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檸檬読書日記 短歌のリズムで、読書を語り、石川啄木は借りすぎです。 5月27日-6月2日

5月27日(月)

採ったらっきょの処理をして、酢らっきょと塩らっきょを作る。
目が…目が痛い。処理で目がやられた。
まだ結構畑にあるんだよなあ、らっきょ。もういっそ全部種用にしようかな。(来年大変になるパターン)



岡本真帆『あかるい花束』を読む。短歌。 

自分が特に気に入ってるのは


夏が好き すべてのものが永遠のような顔をしてそうじゃないから

幽霊にあだ名をあげて。お別れの曲は半ばでワルツに変わる 

心臓は真ん中にない 心臓はきみのにおいのことを知らない

乱丁のある文庫本抱きしめる 愛すよたったひとつの傷を

「新月」と名付けた人を称えたい光らなくてもそこにあるもの

冬眠をするならジュンク堂がいい 図鑑の花に恨まれながら


第1歌集『水上バス浅草行き』が良かったから読んでるみたけれど、今回も良かった。情景が思い浮かべやすくて、スっと入ってくる。
様々な花が集まってひとつの綺麗な花束ができ上がるように、どの短歌も違う色合いはしていれど、1冊の本で通して見るからこそ引き立てあって魅力が増していた。まさに花束。
相変わらず中の絵も良かった。シンプルな線で描かれた花々。凄く好み。






5月28日(火)

短歌読む 小説読むと あら不思議 全ての文が 五七調なり

毎回、短歌の本を読んだ後は、区切りがないのに勝手に区切って短歌っぽく、リズミカルに読んでしまう。
自分だけかなあ。
いやあ、短歌の力恐るべし。



凄い、手が未だにらっきょ。
匂いが消えぬ。鼻の中にも残っている感じが…。
恐ろしやらっきょ。

強烈な らっきょのにほいが 消えなくて 鼻の中にさ 居座ってるでしょ

らっきょさん。字余り。



『ブラウニング詩集』を読む。


彼らはある年、百万の軍勢を遣わした
南に北に、
また神々のために雲つくような真鍮の
円柱を建てたのだ、
しかもなお、強力な千台の戦車を用意していた--
これは皆むろん黄金の力によるもの。
おお、心よ! おお凍る血よ、燃えよ血よ、
幾世紀にもわたる
愚行と喧噪と罪悪への報いは如何なるものなのか!
すべてを葬るのだ、
勝利や栄光など、すべて葬るのだ!
愛こそ最高のものだ。

「廃墟の恋」


「愛こそ最高のものだ」かブラウニングらしい。


うるわしのイーヴリン・ホープが息を引きとった!
しばらく傍らに座って見守ろう。
(略)
あの娘が摘んだゼラニウムの花は、
もう水差しの中でしおれかけている。
(略)
ついに思いも寄らず神の御手に差し招かれて、
いま目にするのは、美しいほの白いその額ばかり。
(略)
そこで私はなおもきみを求める、私自身の愛ゆえに!
きみを得るのは遅くなるかもしれぬが、幾度も生まれ変わり
いくつもの世を渡ってゆくことだろう、
学ぶこと忘れることも多かろう、
やがてきみを得るときが来るまでは。
(略)
イーヴリンよ、私はいつまでもきみを愛していた。
(略)あどけない、若々しいきみの
                                             微笑み、
(略)
もう口を噤もう--この花びらを一枚きみに捧げよう。
ほら、それを美しい冷たい手に握らせよう!
さあ、それは二人だけの秘密なのだよ。おやすみ!
きみはやがて目を覚まし、思い出し、分かってくれよう。

「イーヴリン・ホープ」


3倍も違う歳下の少女を娶ったが、彼女は亡くなってしまう。
ほの暗い中では、死んだ彼女の白い額が最も目に付いた。
若く純粋な少女を、彼は愛してるいた。でも今はいない。今愛を知らせても、遅いのだろうかと言う。それなら幾度も生まれ変わろう。生まれ変わった先(あの世)で、また語ろう。

みたいな感じらしい。(多分)
訳者が、ウラジミール・ナボコフ『ロリータ』を思い起こさせると書いているが、確かに。(ちゃんと読んだことはないけれど)

この人、亡くなった女性を書く方が美しく感じる気がする。生きてる女性は皆キンキンしてる。



ヴァンダ・プシブィルスカ『少女ダダの日記 ポーランド一少女の戦争体験』を読む。


そうだ。人は、生きるために、最後のさいごまて不幸や災厄とたたかうようにできているのだ。





5月29日(水)


