asamiya
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因果律:因果は本当に存在するのか。因果と思考の現実化。
:『因果律:因果は本当に存在するのか』を修正と追記
因果、【因】があり【果】があるのだと多く人は云う。そんな考えがいつからか広まっている。原因があるから結果があると。
また、【卵が先か鶏が先か】という有名な言い回しがあるが、これも因果に絡む上に哲学的な話でもある。(答えは卵が先という結論も出たらしい。)
「X が Y 無しに生じ得ず、Y が X 無しに生じ得ない場合、最初に生じたのはどちらだ
承認欲求や自己特別感という隠れた意識、またそこにある例えば劣等感といった感情。
2020/4/30 Facebookより。追記と修正。
自分の行動原理が何処にあるのか?
また、それらをどう扱い、どう昇華するのか。
それらが自分の中にあるというのを何処まで認められるだろうか。
そこが痛さだと思われる。
自分は何を残せるのか
自分は何をするべきなのか
何かをしなければならないと何故思うのか
その焦燥感は何処からくるのか
その思考はどんな思い/意識から生まれているのか。
そ
感覚的理解とその疎通について:方便
2020/5/9のtweetより。追記と修正。
私は『どういう意味か』が感覚的に分からないという思いがとても強く、その感覚というのを説明出来ないし、読んでもよく分からない。
詩とかの雰囲気は好きだが、『見えないもの』を扱うのは恐怖から余計な言葉が増える。誤魔化す。
意味が分からないと言われる事が本当に怖い。
自分だけで解釈するのが感覚的/直観的である時、自分ではそれが分かるが、説明は出来ない
自分の言葉とは何だ?
私は本当に自分が曖昧模糊として、その思考の芯になるものがなかったと思う。語彙もなく、知識もなかった。ぼんやりだ。
唐突だが占星術で言えば、ドラゴンヘッド(龍頭)が4室にあることは、自分の軸を作っていくことが課題であったのかなと最近思う。
(急に占星術の話が出たのでその内に星もちょこっと嗜むことを何処かに打ちたい。)
自分の言葉を持たなかったので、色々なことを学んで 検証しているつもりなのだけ
無意識について:主観という理解と現実の固定化
2020/3/30 twieetより追記と修正
結局のところ、人は自分の思いの中で生きている。見ている/見えている世界が違うのだ。それは本当には何も起こっていないのに、それがあると翻弄されて生きている。
それが自分を脅かすと思っている。見たいものしか見えず、理解できない。また、それが悪なのではなく、全て主観というだけ。
また、当たり前に根強く、根深く、『〇〇でなければならない』がある。
自分か
自分に出来ることは何か:まるで禅問答のような
2020/5/4 am3:48のtweetより タイトル修正
こんな状況下の中で自分に出来ることは何か、という思考が何周かする。当たり前だが出来ることしか出来ない。無理しない背伸びしない。が、無理しても背伸びしてもいいでもある。少し前であれば、私は何かをしなければならないになっていた筈。エゴは巧妙で、納得のいく思考の罠を幾らでも掛けてくる。
楽な方に流れるのは見たくない何かがあるからか。勿論、