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価値って一体。2


きっとデザイナーズモノも古着(ヴィンテージ)もどうしてあんなに高い価格がついているのだろうと不思議に感じることがきっとあると思う。


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古着(ヴィンテージ)については前回書かせてもらったので今回はデザイナーズモノについて書こうと思う。

古着(ヴィンテージ)は希少性や史実を知れるという歴史的価値から驚くべき価格が付いていると書いたが、デザイナーズモノに関しては少し定義が変わってくる。

まず服をゼロからカタチにしなくてはいけない。これがなにより大きいと思う。服を創る背景にはいろいろな細かいところまで気を配らなければいけないからだ。


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すべてを細かく言えないが僕自身のあくまでもヨウジ社での経験を書いてみようと思う。


ヨウジ社のブランドHOMMEやFEMME、Y-3であればある程度自分の好きなようにデザインも服の仕様も仕立ても具現化できる。

それはどうしてかというと、デザイナーの意向にまずは近づけることが大前提のブランドでそれが会社内でも良しとされているからだ。(Y-3ではadidasが関わることにもなるので量産に向けて調整や変更も余儀なくされる場合もあるから最終的にはこれがすべてではない)

湯水のようにお金をかければいいということではなくて、自分の拘りたい仕立てやボタンやファスナーなどの付属品にまで細かく気を遣うことができる。といった感じだろうか。

それが結果的に「お金がかかった」状態になってしまうということだ。

(仕立てや使用する付属品に関してHOMMEはデザイナーやデザイナーの右腕の氏から直接指示が出ることが多かったが、そうでなければ各々のパターンナーが基本的には決めることができた)

では「お金がかかった」状態とはなんなのか?といえば

たとえば、ボタン1つファスナーの長さ1本とってもその服の店頭価格に影響があるということなのだ。

ということは、生地が1mで幾らなのか、裏地も然りで、それらを何m使用するのか。表生地がベルベットやシルクともなれば綿の生地を縫うよりも難しく縫製工賃は上がるし、裏地にだって高い安いが当然にある。さらにデザインや仕様、仕立てが凝っていて縫製が難しければ難しいほどさらに縫製工賃が高くなるという仕組みなのだ。しかもボタンの種類がポリエステルの練り物か水牛の角かの違いもあるわけで、ボタンを使用する数でもかなりの影響がでてくるのだ。おまけに自社オリジナルで生地でも付属でも作ろうものなら元々あるモノよりも高くつく。

他にもまだまだ掛かってくるコストはたくさんある。

わかりやすく言うと、たとえば製品で洗ったり染めたりする加工をするならば、加工賃が含まれてくるし、金属ファスナーのメッキを変えることでもお金は係る。それに細かく言えばブランドタグや品質表示のコストも当然含まれるのだ。

服を1着創るうえで係るたくさんのコスト、それを下代と呼びこの下代に対してブランドが得られる儲け分でもある掛け率を掛けて店頭価格を決定しているのだ。

掛け率は国内ブランド、海外ブランドによってどこも違うし、海外ブランドは末恐ろしい率を掛けていると僕は推測する。

海外ブランドが国内に入ってくるときは関税が係っているからある程度上乗せされているとしても、普通に掛けたってなかなかああいう価格にはならない。

それでも海外ブランドは看板や親会社が大きいこともあってそういう強気で容易に売れないような価格設定でも厭わないのだと思う。

海外ブランドがどういう心持ちでやっているかは正直よくわからないが、服を創りだすうえで会社や、僕たち自身がただ価格を高くしたいからとか儲けをたくさん出したいからという気持ちは正直毛頭ないのだ。

ただ自分が創った服がそれなりの価格で売られることを知っているから、その服を創るうえで必然と手を抜けなくなるのだ。なぜなら、それを楽しみに待ってくれているお客さんがいることも、それを着て高揚感を覚えてくれるお客さんがいることもわかっているから。だから、なによりそういうお客さんたちを裏切れないと僕は思っている。

実際僕がヨウジ社に勤めていたころ、新たに入社してきた人の中に僕が創った服を着てくれている人を見てきたし、実際その人たちはそれをお気に入りとして大事に大切に着てくれていた。直接その事実を伝えてもらったこともある。僕自身がそういう出来事を目の当たりにしたときに心から嬉しかった経験があるからこそ、尚のこと自分が創る服に対する思いが強くなる。

イイモノを創りたい、イイモノを世に送り出したい。という創り手の想いが結果的に服を創るいくつもの配慮として下代に反映され決定されていくのだ。それが結果、高額な価格になってしまうことがあるというのが実情だと理解してもらえたらいいなと思う。

しかし、そうは言っても今の世の中あまりにも服の価格が高すぎている現状にバカバカしいとさえ感じている自分がいることも確かなのだ。

頑張って手を伸ばしても、それ以上遠くにある容易に着ることが許されない高額な価格の服を一体どれだけの人が望んでいるのだろうか?

