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ダウン症の息子が産まれた話①~妊娠編~

私の息子、福太郎(仮名)がダウン症だと分かった時、どのように感じ、そして受け入れるに至ったのかを正直に率直に書いてみたいと思いました。
少し長くなるかもしれないので、何回かに分けて書いていきたいと思います。よろしければ気楽な気持ちでお付き合いください!

息子は、生まれる前から親孝行な子供だった。
私たち夫婦が本気で子供を願ったのは結婚2年後のことだった。
子供をもつ未来をようやく夢に描けるまでに、精神的にも環境的にも少しだけ落ち着いてきた頃のことである。
年齢的な観点からも肉体機能的要因からも、私たちは一足飛びで人工授精を試すことにした。
ちなみに、お医者様の力を借りることに関しては何の後ろめたさもなかった。
「借りれるもんなら借りとこうじゃないか、ありがとうございます!」という、割とさばけた感覚をお互いに持っていたのは幸いだ。

世の中にはあっという間に子供を授かる夫婦も山ほどいるが、そうではない夫婦もまた非常に多い。
そして私は当時、なんとなく自分たち夫婦は後者のタイプであろうと確信めいた思い込みがあった。

過剰な期待をせぬように一生懸命に予防線を張っていたような気がする。
そのころ読んでいた漫画「コウノドリ」の影響も多分にあった。
妊娠、出産は奇跡の連続で命がけ。
コウノドリ先生は徹頭徹尾そう仰っていた。

初めての人工授精を前に、私はひたすら自分に言い聞かせていた。
妊娠するのはそう簡単じゃない。
2年3年かかることもざらで、どんなに欲しくとも、そのためにどれだけお金をつぎ込んでも出来ないことだってある。

我々夫婦はきっとこれから始まる永い永い苦難の連続に、一喜一憂をしたり、時には険悪なムードになることもあろう。
月に一度私は涙し、夫は私を腫物のように扱う。
もしくは夫の無邪気で自覚のない行動に激怒することだってあるだろう。

そのころ見ていたドラマ「隣の家族は青く見える」の影響も多分にあった。

隣の家族は青く見える【あらすじ】
家の購入を機に妊活を始める妻とその妻と共に妊活に向き合う夫の「子供が欲しいカップル」。子供が欲しくない「子供を作らないカップル」「男性同士のカップル」「幸せを装う夫婦」この4組が本作の舞台となるコーポラティブハウスで、悩みや秘密を隠して葛藤しながらも成長していこうとする。

Wikipediaより抜粋

そんな風に、これから始まる辛く厳しい日々に思いを馳せながら、心のたすきをキリリとしめ臨んだ初めての人工授精。
まさかその1回で授かるとは。

「妊娠していますよ」
そうお医者さんに言われた時は、喜びよりも戸惑いの方がはるかに大きく、隣で号泣している夫をよそに、頭の片隅で、転職して1年に満たない会社にこの事態をどう報告しようかという心配をぼんやりしていた気がする。
それに確か入社して1年経たないと育休が取れないのではなかったか…

しかし結婚してから、夫の鬱発症やそれに付随する様々な想定外の苦難の連続だった私たちにとって、これほどスムーズに希望が叶ったことは僥倖だった。未来が一転して明るい方向へ回転し始めたような気がした。

仕事の心配をしている一方で、脳内の別の箇所では、私のお腹に宿ったという命の、ぼんやりとしたイメージがぽわぽわと浮かんでいた。

空の上からきっとこの子はずっと私たち夫婦の元へ来る日を待ちわびていたはずだ。

プクプクした丸くて柔らかくて内側から淡く発光している命の種みたいなものが、オリンピック水泳選手のスタート時の飛び込みみたいに綺麗な弧を描いて、すごい勢いで私のお腹に向かって飛び込んでくる、そんなイメージが湧き上がっていた。

随分ファンタジーだねと揶揄されようと、このイメージは未だに確かなリアリティをもって私の中に息づいている。

ちなみに私は福太郎妊娠期間中に入社1年を迎え、無事育休を享受することとなった。
福太郎は空気まで読めるデキる息子であった。

妊娠中はつわりが酷く、もう思い出したくないほど辛い記憶しかないのだが、その間夫は献身的に支えてくれた。

フライドポテトしか食べたくない私に、昼夜を問わずキッチンに立ち提供してくれたし、時にはサプライズでお洒落なデザートプレートを作ってくれもした。温めたタオルを用意しての足腰のマッサージにも余念がなかった。

毎回の検診でも福太郎は順調に成長しており、体は苦しかったが総じて幸福な妊娠期間中だったと言える。

ただ、コウノドリのせいで(せいw)予期せぬ死産や、この世界には残酷な病気や障害が無数にあることを知ってしまい、ふと不安に襲われることもあった。

今となっては不思議だが、これが虫の知らせとでもいうのだろうか。
ある日偶然、ダウン症の子供が取り上げられているTV番組を見て、わけもなく胸がざわついた。

その時たまたま実家に帰省していた私は両親に「産まれてくる子がダウン症だったらどうする?」とさらりと冗談を装って話を向けてみたことがある。

あの時両親はどういう反応だっただろう。
あの二人のことだからきっと「一生懸命大事に育てるだけたい」とでも言ってくれたのだろうと思う。

だが私はあの時期、数多ある妊娠出産にまつわるリスクの中でもとりわけダウン症に関して恐怖に近いものを感じていた。

子供を産むにあたって一番ポピュラーな障害のひとつだからだろうか?統計上35歳からグンと確率が上がってしまうから?

いや違う。それは、確率や統計に基づく整然とした不安ではなかった。
それはもっと感覚的な、誰かと分かち合える類のものではない、極めて個人的で生々しい恐怖だったように思う。

この不安を口に出してしまったら現実になる気がして、おしゃべりな私がギュッと口を閉じ、何も見ないで済むように目を閉じた。

生産期(もういつ産まれても大丈夫とされる時期)に入り、1日目。
夫と二人で電気屋で買い物をしていた時、昨日定期健診を受けた産院から電話がかかってきた。
こんなことは初めてで俄かに不安になる。

すぐに来るように言われた私達は、慌てて電気屋を出て産院に向かった。
暗く重たい雲で蓋をされた空から雨がしとしとと、昨日から絶え間なく降っていた。

昨日検査した胎児の心拍の数値がちょっと気になるからと、説明もそこそこに診察台に寝かされ、お腹をエコーで確認された。
いつもつやつやした丸顔で終始にこやかだった先生の、モニターを見つめるその険しい表情に、スッと全身が冷えた気がした。

エコーはいつもの何倍も長い時間がかかった。
前回までの検診では何にも異常がなかったはずなのに、なんだか色々と心配なのだという。

胎児の心拍が時々下がるだとか、臍帯を流れる血液が逆流しているだとか。

先生は丁寧に説明してくれたのだろうが、専門知識も経験もない丸腰の素人の私には、それがどのくらい深刻なことなのかがちっとも分からない。
分からないし、遠い国の他人の話のようで全然実感がわかない。

紹介状を書くのでこのまますぐに大きな病院へ向かうように指示され、私は言われるままに夫の運転する車で指定された病院へ向かった。

不安とも違うし、恐怖のように確固とした輪郭もなく、ひたすらに頭の中にはハテナハテナが浮かんでいて、どうにもこうにも現実味がなかった。

助手席に座って、流れていく景色を見るともなしに目に映していた。

少し前から本格的に振り始めた雨がいつの間にか土砂降りになっていた。


続きます。




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