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ダウン症の息子が産まれた話②〜出産編〜

前回の話はこちらです

大学病院で医者とたくさんの若い研修医にとり囲まれた私はここへきてようやく、とんでもないことになってきたなと思うに至った。

つい先ほどまで電気屋さんで、飼い犬に噛み千切られたPCコードの買い替えをしていたのに。

待ちに待った生産期に入り、やっと今日からほんの少しだけ安心できると思っていた矢先。
お世話になっていた産院では、生産期に入った妊婦向けに、マタニティヨガ教室やら遠赤外線ドームの利用など様々な素敵プランを用意してくれていて、私はそれを利用する日を心待ちにしていた。

直近のヨガ教室の日程も既に調べていて、そこでお友達の一人でもできたらいいなぁなんてワクワクしていた。

それなのに今、私は大病院の固く冷たいベッドに寝かされ、見知らぬ人々に見おろされている。

床も壁も天井も、そして絶え間なく不快なアラート音を出すモニターも何もかもが無機質で、柔らかさとか温かさとか曖昧さのようなものが入りこむ余地が一切ない世界。
これまで通っていた家庭的な雰囲気の産院とは何もかもが違っていた。

昨日から降り続いていた雨は今や豪雨に変わっていて、医師やナースが首から下げている携帯電話から緊急アラートが一斉に鳴り響いた。
知らぬ間に外は災害級の雨となっていた。

ただでさえ心細い状況に、耳をつんざく不協和音。
このあんまりな状況に、これじゃまるで医療ドラマのようではないかと現実感がすっと遠のいていき、それで、私はほんの少しだけ冷静さを取り戻した。

長いことモニターを見ていた先生がようやく振り向いて私に言った。
「ちょっと赤ちゃんしんどそうなので、産みましょうか」
「はい。えと…いつ産むんですか?」
「今からです」
「ええっ?!」

とっさに、今日何日だっけと牧歌的なことを考えた。
だってつまり今日が息子の誕生日ということになる。
あと1日遅かったら七夕産まれだったのに!
だからなんだというのか今でもよく分からないが、非常に悔しく思ったことを覚えている。

それから星座問題である。
息子の予定日は7月中旬で、彼はしし座の男として産まれる予定だった。
だが今日産まれると、かに座である。獅子からカニって…急に弱くない?(そんな私は今現在、カニグッズやカニ柄を熱心に収集する母となっている)

表面上は落ち着いて見えていた私だが、内心は動揺していたのだろう。
そんな取るに足りないことで頭を一杯にして、普通分娩の予定から緊急帝王切開に変わったことや、そもそも胎児の心拍の問題などの一番心配しなければならない事柄が完全に頭からすっぽ抜けてしまっていた。

帝王切開の準備が進むにつれ、恐怖や不安は少しずつ大きくなっていったが、それでも数時間後にはこの手に我が子を抱いているのだという思いが、辛うじて逃げ出したくなる自分をこの場に引き止めてくれていた。

何よりも、取り返しのつかなくなる前にしかるべき病院で対処してもらえる幸運に心から感謝していた。

良かった、間に合って良かった。

帝王切開そのものは大きな問題もなく終わった。
息子が産まれたのは23時過ぎ。
腹および子宮を掻っ捌かれた状態で壁にかかる時計を見上げながら、これはうまくいくと七夕産まれに持ち込めるかもしれないなどと不謹慎なことを考えていたが、予定通り0時を回る前、七夕の前日に息子はとりだされた。

「産まれましたよ」
そう告げられても産声を聞くまでは、体中にガチガチに力が入っていたような気がする。
息をつめて耳を澄ましていた。
とてつもなく長い時間が経った気がしたが、実際はそんなことはなかったのだろう。
産声が聞こえてきた時、ようやく張りつめていた気持ちが緩んだのを感じた。

大きいとまでは言えないがそれなりに元気な声でひと泣きした息子を手術台の上で触らせてもらった。
小さめではあったが、ちゃんと人の姿をしている。

息子の指にそっと触れ、あまりにも精巧に創られた小さなピンク色の爪を前に、私は震えるほどの神聖さを感じていた。

か細い指を通して、不確かな柔らかさと、確かな体温を感じたとき。

私は我知らず泣いていた。

自分がこの赤ん坊を産んだのだという実感も、母親になったのだという実感も、可愛いと思う気持すら、まだ私の中から生まれていない。
それなのに、実感も愛情も置き去りにして、涙はひとりでに出てきた。
次から次に溢れて止まらなかった。

「ありがとう…ございます…」
分娩台の上で泣くなんて、なんだか小田和正が歌う保険のCMみたいで恥ずかしいという私らしいひねくれた感覚はこんな時にもしぶとく生きていて、必死で声が震えるのを抑えた。

手術の間、ずっと手を握ってくれていた看護師さんが、声を出さずに号泣している私に、そっとティッシュを渡してくれた。

出産後の後処理をしながらお医者さんたちがほのぼのと「こんなに平和なお産は久しぶりだね」なんて言い合っていたことが強く印象に残っている。

時刻は深夜0時をまわろうとしていた。
自身の命を削るようにして昼夜問わず生命の最前線で戦う医療従事者にこれほど感謝の気持ちを感じたことはなかった。

息子はなんだかふにゃふにゃとしていて、それは今思うといわゆる「低緊張状態」というもので、ダウン症の赤ちゃんの特徴の一つなのだが、これまで新生児を見たことも、触ったこともなかった私は、赤ちゃんとはそういうものなのだろうと呑気に思っていた。

顔もまだ浮腫んでいて、誰に似ているのかなんて全く分からなかったが、なんとなく「あ、多分ダウン症じゃない!とりあえず良かった!」と強く思った。(母親の直感とは一体…)

息子は保育器に入れられて夫の前を通りGCU(新生児回復室)という処置室に運ばれた。

目の前を通り過ぎる保育器を夫が覗き込んだとき、息子がうっすらと目を開いた。
その目を見た瞬間夫は、「あ!これは!」と頭を殴られたような衝撃に襲われた。
だがもちろんそんなことを出産直後の私に言うことは出来ず、夫はそれから数日間、ほの暗い不安を一人で抱えることになる。

続きます。


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