ファストファッション以外のファッションを楽しむ事を一部のコアなファッションピープルや高所得者だけのものにしてしまうには何かが違うと感じるのは僕だけなのだろうか?


……………


ちなみに僕がGROUND Yというブランドを任されていたときのことも書いておこうと思う。この時はまた違った見え方があったからだ。

(後輩がブランドを引き継いでいて今も続いています。)

このブランドはヨウジ社のブランドを世間にもっと広く認知してもらうこと、多くの人に手にとって購入してもらうことを目的とした、いわゆるその人の入り口になれるようなブランドとして立ち上がった。

だから、コレクションブランド(先に書いたブランド)やY’sブランドよりも店頭価格を出来るだけ抑えた価格設定にしなければならなかったのだ。

ということはどういうことか。

係けなければいけないコスト以外でどうにかこうにかコストを削らなければいけないということだ。

そうするとまず考えられるのが、

-なるべく付属品(ボタンやファスナーなど)を多用しないデザインをする

-縫製工賃を抑えるために工場さんを値切るのではなく、デザインや仕様や仕立てにおいて極力縫いやすく縫製工程を減らすように工夫する

-全てじゃないにしても、新しい生地を仕込まないようにもともと社内にあるストックの生地を出来れば使うようにする

これだけでそれなりのコストを削ることができるのだ、とはいってもなかなか具現化するのが難しかったりもするのだけれど。しかし、ブランドの意味を考えると机上の空論にするわけにもいかない。

このブランドの服を楽しみに待ってくれているお客さんのことが頭をよぎるからだ。

とはいえ、なかでも仕様や仕立てを極力簡単にすることに最初は結構戸惑ったりしたのが事実なのだ。コストを削ったとはいえそれなりの価格になることはわかりきっていたから、見劣りするような仕様や仕立てではそれこそ価格と価値のバランスが保てなくなるのではと考えていたからだ。

(ほかにもあるけれど、ここでは省略する)

しかし実際蓋を開けてみればGINZA SIXと共にオープンした店舗の売れ行きは好調で予想をはるかに上回るモノだったのだ。

最初の懸念はどこ吹く風で結果的に多くのお客さんに喜んでもらえたことが何よりの糧になった。


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これらを踏まえたうえで考えると、玄人からしたらそうだとしても買い手側からすると、仕様や仕立てが凝っていればイイというわけではなく、だからと言って価格がただ安いということが決してイイというわけでもないのだ。そのブランドに見合った落としどころにうまくハマっていることの方がよっぽど大事なのではと思うのだ。

しかし、仮に「配慮をしたから」と自分を言い聞かせて創る服がエゴの塊になってしまったらそれ自体がどうなのだろうか?

不特定多数の誰かが本来喜んでくれるモノを創れることが何よりの喜びであるはずなのが、自分ヨガリの悦びにすり替わってしまってはいないだろうか?


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要は、ブランドを動かすということは自分がどれだけ俯瞰して周りを見渡せるかが重要なのだ、ということが理解できた。

個人出資でブランドを動かしている友人たちの葛藤も悔しさも喜びも僕の感じたそれよりもはるかに重く大きいものだと理解しているけれど、会社に属しながら少しでもそのことを僕自身が身をもって経験することができたのはかなり有意義であり、経験させてもらえたことについて感謝の思いしかない。

もう明らかではあるが、服の価値観は買い手側と創り手側からでは全く目線が違うということ。なによりも自分が服に対いして抱いている「正義感」が「正義感」でなくなってしまったとき、本当だったら買い手側に受け取ってもらえたはずの価値観を失わせてしまう可能性を秘めているものなのだ。

服の価格と価値のバランス、ブランド価値とは一体………


本当なら余計なことなんて気にしないで、ファッションをもっともっと楽しんでもらいたいし、僕自身もっともっと楽しみたい。

これからのファッションの在り方がますます楽しみになるのだ。


という話でした。


今回も結果的に脱線した感がかなりあったがご愛嬌ということで。


お粗末様でした。


※ちなみに、トップの写真は僕が創ったGROUND Yの洋服のパターンの一部の写真です。












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