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丸岡いずみさんインタビュー「うつ、流産、代理母出産、離婚を経て感じたこと」3/4回目

明るく元気なキャスターとして活躍し続けてきた丸岡いずみさん。子どもの頃からスポーツ大好きな少女で、キャスターになったあとも「どこでも寝られる」「食べることが大好き」だったといいます。そんな丸岡さんがうつになったのは2011年のこと。「うつのことは知ってはいたけれど、まさか自分がなるとは思いもしなかった」と、当時のことをお話してくれました。

丸岡いずみさんの取材を行ったのは1カ月ほど前。丸岡さんの第一印象は、とにかく肌がきれい。ハリがあるだけじゃなく透明感もあって、きめも細やか。現在50代なのにお肌は20代前半!

丸岡さんに「肌、とってもきれいですね!」と伝えたら「えー!ほんとですか? 嘘でもそういっていただけると嬉しいです!」とお話されていましたが、あの肌の透明感はどうやったら保てるのかというくらいの肌でした。

インタビューでは、丸岡さんの小学校の話から、中学、高校、大学。社会人になってキャスターとして北海道文化放送で働き始めたときのことなどをきいていきました。

その中で、丸岡さんが時間を割いてお話されたのが、北海道文化放送時代に取材した、当時小学6年生だった女の子のこと。

北海道文化放送の編集長から「5月5日の子どもの日の特集を考えろ」といわれて、企画を考えるために本屋にいったとき、たまたま手に取ったのが「子どものひきこもり」の本だったといいます。

「子どもの不登校については、社会的にも認知されていたから知ってはいたけれど、ひきこもりの話はまだあまり知らなくて、どういうことなんだろう」と思い、本を手に取ったのが始まりだったといいます。

「ずっと彼女に謝りたかった」

ひきこもり取材であった少女とは、今も交流が続いていてもう25年近くになるそうです。丸岡さん、ほかにも取材した方たちとのご縁が続くことが多いようです。
それについて聞いたら「取材して、そのあと一緒に食事に行って、それからだんだん仲良くなって交流が続く、ということが多いですね」とお話されていました。
今回、私が取材させていただく側だったのですが、1つ1つの質問にとても丁寧に答えてくださいました。丸岡さんが取材される時も、1対1で真剣に、さらに時間をかけて丁寧に信頼関係を築いていかれる方だと思います。だからこそ、長くお付き合いが続くのでしょうね。

うつ病は誰にでも起こりうること

学生時代から体育会系で、明るく元気だったという丸岡さん。これまで取材などを通してうつについての知識はあったそうですが、丸岡さん自身も2011年からうつになってしまいます。

きっかけとなったのは、東日本大震災での現地取材や、日本人の留学生も多数亡くなったニュージーランド地震、イギリスのウイリアム王子の結婚などで多忙を極めたこと。

丸岡さんは、東日本大震災のときに現地入りしたことはもちろん、自衛隊の護衛艦取材で遺体の引き上げなどにも立ち会ったとお話されていました。詳しくはお話されていなかったのですが、相当な光景を目にされたものと思います。ニュージーランド取材もしかり。それらのことがじわりじわりと心をむしばんでいったのではないかと。

二度の流産から代理出産へ。離婚後の息子との関り方

うつ状態のときは、ずっと実家のある徳島で暮らされていた丸岡さん。今回の取材では聞かなかったのですが、うつが回復してきてから旦那さんと結婚をされました。その後、「年齢も40代だし、子どもを持とう」となったものの、二度の流産を経験することに。

このことについてヤフコメで「高齢出産のリスクを考えるべき」というコメントがありました。ただ丸岡さんの場合は、うつと闘っていたことを考えると、とてもじゃないけど出産や結婚は考えられなかったんじゃないかと思います。

「年齢も年齢だし」ということで、旦那さんと話し合った結果、代理母出産を選択されたそうです。そこでお子さんは、現在4歳。あるとき、お子さんと東日本大震災のときのことについて話す機会があり、お子さんに丸岡さんが現地で撮った画像を見せたそうです。

その画像からただならぬ雰囲気を感じたのか息子さんが「ママが死ななくてよかった」と一言つぶやいたそうです。その言葉を聞いて丸岡さんは放心状態になったと。そして改めてこの仕事をやってみたいという気持ちになったのだと語っていました。

のちほど紹介しますが、あるジャーナリストの方が「報道の現場で楽しいことなんてひとつもない」とお話されていましたが、丸岡さんも報道の仕事を続けるべきかどうか悩んでいたのではないかと思います。大災害の現場での取材は、精神を病むこともあるし、時には「自分が生きる意味とは?」と考えてしまうこともあるかもしれません。

だからこそ息子さんの一言が心に刺さり、改めて自分のやってきた仕事と向き合おうという気持ちになれたのかも。

現在、丸岡さんは離婚されていて、お子さんとは定期的に会われているそうです。息子さんのことに限らず、うつや代理母出産、離婚などについて、会ってもいない週刊誌の人に憶測で記事を書かれて悲しい思いをするとのこと。それでも息子さんに関しては、誰になんといわれようとも自分にとっての絶対的な存在で、エネルギーの源だとお話されていました。

丸岡さんの記事は、全部で4記事あります。公開され次第、随時追加していきます。よかったらフォローしていただけると、見逃しなく全部読めます。


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