おやつ。

「焼き菓子工房 KIJIMA」のパウンドケーキ(チャイ味)と、紅茶。

チャイ味って珍しいなと思って買ったけれど、今まで何故なかったのだろうかと不思議なくらい美味。
優しい甘さと、チャイ独特のスパイス感。ずっしりしっとりの質感は食べ応え抜群で、匂いもスパイスの良い香りがふわり。
なおかつ使ってるもの全て有機。卵も平飼い。素晴らしい。

黒糖珈琲味とかもあって、それも良かった。苦すぎず甘すぎず、程よい。黒糖だからか香ばしさも増していて、とても良い。大人向けのパウンドケーキだった。



ヨシタケシンスケ『おしごとそうだんセンター』を読む。児童書。

地球に不時着した宇宙人は、この星で生きていくため、職業相談所で自分に合った仕事を探すことに。様々な職業を見ながら、働くことや仕事の意味について考えていく。

全体的にポップなのに、相変わらず深い。
けれど紹介される職業はどれも変わったものばかりで、くすりと出来るものや、実際にあったらいいのになあと思えるものまで様々。どれもよく思いつくなあとというものばかりで、その発想には驚かされた。

個人的には「文庫すくい」が良かった。金魚すくいでなく文庫すくいを営むお店(出店?)。
金魚ではなく、文庫をすくってとるのだ。金魚すくいと同じように水の中に文庫(ちゃんとビニールでカバーした)が浮かんでいて、それをポイですくってとるらしい。
子供より大人がハマりそう。
実際にあったらいいし、あったら店番もしたいし、やってみたいなあ。

仕事についても考えさせられるが、見ているだけでも楽しめる作品だった。



『泉鏡花きのこ文学集成』なる本が出るらしい。
きのこ好きとして気にならずにはいられない。

表紙がなかなか奇抜でクレージー。1周回ってお洒落。2周回って天才的センス。

それにしても、泉鏡花が「きのこ文学作家」といわれていたとは知らなかった。そんなにきのこの話書いていたんだね。





5月30日(木)

あー、目が痛い!
今度は玉ねぎのみじん切り。最近目をやられるものばかりをやっている。あぁ、目が…。 

玉葱を バラバラにして 反撃を 受けたようです 涙止まらぬ



『ブレヒト全書簡』を読む。

前半部分で頻繁に出ていたけれど、中間辺りから全く名前の出なかったカス君(ブレヒトの友人であり、おそらく画家)の名前がようやく出てきた!良かった、生きていたんだね。ぱったりと消えたからもしかして…となっていたけれど、ほっ。 

『ブレヒト全書簡』まだまだ先は長いけれど、これが読み終わったら、次は『カフカの日記』読もうかな。おそらく今年中には読み終わると思うんだよなあ。予定では。



小林秀雄『読書について』を読み始める。

小林秀雄初心者である自分が、最初に何を読もうかと思った際、この記事を見て惹かれて読んでみた。
この本の細な内容は、こちらを見ていただいた方が分かりやすい。(丸投げしている…)だから自分はさらっと思ったことだけを。(いや、それっていつも通りか…)


僕は、高等学校時代、妙な読書法を実行していた。学校の往き還りに、電車の中で読む本、教室で窃かに読む本、家で読む本、という具合に区別して、いつも数種の本を平行して読み進んでいる様なあんばいしていた。


最初から分かる分かると思いながら読んだけれど、この後に若い頃はと続き、おっととなった。
自分は未だに平行読みですよ。家読み本など、大体10冊くらいを平行して読んでいる。

それより「あんばいしていた」が妙に気になった。「あいばい を していた」とかじゃないのかあ。

調べたら、夏目漱石の『草枕』にも「適当にあんばいしておけ」や「九個が整然と同距離にあんばいされて」という文章があるらしく。ただこの場合は「順番に並べる」や「程よく配置する」という意味の「按配」から来ているようで。「塩梅」の時は、何かしら後に「に・が・を」とかが引っ付いてくる。でも流れからして「按配」ではなさそうだし…。うーん。最早「塩梅」自体の意味が分からなくなってきた。
まあくだらないことだけれど。どうでも良いね。


書くのに技術が要る様に、読むのにも技術が要る。文学を志す多くの人達は、書く工夫にばかり心を奪われている。作家と言われる様になった人達でも、読む事の上手な人は意外に少いものだ。


