見出し画像

女性性と男性性について③

女性性・男性性について② の続きです。

②の最後は、【性質上、受け容れる性質が女性性であるなら、受け容れられるのは男性性です。対極の統合でありながら、その性質上、受け容れるのは絶対的に女性性】というところで終わりました。

また、ここまで、女性性・男性性について以下のようにまとめてきました。

一般的な区分:
男性性:陽、光、父性、能動的、論理的、思考的、他者を好む、求める性質
女性性:陰、闇、夜、母性、受動的、感情的、共感的、直観的、他者から好かれる、受け容れる性質 等
惑星による区分:
男性性:太陽(王様・父・支配・昼間)、火星(兵隊・騎士)、木星(僧侶)、土星(老人・賢者)
中性:水星(伝令)、天王星(閃き・変革・改革者、水星の上位)、
女性性:月(王妃・母・浄化・夜・肉体においての子宮)、金星(恋人・娼婦)、海王星(夢やビジョン、集合無意識、金星の上位)、冥王星(宇宙の子宮、死)

ここまで打ったものだけが女性性・男性性に分かれるのでは勿論なく、まだまだ付け加えられるものは多いものです。

例えば、感覚や共有、協調性というのも女性性に分類されますが、思考が男性性であるのに対して、何故、感覚や共有、協調性が女性性になるのかは、
その性質の根底が【受け容れる】ことにあるからです。感覚を感じて受け容れているのは女性性の性質ということです。

対して男性性である思考は、【判断であり、コントロール】の面が強いのです。それは【求める】性質です。感情や感覚に従う事よりも思考的な判断をするということ。その根っこが【求める】性質か【受け容れる】性質かによって、男性性と女性性と、在り方が分かれるという事です。

また、女性性に{感情}が入るのは、女性は感情的だからというよりは、受け容れる質である女性性は感情というエネルギーに染まりやすいのかもしれません。染まりやすいからこそ、感情に覆われて周りが見えなくなってしまう、それを理性的ではないと評価しているのはまた、思考なのですが…

男性性は思考的な判断によって感情に染まることを拒否しているのです。
判断することに慣れている、長けている男性性は、瞬発的に起こる感情を判断力によってコントロールしているということですね。
ということは、{感情}とはコントロールできるものであり、厳密には瞬発的に起こる思考とも言えるのではないか。本当は男性性に入るものかもしれません。
感情に染まることを男性性は恥と思うのかもしれませんね。理性的でなければならないとも思う。けれど{何故その感情が生まれるのか}を観ずに、{周りの評価を考えて恥と思う}思考こそ、【求める質】からの判断であり、{自分への拘り(こだわり)}というコントロールなのですね。

ところで{理性}は女性性と男性性のどちらに入るのか?

そんな疑問も出てきます。そもそも理性とは?

理性(りせい、希: λόγος→羅: ratio→仏: raison→英: reason)とは、人間に本来的に備わっているとされる知的能力の一つである。言い換えれば推論(reasoning)能力である。世界理性というときは人間の能力という意味ではなく、世界を統べる原理、という意味である。
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%90%86%E6%80%A7
り せい [1] 【理性】
① 感情におぼれずに、筋道を立てて物事を考え判断する能力。 「 -をはたらかせる」
② 〘哲〙
㋐ 感覚的能力に対して、概念的に思考する能力。
㋑ カントの用語。広義には、先天的能力の総称。このうち先天的認識能力を理論理性、先天的意志能力を実践理性と呼ぶ。また狭義には、感性・悟性から区別され、理念によって悟性認識を統一する能力をいう。 → 感性 ・悟性
㋒ ヘーゲルの用語。抽象的概念の能力である悟性と区別される、具体的概念の能力。弁証法的思考能力。
㋓ 神の啓示に対して、人間の自然的知。 → 自然の光
㋔ 宇宙や世界を支配する原理(世界理性・絶対理性)。 〔英語 reason とドイツ語 Vernunft の訳語。「哲学字彙」(1881年)に載る〕
https://www.weblio.jp/content/%E7%90%86%E6%80%A7

日本語で理性が理性と訳されたのは哲学が入ってきた明治であり、それが引用にある㋑カントの用語になるのですが、上記㋔ではreason、Vernunftが出てきます。元々、最初は『知性※』という訳であったギリシア語のヌースが『理性(reason,Vernunft)』の始まりであるが、ヌースという単語には「一撃で真理を見抜く」というニュアンスがあり、それは近代では『直観:intuition』と呼ばれる。哲学史の中では古代から近世になるに連れ使われ方や意味が変わっていくため、文脈に応じて『知性』、『理性』、『悟性』など使い分けがされています。

※『知性』とは【考える力】のこと。ラテン語ではintellectusと訳され、英語ではunderstandingやreasonといった訳語として使われるようになる。※心理学的な意味では知性はintelligenceが使われることが多い。※intellectualism「知性至上主義」という言葉もある。感情や感覚に惑わされず知性を活用して真理を探究することに至上の価値をおく主義とされる。

【考える力】に対して、『理性』は【直観】に近いニュアンスであり、人に元々備わっている【感覚】とするのが分かりやすいのかもしれません。

また、日本語訳において【理(ことわり)】という漢字を宛てたのは、その真理を一撃で見抜くことが出来るのは古代の哲学において神とされているからであり、それが日本語に訳される時、仏教における【理】{人智では理解の出来ないこの世(宇宙)の法則}であるそれを感覚的に理解する性質として【理性】という言葉が宛てられたのだと、知識の足りない私は推察します。

つまり、理性とは【理(ことわり)】の性質であり、それを感覚的に感じとるか、求めようとするのか、女性性とも男性性とも違う、元々、人に備わった性質として理解するのが落ち着くものです。

その理性を曇らせるものこそ、【求める】性質であると思われます。

求める性質とは何か?

求めるとは、簡単にいうと【欲求】です。

もと・める【求める】 の解説
[動マ下一][文]もと・む[マ下二]
1 欲しいと望む。ほしがる。「平和を―・める」「権力を―・める」
2 相手に要求する。「賠償を―・める」「援助を―・める」「退陣を―・める」3 得ようとしてさがす。「職を―・める」「優秀な人材を―・める」
4 買って手に入れる。購入する。「古書を―・める」
https://dictionary.goo.ne.jp/word/%E6%B1%82%E3%82%81%E3%82%8B/

男性性の性質は【欲】であるということです。

ここまでの記述の中で、【求める】性質は良くないのかと思ってしまいそうですが、【欲】があることは悪いことでは決してありません。
【欲】【欲求】があるからこそ人間であり、この世界は【欲】が無ければ成り立たないとも言えます。

ただ現代は、余りにも【欲】を煽るもので溢れ、その結果、自我(自我意識)が肥大化され、自我と欲求からくる支配欲やコントロール欲の強い男性性優位な時代なのだということです。

何故その【欲求】があり、それを【求める】のかを省みない【盲目的】な求め方であり、隠れて見ないようにされた感情や思いは、一方的に、男性性において支配される側やこの世界に押し付けられ続けていきます。

見ないように押し付けられ、虐げられても、それを受け容れているのは女性性であり、この世界は女性性そのものなのだとも言えるのではないか。

そうした意味では、肥大する男性性の裏で、同じように女性性も肥大化しているのですが、その肥大化はやがて限界を迎え、いよいよ、それまで隠されていたものが現象として表に現れだしているという考えもあります。


④に続きます。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?