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忌々しき飲みニケーションの起源...酒宴で香る日本の古代文化ー柳田國男を読む_11(「木綿以前の事」)ー

(アイキャッチはニューヨーク公共図書館より)

『柳田國男全集17』ちくま文庫(1990)

序論

 「〇〇君、この後一杯どうかね?」「○時間飲み放題で○割引致します!いかがですかぁ〜」「久々に家に帰ったんだから、少しは飲まんか」...会社、街中でのキャッチ、実家、テレビ、ネットその他広告、酒の話題は尽きることなく、実に喧騒の感さえ、漂わせます。

出血泥酔者の幼児返りという情けない大人像を幼少の頃からまざまざと見せつけられて、YouTube広告並に脳内再生されてしまう私自身()からすると、このような宣伝文句(最近は世間体もあるでしょうが)には微かに拒否反応なるものが作動してしまいます。しかし、同時にここまで切っても切り離せず、絶えず社会問題として取り上げられる様を見ると、深い何か根っこみたいなものが底流としてあるのではないかと思念せざるを得ません。

そこで、酒に親でも殺されたのかと言わんばかりに酒宴の話題を要所要所に挟む、日本民俗学の父、柳田國男氏を今回もお招きし、この常に話題が絶えず、体力勝負な酒宴ないし飲みニケーションについて、見聞を深めたいと思います。

私はちょくちょく酒宴の話題に絡める柳田氏の筆致を柳田節と名付けているのですが、著作権フリーなので、皆さんも機会があれば、是非活用頂ければと思います(蒼白

今回は短い論文なので、文字数少なめで終わりたい!終わりたい!頼む!

ということで、本編へ参りまs(

本論

飲みニケーションの起点

 酒宴がコミュニケーションの起点にあったことは、祭りの直会という行事を見ても一目瞭然です。

民俗学ではキーワードとしてこの直会という言葉を親の顔より見せつけられるので、これにも堪らず拒否反応が作動しそうですが、分かりやすい該当文を一つと...

...祭の日の夕御饌・朝御饌に、神に神酒を供え奉り、また依坐をしてその直会に与らしめたのは、もとより単純なる飲料としてではなかった。当世の語で言えば、これを用いて意識の異常状態を発言せしめ、神と人との仲介、すなわち後世の御託宣に便ならしめたのである。

柳田國男全集13 ちくま文庫(1990) 584頁

まぁ、早い話、お供えした供物を祭行事の共同者つまり氏子で一緒に食べようというものでして、この神人共食という文化は、神道の他にも、キリスト教の聖餐で見られるように世界中の宗教でも極めて大きな影響力を及ぼしています。

元はこうした大々的な行事でお酒等は使用され、自給経済下では飲む機会というのも、上記のような晴れの日に極めて限局されていました。うまい酒がそう流通していなかったというのもありますし、近世の四斗樽の普及が酒屋文化に火をつけたという側面も否めないそう。

秋になるより里の酒桶
『曠野集』

ふつふつなるを覗く甘酒
『続猿蓑』

このような詩句からは、秋忘れの祭礼を待ち遠しくのぞむ人々の気概が感じられると柳田氏は述べています。

また、酒は必ず集まって飲む、すなわち、酒盛りであり、モラウの自動形たるモルは、その一つの器を他人と共有するという意があるとのことで、徳利で手酌なのそう便利な機器が普及する前は、固く作法を守る所で見受けられた巡杯が執り行われていました。

本式は上記で以上となりますが、何かと歓待の儀を凝らせたい主人も不満をもたれるのは嫌だからと、お肴と称して舞踏を入れたり、せり盃なのかみなり盃なの小規模な飲み合いがどんどん派生していきます。
めいめい盃となると塗盃で個人個人で飲むことが可能になり、ついにはだらしのないものとなったと柳田氏は解説を加えています。

一人酒について

 一人酒ないし独酌とは、古代中国の詩にもその例はあったそうですが、ともかく我が国ではそのような独酌を憐れむ気風が古代からあったそう。

近年では、紳士が屋台店の暖簾をかぶることは普通になったが、昔は、前節にあった晴れ場に参画できぬ者、すなわち奉公人やら下人の飲み場であり、だからこそ居酒ができる所も限られていたとのこと。

