『安ければ、それでいいのか!?』は教えてくれる。発癌性が問題になっている合成ホルモン剤と抗生物質への投与は、アメリカでは常識になっているし、付け合せのショウガなどには食品添加物が大量に使われているからだ。
アメリカでは、生後十四~十八ヵ月の牛は、「肺炎など気管支系の病気を予防するためのワクチン注射を打つ。その後、成長促進のために、耳の後ろにホルモン剤を埋め込む。そして、トウモロコシなどの濃厚飼料を主体にしたエサで集中的に太らせる。このトウモロコシは、遺伝子組み換えした品種が大半である」
(略)
また、「抗生物質が残留している肉を食べ続けると、いざ病気にかかったときにまったく薬が効かない事態に陥る可能性もある」。


だから余計に強い薬になっていって、副作用もきつくなっていくのかなあ。

今、安ければ良いみたいな時代になってしまっているけれど、リスクを考えたら…。浮いた以上の金額が医療費にかかって、その上苦痛が上乗せされて…返ってくるものの方が大きい気がする。

今の日本経済の低迷円安も、より安いを目指して利益と質と健康生命と自然とを無視してしまったからのような。
より安いを求めたために、質のよく高いものは価値をなくし、売れなくなっている。安いものばかり出るから、上がらない。もう自ら首を絞めているようにしか見えないよ。それらを無視した代償が、今返ってきてしまってるね。
と、経済のけの字も知らない頭の悪い人間が言ってみたり。



イブ・タイタス『アナトールとねこ』を読む。絵本。

チーズ工場で味見役として働くネズミのアナトールと、アナトールの仕事と生命を脅かす天敵ねこ。働き続けるため、アナトールはねこに挑む。

色合いとか絵が、おフランス感プンプンでお洒落。とても好みだった。






5月19日(日)


間引き人参が可愛い。
勿体ないから食べる。1本分にはなってそう。

今日はやることもりもりだった。
種用に埋めておいた里芋を掘り起こして植えて、トウモロコシの苗もいい感じになったから植えた。

カモミール、ルッコラ、スイスチャード、玉ねぎ、らっきょ、スナップエンドウ、紫キャベツ、ビーツ、ニラを収穫。

そして枝豆と胡麻とヘチマの種植え。

らっきょと玉ねぎの処理したら目が痛い。ひえー。
大きくなってるから、トマトの苗も植えたかったけれど、そこまで出来なかった…。げそ。

本当は体力(気力?)が残っていたら、文フリに行きたいなあと思っていたけれど、残らなかった…。十文字青『私の猫』と、森見登美彦等4人共著『城崎にて』買いたかったなあ…。
なおかつnoteの方が行かれる、プラスやられてるみたいだから行きたかったけど…残念。
まあ行けたとて、極度の人見知だから話しかけられずに終わりそうだけど。こっそり行ってこっそり買ってこそこそっと帰ることになっていそう。
それか結構混雑していたみたいだから、入る前にリタイアしていたかも。人混みですぐ酔うから…。全く貧弱者めっ。



エドガー・アラン・ポー『黒猫 ポー傑作選1』を読む。
「落とし穴と振り子」を読み終わる。

こんな恐ろしいことがあるだろうか。

地下牢に閉じ込められた男は、様々な恐怖を味わう。食べ物は僅か、それも何かが盛られていて、体も上手く動かせなくなる。次第に自由は奪われ、刻刻と振り子は近づき死が迫り…。

絶望、希望、絶望、希望、絶望絶望絶望。
時々僅かな希望が見え隠れするだけに、より一層絶望が際立ち、ドキドキが止まらなくなる。
人を長く苦しめるための拷問は、残酷な極みであり、主人公の精神はじわりじわりと削られていく。
その恐ろしさはこちらまで及び迫ってくるようで…。
色々な意味で恐ろしい作品だった。



石井千湖『文豪の友情』を読む。
「川端康成と横光利一」編を読み終わる。

川端康成は交流関係が広く、特定に誰かとというイメージがなかったから驚いた。
仲良くなったきっかけは、菊池寛。川端康成は彼に横光利一は「あれはえらい男だから友達になれ」と言われたらしい。それで唯一無二の親友になるのだからナイスですね、菊池さん。

何となしに読んだけれど、2人のエピソードどれもおかしい。(面白いの方)

家に帰れなくなって仕方なしに宿に泊まり、ないからとダブルベッドに狭苦しく寝る羽目になった川端康成と横光利一。川端康成は 


(略)彼、蒲團を澤山僕の方に寄越して、他愛なく眠りに落つ。健かな寝息にてフウフウ僕の頬を吹く。僕はそれが寒くて眠れず。


と書いている。笑う。想像すると面白い。

お金がなかった川端康成を気遣って、新婚旅行にも拘わらず、横光利一は川端康成はいっしょに行かないかと誘った、というのもなかなかでなかなか。

この2人、面白いなあ。一気に気になってしまった。とりあえず横光利一の作品、まだ読んだことないから読んでみようかな。




ここまで読んでいただき、ありがとうございました。
皆様の幸福を心から願っております。
ではでは。

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