#72「空想」は足りているか?|学校づくりのスパイス(武井敦史)
今回は「空想」と学校の「経営」のつながりについて考えてみたいと思います。取り上げるのは建築家の小堀哲夫氏による『建築家のアタマのなか』(幻冬舎、2023年)。随所にスケッチがちりばめられ、視覚的にも建築家の思考に迫れるよう工夫された本です。
「空想」と建築
「建築家」というと「建物の設計をする人」と思う人が、筆者も含め、ほとんどではないでしょうか。けれども小堀氏はそうは考えません。氏は「一本の大きな木があり、そこに話す人がいて、聞く人がいれば、それが学校である」というアメリカの建築家ルイス・カーンの言葉を引いて「建築の始まりは『場所』である」(27頁)と考えます。
「建築家」を「建物を建てる仕事」ととらえるのと「場所をつくる仕事」ととらえるのとではそのイメージされる役割が異なります。前者の場合に視線が集まるのは建造物自体でしょうし、後者の場合にクローズアップされてくるのはそこを居場所とする人々の活動や感情です。「空間の中で行われる営みやその場所の空気感のようなものが建築の本質」(189頁)であると氏は述べます。
ただし、「場所をつくる仕事」は「建物を建てる仕事」よりも少しめんどうなことになりそうです。場所をつくるためには、人々のあり方や活動、周囲の環境など非常に多くのことを併せ考える必要があるからです。
そこで出てくるのが「空想」です。小堀氏は「建築家の仕事とは空想を原動力に、みんなの思いや願い、夢をカタチにしていく仕事だ」(39頁)と述べ、空想が建築へとつながっていく様を次のように語っています。
「建築をつくるということは、私の空想から始まり、やがて『私たち』(建築を取り巻く多くの人々)の空想が重なっていく。そして最後は、インスピレーションとして『私』に戻ってくる」(135頁)。
では、空想はどうしたら重なるか? 氏は「空想と空想がぶつかり合う場」としてのワークショップを行うそうです。そこではたとえば、目の前の人の顔を3秒ごとに入れ替わりで描く、ブロックをひたすら高く積み上げるなどの建築と関係ないことから始まり、自分の本心や思い、願いを語り合うようになって、みんなの思いや夢が集まり、空想は「伝播」していく(114~115頁)といいます。
こんな空想のハーモニーが奏でられていったなら、きっとわくわくするような「場所としての建築」が誕生するのではないかと筆者には想像できます。
学校「経営」と「空想」
学校のマネジメント(経営)がますます強調されるようになっています。けれども「経営」の原義が「なわばりをし、土台を固めて建築を行う」(明鏡国語辞典)ところにあったことはあまり知られていません。
実はこのことをはじめて知ったときには筆者も少し違和感を覚えましたが、今ではこの原義こそ「経営」の本質を言い当てていると考えています。
筆者は大学院の授業等では、自分の家を仮想的に構想する演習を通して経営の発想をつかむ練習をしています。この演習をやってみるとビジョンは完成予想図、経営計画は工程表といったように、建築になぞらえて学校の経営も感覚的に捉えられるようになります。
こうした演習を考えたのも、筆者には小さなログハウスを建ててみた経験があるからです。もう25年も前の、大学に就職したての頃のことですが、週末に軽自動車で兵庫から長野まで通っては「経営」にいそしんでいました。
そのときの原動力となっていたのは、やはり仲間とバーベキューをしたり、ひとり露天風呂に入ったり……そんなとりとめもない空想でした。この小屋はもちろん今でも健在で、ちょっとずつ発展を続けています。
学校づくりも仕組みはこれと同じで、そこにかかわる人々を動かしていく根っこにあるのは、素敵な場所としての学校や子どもたちの成長についての、言葉になる以前の空想イメージであるはずです。経営とは場づくりであり、場づくりのためには空想が必要です。
けれども学校の組織マネジメントが強調されるようになって以来、こうした空想を働かせることが次第に困難になってきているのではないかと筆者は感じています。
学校づくりを規定の型にはめようとすればするほど、目標を定義し、経営計画を合理的に策定することが求められるからです。
この問題は深刻です。というのも、もしリーダーたちの心に描く学校像に輝きがなかったなら、多くの職員たちもまた、学校という場所に夢を抱くことはできなくなり、結果としてあてがいぶちの学校づくりになってしまうだろうからです。
そしてそのことは教員の言葉や態度を介して児童・生徒たちにも伝わっていきます。
小堀氏は家族や仲間とともに世界中のさまざまな国を旅してはひたすら手を動かしてスケッチをすることで空想の世界を広げていったことが本書には記されていますが、子どもの頃空想をしなかった人はいないはずです。学校の現実はなかなかシビアですが、たまには自分の空想の世界を解禁してみてもいいのではないでしょうか?
(本稿は2018年度より雑誌『教職研修』誌上で連載された、同名の連載記事を一部加筆修正したものです。)
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?