なるほど。
読む工夫は「言わば自問自答して自ら楽しむ工夫」であるらしい。なるほど。

読書の他に、芸術についても書かれている。


近頃の絵や音楽は難しくてよく判らぬ、ああいうものが解るようになるには、どういう勉強をしたらいいか、どういう本を読んだらいいか、という質問が、大変多いのです。私は、美術や音楽に関する本を読むことも結構であるが、それよりも、何も考えずに、沢山見たり聴いたりする事が第一だ、と何時も答えます。


肯定された気分。
いつもあんまり考えず、説明文も読まずに(タイトルや名前も覚えられないからあまり見ずに)絵だけを見ていたけれど、小林秀雄流だとそれでも良かったのだなあ。ほっ。


極端に言えば、絵や音楽を、解るとか解らないとかいうのが、もう間違っているのです。絵は、眼で見て楽しむものだ。音楽は、耳で聴いて感動するものだ。頭で解るとか解らないとか言うべき筋のものではありますまい。先ず、何を措いても、見ることです。聴くことです。


難しく考えることなかれということだろうか。
絵も音楽も、最初は分からなくても見続け聞き続けること、そして慣らすことが第一らしい。なるほどなるほど。
でも確かに、慣れは大切かもしれない。自分も昔は有名な絵や音楽、映画や芸術品、全てにおいて何が良いのか分からないでいたけれど、美術館などで実際に見たりするうちに、最近少し良さが分かってきた気がする。何を持って良いとされているのかが、なんとなく。生意気にもね。
良くお金持ちとかが子供に、良いものをたくさん見て聴いて目と耳を養いなさいというのを見るけれど、それは間違っていなかったのだなあ。

食もそうだろうけれど、良いものや美しさを知るためには、芸術というものを体感し続けることが大切なのだろうなあと、思ったり。
ただ、より深めて楽しむためには知識も必要だと思うけれど。





5月31日(金)

小林秀雄『読書について』を読み終わる。

難しくて読めなかったらどうしようかと思っていたが、杞憂だった。勿論難しい面もあったけれど、想像よりも読みやすかった。
切り込み具合もそこまでではなく程よくて、小林秀雄初心者には最適な本だった。

題名は「読書について」だけれど、読書だけでなく、文章や評論や評論家について、果ては文化まで読書周辺のことが幅広く書かれているのも興味深かった。助言とかも書いてあるから、作家を目指す人にも良さそう。

書き方が書かれた本というのは、溢れかえるほどあるけれど、読み方を学ぶ本というのはあまりない気がする。というか自分はこれまで聞いた事がなかった。
反対に、読書慣れしている(本をたくさん読んでいる)と、文章を目で追えているのだからと気にならなく、気づけなくなるのかもしれない。読み方にはそんなに頓着しなくなるのかもなあと。
改めて、本を読むこと、読み方とはなんだろうかと考えるきっかけとなった。
だからどちらかというと、本読み初心者よりも本が身近な人が読むと興味深く読めるかもなあと思ったり。

最後に


或る作家の全集を読むのは非常にいい事だ。研究でもしようというのでなければ、そんな事は全く無駄事だと思われ勝ちだが、決してそうではない。読書の楽しみの源泉にはいつも「文は人なり」という言葉があるのだが、この言葉の深い意味を了解するのには、全集を読むのが、一番手っ取り早い而も確実な方法なのである。


この本の中で、1番印象に残るのがこの文。

「文は人なり」

小説だけでなく、随筆や手紙や日記など、その人を丸ごと味わうことでしか見えないものってあるのだろうなあと。やはり1度、誰かの全集読もうかな。
長いと途中で挫折しそうだから、まずは短いのから。



エドガー・アラン・ポー『黒猫 ポー傑作選』を読む。
「黒猫」を読み終わる。

言わずと知れた。
有名だけど読んだことがなかった。

男には恐れているものがあった。
猫だ。黒い猫。飼っている黒い猫が、気づけば男を見つめている。じっと見つめるその視線は、不気味で悪魔のような恐ろしさがあった。
男は猫をどこかへやってしまいたかったが、妻が猫を可愛がっていたため、それも出来ない。
しかし次第に視線は頻度を増し、終いには常にその視線を感じるようになった。何処へいても、家にいても外にいても、眠った夢の中でさえ…。
男はとうとう耐えられなくなった。限界だった。斧を持ち、猫を殺そうとした。しかし、猫を可愛がっていた妻が邪魔をしたため、間違って妻を殺してしまった。
男は慌てた。
丁度修復途中だった壁が目についた。その中に妻を入れ、次いでに猫も捕まえ押し込み、埋めて新しい壁を作った。
しかし満足したも束の間、壁に猫の顔がぽこりと浮き上がると、にゃーと鳴いた。
その壁から、猫の顔と声が消えることはなかった。

