檸檬読書日記 かいだんは怖く、ハツカネズミは切なく、鼻は皮肉。 8月21日-8月27日
8月21日(月)
かいだんが怖い。
怪談ではなく階段が。
昔から、下りより上りの階段が苦手だった。上っているとだんだんと視界が歪んでクラクラして、今自分が何処を歩いているのか分からなくなる。
おそらく下りは足元が見えるけど、上りになると足元が見えづらくなるからだと思う。だから、何処に足があるのか不安で怖い。
下りは難なく走っても下れるけど、上りはいつも慎重にヨタヨタ歩き。
この話をしたら「普通は下りの方が怖いんじゃないの?」と言われた。大概いつもそう言われる。自分だけなのかなあ。
とはいえ、何の支障もないのだけれど。
あえて避けることもなく、寧ろ運動不足だから階段を使いがちだし、だからまあ、何の問題もないんだけど。
ジョン・スタインベック『ハツカネズミと人間』を読む。
体は大きいが頭の弱いレニーと、体は小さいが賢いジョージは、2人は昔からずっと一緒で、夢の暮らしのために農場を転々としながら働いていた。
ただ、力は強いが子供のようなレニーは問題を起こしがちで…。
ダニエル・キイス『アルジャーノンに花束を』もそうだけれど、こういうのはどうしてこうも切ないのだろうか。
悪や善という概念を、ごちゃごちゃにさせられる。
そして、強い友情に胸が締め付けられる。これは一種の愛なのだろうか。
なんとももどかしくて読み終わった後、結末を何度も思い出して考えさせられた。今も、脳裏に蘇っている。
そして、2人が夢見た空想シーンも何度も思い出す。
レニーの「まえに話したみてえに、話してくれよ」「さあ、おらたちのこと、話してくれ」「続けろよ、ジョージ」が、頭からずっと離れない。
ヨシタケシンスケ『メメンとモリ』を読む。
メメンとモリの姉弟の日常から生まれる哲学的な絵本。「メメントモリ」いつか必ず死ぬことを忘れるな、がテーマらしい。
可愛い絵ながらも、なかなかに深い内容だった。
世界でひとつしかないお皿を割ってしまったモリに、メメンは言う。
本当にそうだよなあ。
この世に永遠というものはなく、いつ何が起こるか分からない。
だから今を大切にして生きていかなくちゃいけないよなあ。
深いなあ。
けれど終わりは、ヨシタケシンスケさんらしいクスリとするもので、その加減もまた良い。
他に2編、合計3編収録されているが、どの話も考えさせられるようなもので、大人でも楽しめる作品だった。
8月22日(火)
干したきゅうり。
最近干しきゅうりにハマっている。
毎日きゅうりが2.3本取れるから、きゅうりに追われる日々。そのまま切って、味噌マヨで食べるのも良いのだけれど、限度がある。きゅうりはサラダ以外で使い道も少ないし…。
だけど、干しきゅうりにすると、野菜室保存で通常の生きゅうりより断然に長持ちする。
そして使い道も増える。干しきゅうりなら、水分が少なくポリポリしているから、炒め物にしても美味しい。チャーハンに入れても良き。
でも個人的に好きなのは、漬物。
特に、干したきゅうりをそのまま、麺つゆと甘酢1対1の液に、鷹の爪を好みの量入れて、1日漬けたやつが最高に良き。(好みで、生姜や刻み昆布を入れても良き)
たくあんみたいにポリポリした食感に少し甘めの味が、ご飯に合う合う。卵かけご飯に入れるともう最強です。
個人的には、これに梅干しとか納豆を入れるのが好き。(このきゅうりに、漬けマグロに、少し甘めの練り梅干し(鰹節入り)をご飯に乗せて海苔で巻いて食べるのも最高)
干しきゅうりは、ただ切って(夏なら)大体朝から夕方くらいまで外出して干して置けばいい感じの締まり具合になる。
柔らかめが好きなら半日で、固めなら1日。(自分は固めが好きだから大概1日出しっぱなし)
きゅうりを作ってる人あるあるだと思うのだが、きゅうりは直ぐに大きくなるから、少しでも見逃すとズッキーニのごとく大きくなってしまう。
普通に食べるにはふにゃふにゃしてて微妙、だけど捨てるのは勿体ない。そんな時に干しきゅうりは最適だ。