ちなみにこの一杯酒を西国ないし徳島あたりではオゲンゾウと呼ぶ方言が残っていたらしく、これは見参に由来し、つまり改まった人に対面することを意味します。
奉公人の旧主訪問をゲンゾと呼ぶことから、主従の契約をする式が見参にあたり、そこでは酒が与えられますが、これは主人と飲み交わすものではなく、その家来にだけ一杯飲ますのみで、主人の献酬はなかったそうです。

また、大きな家、庄屋等になれば、この働く下人らは多くなるわけで、このために東北ではヒヤケという片手桶ができ、この者への武器ともなる酒蔵の管理権は主婦に所在したという歴史もここではピタリと交差するように思えます(どぶろくの供与もこのあたりか

晩酌もまた、鹿児島あたりではダイヤメ、ダリヤミと呼んでいたそうで、これは労働者を癒す意であり、東京のお仕着せにありつくのオシキセは、元は奉公人の衣服の意がありました。

結論

...中世以前の酒は今よりもずっとまずかったものと私たちは思っている。それは飲む目的は味よりも主として酔うため...酒のもたらす異常心理を経験したいためで、神々にもこれをささげ、その氏子も一同でこれを飲んだのは、つまりはこの陶然たる心境を共同したい望みからであった。今でも新しい人たちの交際に、飲んで一度は酔い狂った上でないと、心を許して談り合うことができぬような感じが、まだ相応に強く残っているのもその痕跡で...酒の濫用ということがもしありとすれば、現在の過渡期が特にその弊害の起こりやすい時だと言い得る。すなわち我々は一方には古い名と約束に囚われつつ、他方には新しい交通経済の実情に押しまわされて、その中間の最も自分に都合のよい部分を流されているのである。両者新旧の関係は改めて静かに反省してみなければならぬと思う。

同書 145-146頁

 彼の言わんとする所は上記でうまく纏められているでしょう。柳田氏のケ・ハレ論は、彼の論文の随所で垣間見ることができるのですが、当論文もまさにこのケ・ハレに該当するものと捉えることができます。

日常のケと晴れ場のハレの混同は近世からより一層激しくなり、甚だだらしなくなっている...そんな感じのところでしょうが、この酒宴ないし飲みニケーション一つとっても同じことが言えるのかもしれません。

神人共食の直会とて、これは祭り行事の中枢であり、祭り行事も元は五穀豊穣を祈念する農民らの労働の延長線上にあったものです。
決して幼児返りの出血泥酔者を慰るだけの行事ではありませんし、序論で体力勝負だと言ったのも私の加齢に帰結するものではありません。元は祭り行事だったのだから(早口

今日の飲みニケーションは、だいぶ世間体を気にするようにはなりましたが、柳田氏のいう「静かな反省」を出来ているか。喧騒の感は拭えず、一人歩きも未だ進行中という感じですけど、この問題とて、現代だけの問題ではなかった。実に歴史深き、また古代文化にも直結するような話であることは、一度、静かに省みるのもまたよきかな...

んー、で文字数の方はどうだ。これで2000字超えんのかよ...私も文章の一人歩きを少し改善せねば

ということで、また次回お会いできましたら、ご贔屓に〜

(余話)
そういえば、飲みニケーションで、たまに水で杯を挙げようする若手を血眼のようにマナー違反だと責めたてる気風は今でもありますよね。

しかしよくよく考えると、水盃ないし水盛は、奄美大島の婚礼、すなわち夫婦盃だったり、嫁入りの際の親兄弟盃で確認された風習であり、沖縄本島でも寄合の盆という折敷の上に水を出す風習があったそう。また内地でも嫁入りに際して聟方の敷地を跨ぐ際、水を飲ませるという風習が残っていたことからするに、これを不吉としたのは後付けだろうと柳田氏は考察を加えています。

いわゆる水盃については、再考される余地がありそうですね。
そんな余地も残さないでとにかく唆かすマナー講師はほんと害あ(ry


備忘録

○柳田節について

文字数減らすとかほざいていましたけど、いわゆる柳田節の提唱者として、こと酒宴に絡みたがる柳田氏を少しここで愛でてみたい...

