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感覚的理解とその疎通について:方便

2020/5/9のtweetより。追記と修正。

私は『どういう意味か』が感覚的に分からないという思いがとても強く、その感覚というのを説明出来ないし、読んでもよく分からない。
詩とかの雰囲気は好きだが、『見えないもの』を扱うのは恐怖から余計な言葉が増える。誤魔化す。

意味が分からないと言われる事が本当に怖い。

自分だけで解釈するのが感覚的/直観的である時、自分ではそれが分かるが、説明は出来ない。

説明出来ないものを言葉にしようとしていくと、恐らくそれなりの枠に収まるしかなく、もはや自分が感じたものとは違うものになっている。また、その感覚的な言語を発することのデメリットを考えるから、通じる言葉に変換していく。

感覚的でOKと言える人種と言えない人種。
それでも通じる人と通じない人種。本当は分かるものを分からないと思い込んでいる人種。分かりたくない人種。

取り敢えず、感覚は天然と言われがち。

そしてそれでも、何か伝えたいものがある時、”方便”という言葉を私は思い出す。

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