干してしまえばふにゃふにゃは気にならないし、普通サイズの時に作るよりも食感が少し違くなるのも面白い。
(ただ、大きいきゅうりは、種を削ぎ取って干した方が良い)
干しきゅうり、最高です。
自分が書いた感想を読んで手に取ってみることにしたと言われ、ニマニマしている。嬉しい。
もっと本の魅力を伝えられるように頑張ろ。
8月23日(水)
門井慶喜『小説あります』を読む。
作家の徳丸敬生の文学館で働く老松郁太は、古書店で徳丸敬生が亡くなった後に出された遺稿集を見つける。
だがその本には、徳丸自身のサインがあった。徳丸は30年前に遺書を残し、行方不明になっている。そのことから、もしかしたら彼はまだ生きているのではないかと調査を始める。
この本は、2つの事柄で進行していく。
徳丸敬生の本の謎と、廃館になってしまう文学館を残すために「人はなぜ小説を読むのか」という問題に挑む。
この2つが交互に進行していて、読んでいて飽きない。
亡くなった後に出た本に、何故サインがあるのかの謎も、何故人は小説を読むのかという問題もどちらも興味深くて、どちらも早く真相や解答を知りたくて、ぐいぐい読み進めてしまう。
そして真相も解答も、興味深かった。
「人はなぜ本を読むのか」。個人的に好きには、青谷真未『読書嫌いのための図書室案内』という本に書かれている解答が好きだけれど、こちらも良いなと思った。
徳丸敬生は、架空の文豪であるものの、実在の文豪小林秀雄や三島由紀夫なども絡めたりしていて、そこがまた面白かった。
この本には姉妹の姉にあたる『おさがしの本は』という本があるらしく、いつかこちらも読んでみたい。
ああ、流されてしまうのか。
もう魚介類は食べられなくなるのかなあ。肉より魚派の身としてはきついな。肉はこの先一生食べれなくても困らないけど、魚は…辛いなあ。
それなら海外の食べればいいのだろうか。でも海は繋がってるしなあ。うーん、本当に人って罪深いな。
ただ漁師が大変なのも分かる。生活もかかってるし…。でも健康と命がかかわっている以上、情で絆されて口にするには少しリスクが大きい…。
海水で薄めているから安全とは言っているけど、完全になくなった訳ではない。
バケツに張った水の中に林檎を入れるのと、お風呂に張った水の中に林檎を入れるのとでは、水の量は違えど、林檎自体の量が変わることはない。そういうことなんじゃないかなと思っている。
それに何をしても消せないのに、人間の体で分解出来る訳ないよなあ。溜まっていくだけ。
それでも安全だと言うなら、政治家が毎日そこの魚を食べてくれないかなあ。
マイナも木もそうだけれど、国民の意見がまるで通らない。もしかして違う場所で生きているのかと思うほど、無視。
子どもが総理に、平和を掲げているのに何故平和とは反対のことをするのかという手紙を何度も送っているが、全部無視されているというのを何かで見た。本当に違う場所で生きているのかもしれない。
反対しても全部通ってしまうから、何やっても無駄なのかなと思ってしまう。暗い穴に落ちるのを避けられないのかなと目を背けたくなる。
でも諦めては駄目だよなあ。諦めたら本当に終わりになってしまう。
それにしても、届かないというのはなんとももどかしく虚しいものだなあ。
8月24日(木)
川口晴美『小さな詩の本』を読む。
前々から思っていたけれど、金子みすゞいいな。
決して強い言葉ではなく、さらりとしているのに、凄く残る。言葉が浸透していくみたいだ。
詩集欲しいなあ。
中国凄いな。
自分のところでもバンバン海に流しているのに、批判の嵐。
沖縄のための名目作りをしたいのかな。
8月25日(金)
自転車で駆け抜けていたら、セクシーなおじいちゃんとすれ違った。
毎日毎日暑いから仕方ないのだろうけど、シャツを捲ってお腹を出していた。イケイケの若い女の子がやるようなへそ出しに思わず笑ってしまった。
それで良いのか、おじいちゃん。
それに結構人通りも多いよ、おじいちゃん。
その格好で、何処に行くのだろう。
