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はじめての一人旅のきっかけはなんですか?|筆者は、婚約破棄からの逃避行でした@イタリア

突然ですが、あなたのはじめての一人旅のきっかけは何ですか?

私のはじめての海外一人旅は(ここに書くのも恥ずかしい…)3年間、付き合った彼との“婚約破棄”という重ためエピソードがきっかけの逃避行でした。

当時20代半ば。自分で決めたことなのに、本当は誰かに何かに分かってほしい、そんな叫びにも似た心の声を自身にぶつけるように、新居の荷物を引き払い、物理的なことと気持ちの整理を無理やりつけるようにして、逃げるように7泊8日でローマ、フィレンツェ、ヴェネツィア(パドヴァ)、ミラノ…と王道のイタリアのハイライトを巡る一人旅を決行しました。

当時、海外へ行ったことはあっても、完全にひとりで海外を旅することがはじめてだった私にとっては、自分の殻を破るための全てが未知への扉を開ける大冒険でした。

若さと体力を武器に、旅が終わる頃には足にマメができて血が出てきてしまうほど、訪れる各地を自分の足で歩き回りました。今から思えば、頼れるのは自分自身。そんな言葉を合言葉にイタリアという国そのものを全身で覚えていった感覚でした。


はじまりは、深夜のローマ

夜遅くの便でローマ空港に着いて、「ニーハオ」「アンニョンハセヨ」と、しつこく呼びかけられる悪徳タクシーの勧誘を掻き分け、バスで市内のメインステーションに向かいました。治安が悪いテルミニ駅の周辺にたむろする人々に絡まれませんように、と祈るように小走りで、ホテルへ向かったのをまるで昨日のことのように覚えています。

ホテルのバスタブに浸かりながら、いよいよはじまった一人旅の実感と明日からの計画に夢を膨らませ、初日は遠足前の小学生のような気持ちで眠りにつきました。

慣れない英語とイタリア語に苦戦しながら、相手の基本的なことを聞き取るのも、こちらの意思を伝えるのも全く余裕がありませんでした。

英語が話せるのと、伝わるのには雲泥の差があるということも学びました。

自分がしっかりしなきゃ。

そんな風に、自分の語学力のなさに打ちのめされるたび、自身を鼓舞し続けていたように思います。

世界遺産の宝庫フィレンツェでチェックアウトを忘れる

次に訪れたフィレンツェでは、奮発して『Palazzo Mannaioni Suites』という全室スイートの憧れのブティックホテルに泊まる夢を叶えました。

フィレンツェで泊まった、パラッツォ マンナイオーニスイーツのお部屋

街中が世界遺産に溢れた芸術都市で嬉々として、最終日にチェックアウトの概念そのものを忘れて観光に出かけてしまいました(この時はまだ気づいていませんでした)神聖な教会の一角でホテルの方に呼び出しを喰らい、大慌てでホテルに戻るという失敗もしました…(ごめんなさいw)

ヴェネツィアで船のストライキに遭う

ヴェネツィアでは、船のストライキの日に当たってしまい、ツイてないなと四苦八苦しましたが、おかげでとことん自分の足で観光するという強行をしました。いつかはこの目で見たいと、ずっと自分のデスクに飾っていた『サンタ・マリア・デッラ・サルーテ聖堂』を間近で見るという夢が7年越しに叶いました。

Campo dei Frari教会

帰宅後滞在していたB&Bのオーナーのアンドレアに「ひとりなら、ウチに食事に来ませんか?」と誘われて、『国際女性デー』の日にミモザの花束を抱えて彼の家族の家に遊びに行かせてもらいました。

オーナー家族に温かく迎えてもらい、カタコトながら会話が出来たこと、自分という人間を面白がってもらえ歓迎してもらえたことは、今でもこの旅一番のハイライトと言っても過言ではありません。おまけに、昼間目の前で売り切れて食べ損ねてしまったティラミスがマンマの家庭の味として、食後のデザートに出された瞬間には、嬉しさのあまり昇天してしまいそうでした…。

全ての瞬間をキリトることが全てではないことを悟った、パドヴァ

パドヴァで訪れたキリスト教の総本山に圧倒されて言葉を失ったことが印象に残っています。

敬虔なキリスト教徒が全身全霊で魂を込めて祈る姿を前に、全ての瞬間をキリトることだけが全てではないとスマホのカメラをオフにして、心のシャッターを切りました。

今でも大切にしていることは、SNSで誰かのいいねやバズを狙って撮っていないか?という問いです。本当に撮りたい瞬間だけカメラのシャッターを切ることにして、何でもかんでも執拗に撮らないとようにしようと。カメラやスマホの電源をオフにしている時間は、その土地の空気を全身で感じて、自分と向き合うマインドフルネスの時間を大切にすると決めています。

私にとって、旅は瞑想に近い感覚なんですよね。

たった一枚の絵のために、飛行機を逃してもいいと思えたミラノ

フランシスコ・アイエツ『接吻』(ブレラ絵画館)

ミラノで果たしたかったことは、フランシスコ・アイエツの『接吻』を見ることでした。刻々と迫る飛行機の搭乗時刻を横目に、どうしてもこの絵を見ないと帰れない、と自身の中で駄々をこねて、ギリギリまで粘って市内観光していました。半ば、飛行機に乗り遅れてもいい、とさえ思いながら、寸暇を惜しんで絵画を鑑賞し、帰りの空港行きのバスの中で、本当に来て良かったとわんわん泣けてきました。

はじめての一人旅終えて

会社や組織に、誰かに何かに依存しなくても、生きていけるようになりたい。

そうして、必ずまたこの場所に戻ってきたい。
(その夢は、思わぬかたちで1年半後に叶いました)

この旅をした当時は、会社員として働いていましたが、元来、集団行動や同調圧力のようなものが苦手で、帰属意識も希薄、集団の暗黙のルールのようなものに黙って従って丸く生きること、意味不明なルールに縛られて自分を偽ることもできない不器用なタイプの人間にとって、限られた時間ではありながら、ひとり旅という自由を謳歌し尽くし、何ものにも捉われない自在な生き方に憧れたのもこの頃でした。

自分の最大の理解者は自分であること。また誰かに何かに依存しなくても、自分自身の手で人生を面白おかしく切り開いていくこと。なるべくしがらみは少なく、一人でのびのびやりながら誰かの役に立ちたい。

そんな風に、自分自身と深く向き合い、対話し、自分の本当の望みに対して、貪欲に向き合うきっかけをくれた旅になりました。

きっかけは、3年付き合った彼との婚約破棄という非常に情けないエピソードでしたが…そのおかげで今があると思うと、あの時旅に出てよかったと今では心から思っています。

自身の選択によってつくられていくのが人生なら、たった一度きりの今世をそうあるための時間とエネルギーとして使っていこうじゃないか、と誓った旅の締めくくりでした。

同時に、世界の人口の半分は男性なんだから、特定の一人に固執せず、またゆっくり探せばいいや、と少しだけ心が軽くなったのも旅に出たから思えたことでした。

初めては誰にとっても一度きり。私にとってイタリアは、これまでもこれからも特別で最も思い入れ深い国の一つになっています。

アモーレ、イタリア!

はじめてのイタリアへの一人旅|参考書籍

かほ|旅とエッセイ。
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