自分の言葉とは何だ?

 私は本当に自分が曖昧模糊として、その思考の芯になるものがなかったと思う。語彙もなく、知識もなかった。ぼんやりだ。

唐突だが占星術で言えば、ドラゴンヘッド(龍頭)が4室にあることは、自分の軸を作っていくことが課題であったのかなと最近思う。
(急に占星術の話が出たのでその内に星もちょこっと嗜むことを何処かに打ちたい。)

自分の言葉を持たなかったので、色々なことを学んで 検証しているつもりなのだけど、それが受け売りのように思えてならず。引き出せるままTwitter等に打てるなら 頭には入ってることは確かだと思って無理矢理納得していた。

何処から何処までが教わったことで 何処が自分の言葉か というのが曖昧で、多々教わったことが混ざりもし、ブロックとして文章化するととてもどきどきそわそわとするのだ。私の心の弱さ。
心の中でそれは受け売りだと罵倒されることを怖がっている。
これで良いという確信が曖昧。

例えば学んできたことを組み合わせて、自分の言葉とする時、それが自分の言葉になっているのかの確信が持てない。

自分の言葉とは何か?
それは自分の概念を構築するということ。
或いは 比喩表現や例えに出来ることが理解出来ているということであり、また実際の場面で応用できることがその証明にはなるのかな。

単語や意味はインプットした知識という意味で受け売りだが、構築しているのが自分の文章ならば、自分の言葉と認めていいだろうか。

そういうところも手探りだ。

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