「 曇り空の下、生きる。 」

自分が正しいとも思っていない。
他の道があったのかもしれないとも思う。
でもこの選択が今の私にとっての精一杯の最善策であることは間違いなくて、
批判を受けるとかそういうことは一度手放して、
この不器用な生き方を、精一杯ぎりぎりの生き抜き方を、
備忘録としてここに書き綴っていきたいと思う。
 
ネット検索だと自分の必要な情報しか選べない、広がっていかないということを聞く。

「本」という媒体はどうであろうか。
まるで自分を正当化するような、守るような、自分の心の盾となり剣となるような本を気づくと手に取っている。
「必要なときに必要なものに出会える」というけれど、私も強くそう思う。
確かに偏りがあると思う。
これらが正解だとも思っていないし、押し付けようとも思わない。
それでも今の私を助けてくれたのは確かで、忘れたくないと思う。
 
「14歳からの個人主義」
「エリックホッファー自伝」
「答えより問いを探して」
「歴史とは靴である」
「モンテーニュ人生を旅する7章」
図書館で手に取った5冊。

パッと目についた本。
前から何となく気になっていたものの、今までタイミングがなかった本。
昔に読んで急に再読したい!とひらめいた本。
読みたいリストとして手帳に書いていた本。

どれも偶然このタイミングに私のもとに集まってくれたものなのだけど、まるで弱った私を救うべくどこからともなく表れた5色の正義のヒーローみたいだ。
私の心を癒し励ましてくれた。
私を励ますために今ここに集結してくれたみたいに思える。幸せだ。
本って本当にすごいと思う。
 
「ズレている」とか「馴染めない」とか思ってしまうこと度々ある。
そうなってしまう自分を責めるという選択の他に道があることを忘れずにいたい。
その渦中にいるとなかなかどうも難しいのだけど。
 
当たり前と今根付いていることだって、ずっとずっとさかのぼっていけば、それが当たり前ではなかった時代があり、文化、社会があり、それが生まれた理由があるんだ。切っ掛けがあるんだ。

ずれのその真ん中にいると、どうしてもその当たり前になじめない自分を責めることばかり考えてしまう。どうにかしてそこになじまないといけないとそう思ってしまう。
でも一旦立ち止まって考えてみる。この「当たり前」はどんな歴史をもっていて、どんな理由で生まれたのだろうと。
そんな角度から見てみると色んな新しい思考が生まれる。
 
「私」という存在はかけがえのないものだと思うし、大切に特別なものにしたいと強く思っている。
ただとってもちっぽけなものだという認識もある。
そう思わせてくれるのが「歴史」だ。
私は歴史が凄く好きでよく手に取る本の分野でもある。
歴史を知れるということは「人間」としての大きな財産だと思う。

「多くは、個体の体験や記憶だけで行動するのが普通の動物であるのにたいして、
人類は、他の個体が経験したものを、なんと空間や時空を飛び越して、人類共有の財産にして、次の行動が学習去れて行って、もうちょっとましに生きられる、もしくは愚かな考えも伝えて、差別や偏見を後代に残したりしています。これが「歴史をもつ」ということであり、その意味でぼくら現生人類=ホモサピエンスとはきわめて不思議な生き物だということ。(歴史とは靴である)」

長い歴史の中で今の大きな枠組みである「学校」や「会社」というものが確立していったことも確かであるが、
その歴史を紐解くことで、その理由を知ることができ客観的に自分の置かれている状況を見守ることができるようになる。
そして長い歴史の中で、その枠組みになじめず苦しんだ人々の存在、そしてその枠から自ら外れ、素敵な人生を歩んでいる人々の存在を知ることもできるのだ。
それは大きな心強い味方となり、それを知ることができるのは人としての特権だと思う。
 

「日本に今の教育制度ができたのは明治の初めです。
明治5年に「学制」が施行され、全国に学校をつくることになりました。」

「近代国家を作った人たち、新しくこの国を統治するようになった人たちにとって、どうしてもやらなければならなかったのは、
農業国だった日本を工業国家にしてゆくことでした。どの国も、農業中心の時代を経て、工業中心になって初めて近代国家といえるのです。
 