と、思っていたのだけれど、若干違った。
ふわっとした知識と想像で、哀れな男と悪魔のような猫の話だと思っていたけれど、想像よりも残酷で狂気的だった。猫好きな人は読まない方が良さそう。

人は悪魔より悪魔的だ。悪魔よりも人の方が怖い。
お酒は程々に。そうでないと、悪魔が寄ってきてしまいますよ。
ということですか。違う?





6月1日(土)

陣太鼓には抹茶味があるらしい。
陣太鼓を大量にもらった箱の中に、商品一覧の紙が入っていて、抹茶味があるのを知った。
そんなの、気になるではないか。食べたい。


と言ったら、早速送ってくれた模様。自分は6個もらった。やったー。
抹茶味は1つの箱に2個入っているようで、通常より小さくて可愛い。ひと口サイズで食べやすい。
味は凄い抹茶。(当たり前だけど)餡子も求肥も抹茶。
結構濃厚だから、牛乳に入れて崩しながら食べるのが良き。

今家に餡子が溢れてる。有難い。
そういえばここのやつ、武者がえしとかザビエルとかも良いんだよなあ。言わないけど。餡子はしばらくお休み。



『ものがたりの家 -吉田誠治 美術設定集-』を見る。

架空の世界、物語の中にありそうな家の絵や設定を集めた画集。

ロマンが詰まってる。こういう家、憧れる。
渡辺篤史の建もの探訪のように、実際の家を見るのも楽しいけれど、架空の家を覗くのも夢があってわくわくする。もしこんなとこに住めたらと妄想が膨らむ。

いやぁ、この本眺めてファンタジー小説が無性に読みたくなってきた。
小説だけでも現実から離れたーい。






6月2日(日)


焼き栗を貰ったから、今日は渋めに栗とホットジンジャー。
オーブンでまた熱を入れたからより香ばしくなった。季節外れだけれど、栗はいつ食べても美味しいなあ。



『ブラウニング詩集』を読み終わる。

先週読んだポーの『大鴉』という詩は、ブラウニングの『貴婦人ジェラルディーンの求愛』という詩の構成を真似たところがあると知り、気になって読んでみた。
のだけれど残念ながら求めていた詩は載っていなかった…。
それでも一応勿体ないからと読んでみたら、確かにポーの詩に似たところがあるような。若干だけれど、ポーが影響を受けてそうだなあというのは感じた。それが何処かといわれると難しいけれど。

ブラウニングは愛こそ全てであるという考え方らしく、所々にそれが感じられた。誰かを愛する、人を愛しましょうというよりも、愛に生きる自分を愛している感じはあったけれど。目の前にいる人よりも、自分の中で作り上げた理想的な人を愛しているような。(勝手な感想)

でもやはり翻訳物、なおかつ細かい文が削ぎ落とされる詩となるとより難しく、自分には難易度が高くて殆ど読み解けなかった。それでも興味深い点はたくさんあった。最初からツッコミポイントがあったり。なかなかに思考が突飛だった。



石井千湖『文豪たちの友情』を読む。
「石川啄木と金田一京助」編を読み終わる。

金田一さん、凄い寛大すぎやしませんか。1円が2万円くらいの価値があった当時に、金田一京助は石川啄木に100円を貸していたのだとか。200万円…わぉ。

お金がなく住む所がなかった石川啄木、金田一京助に置いてくれないかと頼んだところ


「ああ、いいとも、いいとも。幸いここは八畳だし、暖かくなったから、一枚ずつ敷いて、一枚ずつ掛ければ二人分夜具もある。椅子やテーブルもあるのだから、私が机にすわる時には、あなたは椅子にテーブル(略、ある時は逆にすればいいから)だいじょうぶだ。」


良い人すぎる…。
この同居生活も1年ちょっとだったらしいが、金田一京助にとっては特別な時だったらしい。なんと…。

それにしても、石川啄木の借金総額が凄い。現在の金額で、約2744万円なり。借りたねえ。





ここまで読んでいただき、ありがとうございました。
皆様に素敵な出会いがありますよう、祈っております。
ではでは。

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