芥川龍之介『羅生門・鼻・芋粥』を読む。
「鼻」を読み終わる。
言わずと知れた、鼻が異様に長い僧侶の話。
以前、集英社文庫の『地獄変』を呼んだ際、唯一印章に残っていたのが「鼻」だった。相変わらず面白い。
ただ以前は鼻が短くなったり長くなったりするのが、単純に面白いなと思っていたけれど、改めて読んでみると以前には気づかなかった面白ポイントが幾つかあった。
特に面白いなと思ったのは、鼻の長い内供の弟子。
以前は内供の印象が強すぎて分からなかったが、弟子が結構魅力的だ。
鼻の短くする治療法を聞いたり、それを手伝ったり、親切で配慮もきちんと出来て、弟子であるのに弟子の方が人間性が高く、その対比がなんとも皮肉で面白い。
そして内供が鼻に対して気にするポイントが、人に迷惑をかけるからではなく、人にどう見られているかに重点を置いているのも興味深い。
そして皮肉な結末。
誰しも、他と違うというのは辛いことも多いのかもしれないが、並んだ人形のように同じであるのも、それはそれで辛いということだろうか。
それとも、本当に人形という訳はなく人間という個体だから、小さくとも必ず違いはある。気にしていたらきりがないということなのだろうか。
それなら与えられたものを受け入れてしまう方が、結局のところ一番幸せに近いのかもしれないな。
なんて、思ったり。
韓国も凄いな。
自分のところではもっと濃いやつを流しているらしいのに…。
自分の国は良いけど他の国は許さないということなのだろうか。うーむ。
8月26日(土)
達磨のようなスイカが採れた。
前回は黒玉スイカ、今回は小玉スイカ。
育つ際に茎とかが邪魔して、変形した模様。
でもなんだか可愛いな。本物の達磨のように、目を書きたいくらいだ。
8月27日(日)
ノートパソコンが壊れた。
プリンターに引き続きパソコンも…。衝撃が大きい。まあでも10年も使っているもんなあ。寿命だったのかな。
いやー、でもかなり痛い。お金が飛びすぎてもう逆に笑ってしまう。
芥川龍之介『羅生門・鼻・芋粥』を読む。
「孤独地獄」を読み終わる。
凄く短い。吉原に通い日たる津藤という男と僧侶の話を、語り部が誰かから聞いたというもの。
最後の1文が凄いな。
これだけでは、ふーんという感じかもしれない。読んだ人にこそずしりと来そう。
この話は、過不足なく、どんなに日々を満喫していそうに見える人も、孤独地獄からは逃れることは出来ないということだろうか。誰であろうと、どんな世界であろうと、孤独地獄は存在するということだろうか。(頭が弱すぎてはっきり分からぬ)
そうだとしたら、少し切ないな。
でも孤独は、本当に地獄なのだろうか。
嵐山光三郎『追悼の達人』を読む。
「若山牧水」編を読み終わる。
歌人らしい。名前を聞いたことがあるようなないような。どっちみちあまり知らない方だ。
お酒と旅を何よりも愛していたらしい。
だからか内容の殆どはお酒。追悼文もお酒まみれ。
死ぬ寸前まで酒を飲み、死んだ後も妻が棺の中にお酒を入れたらしい。筋金入りだ。
初めから最後までお酒まみれだった。
ノートパソコンとプリンターを買った。
ちょうど欲しかったプリンターが安くなっててラッキー。その上、色々交渉してもらって、想定よりもだいぶ安く買えた。
いやあ、交渉上手い人がいると楽だ。自分はふむふむと聞いていればいいから助かる。(店員は少し可哀想だったけれど…。すみません…)
有難いなあ。でも相当な出費は出費だ…。
あぁ、武者小路実篤全集が遠のいていく。
また1から、というかマイナスから始めねば。
なんだか最近不穏なことが多い。だからか少し暗めになってしまった。
食の問題もそうだけれど、これから海外にいる日本人の扱いが心配だ…。日本にいても…。
皆様が健康で、平穏な日々が訪れますよう、祈っております。
ここまで読んで頂き、ありがとうございました。
ではでは。
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