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https://twitter.com/olgs1221  未だただのasamiyaとする。また、記憶(教わったこと学んだこと収集したこと)から引き出して打つことが多いため、色々なものが混じってしまうので悪しからず。/無意識について/形而上学/心理/哲学/時に占術

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女性性と男性性について③

女性性・男性性について② の続きです。 ②の最後は、【性質上、受け容れる性質が女性性であるなら、受け容れられるのは男性性です。対極の統合でありながら、その性質上、受け容れるのは絶対的に女性性】というところで終わりました。 また、ここまで、女性性・男性性について以下のようにまとめてきました。 一般的な区分: 男性性:陽、光、父性、能動的、論理的、思考的、他者を好む、求める性質 女性性:陰、闇、夜、母性、受動的、感情的、共感的、直観的、他者から好かれる、受け容れる性質 等

    • 女性性と男性性について②:軌道修正済み

      ①では、最後に【私という主観から見た世界の共通概念(コモンセンス)であり、それは”行為”ではなく”在り方、在り様”の違い】として終わりました。 この②の記事は訂正して上げた記事になるのですが、『究極的には女性性だけの世界があり得るのか』と最初はタイトルにくっつけていたものです。 現代は女性性・男性性のバランスが崩れているとも言われ、 また、男性性優位の世界の傾きを戻すのは女性性が必要であると言われています。それを男性原理が汚してしまったの世界を浄化するのは女性原理であると

      • 女性性と男性性について①

        2020/6/4 切欠はTwitterより 今の世の中は圧倒的に男性性の世界であり、性別が女性だとしてもそれは同じだと言われる。単純な所では女性性は受容で男性性は欲求だと分かれる。気付いて止まるならそれは女性性、盲目的に求めるなら男性性だともいう。 女性性、男性性とは何だろうか?肉体的な性別とは別に、心理的・精神的な部分における「男性らしさ」や「女性らしさ」のことを指します。一般的には、男性のほうが男性性が強く、女性は女性性が強いとされていますが、どちらもひとりの人間の中

        • 自分のこと:2018年9月16日の日記から。

          こういう日記というかメモを毎日ではないけれどずっと書いている たまたま開いた所から抜粋 2018年9月16日(日) 今の課題:堅実な生活 大きなことは望んでない、野心なし、忍耐と覚悟 不安、恐怖を作ることで自分は何も出来ないと思いたい。 弱い人間、助けが必要なのだと思わせたい意識 =誰かにやってもらいたい意識 →だらしのない自分 ・心の訓練、一つ一つやていくことを知る。練習あるのみ。 ・全体を見て、すぐに完璧にしたい心× 面倒くさがり 少しずつやっていくこと、焦らずに「

        女性性と男性性について③

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          因果律:因果は本当に存在するのか。因果と思考の現実化。

          :『因果律:因果は本当に存在するのか』を修正と追記 因果、【因】があり【果】があるのだと多く人は云う。そんな考えがいつからか広まっている。原因があるから結果があると。 また、【卵が先か鶏が先か】という有名な言い回しがあるが、これも因果に絡む上に哲学的な話でもある。(答えは卵が先という結論も出たらしい。) 「X が Y 無しに生じ得ず、Y が X 無しに生じ得ない場合、最初に生じたのはどちらだろうか?」 https://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%

          因果律:因果は本当に存在するのか。因果と思考の現実化。

          承認欲求や自己特別感という隠れた意識、またそこにある例えば劣等感といった感情。

          2020/4/30 Facebookより。追記と修正。 自分の行動原理が何処にあるのか? また、それらをどう扱い、どう昇華するのか。 それらが自分の中にあるというのを何処まで認められるだろうか。 そこが痛さだと思われる。 自分は何を残せるのか 自分は何をするべきなのか 何かをしなければならないと何故思うのか その焦燥感は何処からくるのか その思考はどんな思い/意識から生まれているのか。 その自分の意識と向き合わないことこそ、 見ようとせずに意識/思いを他へ向けることこ

          承認欲求や自己特別感という隠れた意識、またそこにある例えば劣等感といった感情。

          感覚的理解とその疎通について:方便

          2020/5/9のtweetより。追記と修正。 私は『どういう意味か』が感覚的に分からないという思いがとても強く、その感覚というのを説明出来ないし、読んでもよく分からない。 詩とかの雰囲気は好きだが、『見えないもの』を扱うのは恐怖から余計な言葉が増える。誤魔化す。 意味が分からないと言われる事が本当に怖い。 自分だけで解釈するのが感覚的/直観的である時、自分ではそれが分かるが、説明は出来ない。 説明出来ないものを言葉にしようとしていくと、恐らくそれなりの枠に収まるしか

          感覚的理解とその疎通について:方便

          自分の言葉とは何だ?

          私は本当に自分が曖昧模糊として、その思考の芯になるものがなかったと思う。語彙もなく、知識もなかった。ぼんやりだ。 唐突だが占星術で言えば、ドラゴンヘッド(龍頭)が4室にあることは、自分の軸を作っていくことが課題であったのかなと最近思う。 (急に占星術の話が出たのでその内に星もちょこっと嗜むことを何処かに打ちたい。) 自分の言葉を持たなかったので、色々なことを学んで 検証しているつもりなのだけど、それが受け売りのように思えてならず。引き出せるままTwitter等に打てるな

          自分の言葉とは何だ?

          無意識について:主観という理解と現実の固定化

          2020/3/30 twieetより追記と修正 結局のところ、人は自分の思いの中で生きている。見ている/見えている世界が違うのだ。それは本当には何も起こっていないのに、それがあると翻弄されて生きている。 それが自分を脅かすと思っている。見たいものしか見えず、理解できない。また、それが悪なのではなく、全て主観というだけ。 また、当たり前に根強く、根深く、『〇〇でなければならない』がある。 自分から見て正しくない。自分の価値観が受け付けない。だから苦しい。 だから、許せない。

          無意識について:主観という理解と現実の固定化

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          自分に出来ることは何か:まるで禅問答のような

          2020/5/4 am3:48のtweetより タイトル修正 こんな状況下の中で自分に出来ることは何か、という思考が何周かする。当たり前だが出来ることしか出来ない。無理しない背伸びしない。が、無理しても背伸びしてもいいでもある。少し前であれば、私は何かをしなければならないになっていた筈。エゴは巧妙で、納得のいく思考の罠を幾らでも掛けてくる。 楽な方に流れるのは見たくない何かがあるからか。勿論、無理してきたものがぷつんと切れるように寝続けることだらけ続けることもあるかもしれ

          自分に出来ることは何か:まるで禅問答のような

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          何を打っていけばいいのかいまだ分かっていない。 プロフィールも浮かばず。 何度かブログはしていたことがあるものの、当時のような目標や熱意のあり処が不明な為、とても手探り。 PCからこうした記事を打つこと自体が大分久々。 恐らくtwitterのログから打つ内容が多くなるのだと思われる。 手探りですがよろしくおねがいします。 ちなみに私は、占星術では太陽:射手座(28.51度)、月:魚座(0.27度)、asc:魚座(8.43度)です

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