・同書、主婦権の話題に絡める柳田節

...酒の害悪は今や飲む人自らもこれを認め、何とかしてその悪結果を抑制しようとする計画は、すでに政治上の問題となっているのである。ところが世の禁酒運動に対する防衛説は、いつでもきまって神祭りはどうする、婚礼の祝いには昔から飲むではないかという二つの点で、これでもって始終歴史にうとい人を、ぎゃふんと言わせている。もちろん酒の弊害は少しでもこの二つの点からは出ていない。彼らが勝手に忘れている主要なる歴史は、昔は酒屋のなかったことである。...酒に伴う固有の信仰は皆すたれて、この興奮の面白さだけが記憶せられ、おまけに一方はどこにもあり、かつ大いにうまくなったとすれば、元来がわれを忘れしめるが目的の酒である。多数の飲んだくれと、これによって不幸を被る者とを、生ずるのは当然の結果であろう。弊害がないものなら考える必要はない。しかもその弊害は皆現代のものなのである。また皆さんの問題なのである。

同書 294頁

ええっと、酒蔵とかそこらの女性の管理権の話でしたよねぇ...

・祭りの話題で柳田節

...酒の用途はまったく人を霊媒にするにあったのである。これを尋常家庭の宴楽に供するのが、すでに第一回の濫用であった。濫用をすればいかなる物でも必ず害がある...(中略)酒は前申すごとく尊い薬水ではあるが、尚古派の自分等でも、夙にこれを家庭に入れぬことにしている...そうして代りにシトロンなどを飲んでいる。

柳田國男全集13 ちくま文庫(1990) 585-586頁

祭りの回に参考した文献からですね。
先生も一応対策を講じていたようです。

・婚礼の話題で柳田節

(婚礼について)酒がこの日の最大のアトラクションであるゆえに、どうしても後の酒宴の方に重きを置かれる。これでは本意ないと思ったためか、早めに二人を退座させて、別に床盃などというとのを取りかわさしめる例もあり、それと本盃と二度というようなおかしな慣習が行われているのである。なんぼ昔からの仕来りなどといっても、以前このようなことの必要であった場合は、考えることができぬのである。

柳田國男全集12 ちくま文庫(1990) 205頁

あー、自由結婚の回でも結構触れた箇所ですかね。世間一般の飲みニケーションだけでなく、婚礼儀式にもだいぶ食い込んだ話でした。

・民謡ないし酒宴歌の話題で柳田節

...見参といいまた見知りなどと称して...これから大いに仲を良くしなければならぬ者も、一夜は酌みかわさぬと何としても気が済まなかった。そうして...馬鹿に馴々しくなってつまらぬ身の上話などをすることが、今でもまだ酒の功徳のように、ありたがられているのは惰性である。以前の往来の稀であった時代にはよいが、これだけ交通の進んだ今の世ではたまらない...酒盛習俗の頽廃はこれに基くのである。

柳田國男全集18 ちくま文庫(1990) 37-38頁

民謡とりわけ労働唄の記事でも触れましたけど、酒宴歌は民謡の組み分けを複雑化しているとのことでしたので、だいぶ強めに当たってますねこれ(傍観

・我が国の国語問題で柳田節

...お互いはまずわが邦の常用口言葉が、果して衰頽の一途を歩んでいたと、言えるかどうか...彼らがよそ行きの場合も同じように、使うに先だって言葉を点検しまた選択をしたのは警戒だけではなかった。その上になお最小限度の言葉をもって、最大の効を挙げようとする趣味をさえもっていたのである。そういう趣味が軽んぜられ、また警戒を無用ならしめんとしたのは酒間であった。

柳田國男全集22 ちくま文庫(1990) 551頁

前回の記事で触れた話題ですね。いわゆる国語史において、尊敬語の氾濫等が多く、こと学校制度前の優れた口言葉文化を衰頽たらしめたとして酒宴を批判している、そんな感じですかね。ここではベラベラと語らせ、早口にさせるのが良しとしたのが原因だと仰りたいのでしょう。

○折口信夫の考察

直会については、こと古代文化に直結しやすく、やや観念論的な所にどうしても行き着いてしまうので、こういう時にこそ、柳田氏に天才と言わしめた折口信夫先生を召喚する。

大直日とは直会の一種ではあるが、大直日神と一直線に関連付けられるのは早合点であるとのこと。
まずは直日の神を訪ねるに、八十過津日神と大過津日神を確認でき、この悪徳を抑えんがために、大直日神と直日神が登場したと。
祝詞でことに言霊として厳格に規定するのは主として前者。

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