農民は自然の時間で生きています。農業というものが自然を相手にしているからです。
太陽がのぼったら起きて働き、日が沈んだら家に帰って休む。
そんな時間感覚では、工業労働者にはなれません。一年中、同じ時間に起きて、同じ時間に仕事を始めてもらわないといけないのです。
そして、毛ひとつ、工業労働では「型にはまる」ことが大切です。
例えば、小学校では、授業を50分やって、10分の休み。その繰り返しです。
そうです、工場を同じですね。50分やって10分の休み、ときには、2時間仕事をして30分の休み。その繰り返しが工場労働の特徴です。そして、働いている間は、絶対に自分の持ち場から離れてはいけない。

50分間椅子に座っていられること。小学校でいちばん大事なのは、これだった。こと絵を間違っても怒られないけど、フラフラ教室を出ていくと怒られる。工場では、そこで行われている労働がどんなに不条理で辛くても、黙って大人しく、ずっとその時間、そこにいなきゃならない。それが工員に求められている精神なんですね。

考えれば考えるほど、工場と小学校は似ている。
もしかしたら意味のないことかもしれないのに、丸暗記しなきゃならない。先生が黒板に書いた正しい答えを覚えないと、「出来が悪い」と言って叱られる。先生のいっていることに何か疑問を感じて、間違っているかも、と思っても、そんなことは言えない。ひとりだけ違った製品を作ろうとした、そんな工員も怒られるでしょう。ということは、小学校は「はい」といって、なんでもいうことを聞く子どもを生産する工場なのかもしれません。(問答えよりも問を探して)」
 
この意見が正しいわけではない、ただ私たちは物事をもっと自由に考えてもいいんだよ、と文章は続いていく。

この文章を読んでとても心が軽くなったような感覚になり、
なぜだか涙が出てきてしまった。

幼い頃は「学校」が全てで、大人になると「仕事」が全てで、本来「核」として作用するはずのそのどちらも私の中に根付くことはなかった。

大勢の人にとっての「核」であるものが私には作用しなかったという事実は、なかなか受け入れることができなくて、正直に自分を責めるという行為になってしまうのは自然なことのようにも思える。

でも、もう責めるのは疲れてしまった。もう手放してしまいたいと思う。

私はいつも「はざま」にいたような気がする。
環境や周りの人に恵まれていたこともあって、なんとか高校を卒業し、大学に進学した。
でも、学校の具体的な何かが嫌で苦しかったというわけではなく、
「学校に通い続けること」それ自体が苦手だったのだと思う。
漠然とした苦しさゆえにはっきりとした解決策は見つかることなく、必死に死に物狂いで、学校に通っていた。
当時は私以外の皆もこんな思いで通っていたのだろうと思っていて、それなら私もやらなくちゃと奮い立たせ踏ん張っていたのだと思う。
友達に恵まれていたし、恋もしたし、表上は楽しい学生生活だったと思うのだけど、小中高、大学の19年間の記憶は恐ろしほどに一切残っていない。
相当苦しかった。
でもこの苦しさはあまりに抽象的で、誰も悪くなくて、だからこそなかなか理解してもらえないから、そっと心の奥にしまっている。

24歳になって手に取った本の言葉によって学生時代の自分もまるっと救ってもらったような感覚。
嬉しくて泣けてくる。
そして今8時間労働という型にもさっぱりなじむことができない自分のこともなんだか納得してしまった。

中途半端じゃなく、突き抜けろという言葉を思い出す。

私はいつも何かが苦しくて、どこにいても居心地が悪くて、心はずっとずっと曇り空。
いつかすべてがパッと晴れ渡るのだろうと信じて、
それをただ信じてもがいて生き続けてきた。

ただ最近、この私を陰らせる雲たちが消え晴れ渡ることはないのだろうと思うようになった。
たまに差し込んでくる日差しを楽しみ、
それでも曇った空を愛し、
日々流れていく雲を眺めて、
二度とないその空模様をかみしめるように日々を営んでいくのが私らしい人生なのだと思うようになった。


これは悲しいことではないと思っている。
人一倍日差しの眩しさを、嬉しさを、知っている。
ずっと晴れが続くことはないと知っているし、
逆に雲は流れ急に日が現れるということも知っているから。
雲は流れるから、同じ曇り空が続きはしないと知っているから。
「今」心を陰らす雲と会えるのも「今」しかないのだと考えると、きちんと「今」向き合ってあげたいと思っている。

そして人一倍「曇り」が多い私にとってこの向き合う時間こそが何よりの財産だと思っている。


私の「歴史」、そして、人間としての「歴史」の小さな断片として、
未来の私、そして未来の誰かの小さなお守りや切っ掛けにになるように、こうしてここに思いを残していきたいと思っている。

曇り空の下、明日も生きます。

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