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レインボープライドに行って、肩車できるうちはしたほうがいいって思った話。

「やっぱりレインボーパレードっつーくらいだから、雨はつきものなんじゃないの?」
「あんな。雨のあとに晴れんと出ないんで、レインボーはよ。それと、パレードやなくて、レインボー”プライド”やで」
「ほんとに俺が楽しみにしてると、確実に雨が降るよね」
「あんたの雨男っぷりは、ほんと迷惑やで。パレードの人ら風邪ひいたらアンタのせいやで」
2022年4月24日。東京・渋谷?代々木?で行われた東京レインボープライドに行ってみたんです。家族で。娘と、出不精の妻も珍しく一緒に。
日曜日に。雨でしたけど。

というのもね。
遡ること数週間前。娘がね。
「女の子だからピンク。男のだからブルー」
って、塗り絵しながら口ずさんでいたんですよね。
その瞬間、思わず私は妻に目をやりました。妻もこっちをみていた。目が合いました。
感じたのは、きっと同じことです。

けしからん!

女の子だからピンク?男のだからブルー?
誰が決めたそんなこと。
誰かの思い込みを借りるな。人から借りていいのはお金だけ。
我が家は、自分で言うのもなんですが、けっこう大らかです。
「お父さんクサい」
なんてのは、お褒めの言葉だくらいに笑い飛ばします(私は野良犬の臭いがするそうです。野良犬いないっつーの)。
でも。これは聞き捨てならん。

性別だけじゃない。国籍、宗教、もしかしたら身体機能の限界や、精神的なアレコレだって。
ぜんぶ自分で決めること。
それだって、時間が経つにつれて、出会いの中で、変わっていくかもしれない。
だからこれからの人生いろいろあるに決まってる。

私がいわゆるフクザツなご家庭の育ち、というやつで。
母親と、母親の彼氏と、何年もみんなで一緒に暮らしていました。
しかもその彼氏は、カラダは女性でした。自分のカラダを忌避していた。
母親の彼氏、しかも同居っつーだけでも昭和生まれの10代にはまあまあの事態なのですが、そこにもう一枚のっかってくるラビリンス感。

なので私なりに娘には、いろんな人がいて、いつ友達や家族になるかわからんぞ、ということは、原体験として感じていてほしかった。
なんなら、いろんな人と生きた方が楽しいかもよ、と。
だから今のうちから解像度を上げておいてほしかった。社会を見る目の。人や自分を見る目の。
みんな何かのマイノリティ。いろいろあって当たり前。
じゃあそのいろいろってやつをちゃんと自分で出会いに行こう、娘よ、と。

ちょっと調べたら出てきました。
ちょうどやるぞ、レインボープライドが。パレードも復活するらしい。
応援に行かない手はないぞ、と。
なんのこっちゃわからない娘には
「エレクトリカルパレードの渋谷版」
と説得しました。

で。雨の渋谷です。
当日は、沿道でパレードが来るのを待ちました。娘を肩車して。
時間やルートを調べていったのが功を奏したようで
PARCOの前あたりで、ちょうと先頭集団と出会うことができました。
ズンドコズンドコとBGMを響かせて、坂の上からゆっくりとやってきます。

正直、驚きました。
私の想像よりも、アクが抜けてる。
私、20代の頃は、新宿一丁目に住んでました。二丁目とG街に行きつけがあったので、そこに通うためにです。
もう時効でしょうからあれですけど。こんな文章読んでる人も多くないでしょうし。
もう足が遠のいて久しいですが、今はどうなんでしょう。当時はまだ二丁目カルチャーが色濃く残っていた時代。
「デブ専」「ハゲ専」「老け専」「見送り専」なんていう呼び方も憚られることなくあって。今思うと乱暴な話ですが。
私なんか「木こり専」としてお店にスカウトされたこともありました。木こりを専門に好きな人って・・・っていう。
木こりとして宿木の向こうに立つことはなかったのですが、
お店で働く面々がまじめに社会風潮に異を唱えるところだったり、
異なる意見を持っている人が鼻白んでいたりするのを、
横目で見ていたりしていて。
ドラァグクイーンの矜持にも、私なりに敬意を抱いていました。
その当時のギラギラした、あるいは気さくな二丁目のイメージが私の中に根強くあって。
パレードというからにはそういう絢爛とした自己主張、ケレンミたっぷりの”我、演じる。ゆえに我あり”なパフォーマンスをイメージしていたのですが。

いい意味で言います。
普通、でした。
多くのみなさんは普段着。着飾る人も多くなく(たまにいると私は、よっ!待ってました!と大向こうを張ってしまいましたが)。
自分を誇ることに、オーバーな演出はもういらないのかもしれません。
いろんなジェンダーの方、国籍の方、障害のある方。カップルや親子で参加している人たちもいる。
みなさん、多かれ少なかれ思うところあってパレードに参加する側に回っているわけですよね、たぶん。
でも、ぜんぜん屈託がない。力みもない。にこやかに街を行きます。
肩車された我が娘に、みなさん手を振ってくださる。もちろんこっちも、その倍以上の振り幅で振り替えします。

時代だな、とは思いませんでした。
そんな簡単な単語ではくくれない。戦ってる、切り開いている。
たぶん、短い歴史の中でさえ、自ら後進に道を譲った先達たちもいるんだろうと。
その足跡を辿りながら、このパレードはカラフルに進んでいるだろうと。
そんな綺麗ごとばっかじゃないとは、予想はできるんですが。
綺麗事を考えたくなるくらい、清々しく手を振っていました。
ランナーが巻き起こす風は、いつも爽やかです。

娘は
「みんな、手ふってくれた」
と、肩から降りながら報告してくれました。さも当たり前のように。
いわゆるセクシャルマイノリティに限らず、あらゆるマイノリティにとって、今の日本社会は、まだ雨模様なのだと思います。
いや、日本に限った話ですらないのかもしれません。
でも。
どんな雨続きにも、晴れ間が生まれる一瞬はある。
雨が上がりきらないうちに、陽光が差し込む。そんなときに虹って出るよな、と。このパレードは、そんな陽の光を感じさせるものでした。
娘の世代くらいからなのかもしれません、当たり前になるのは。

それから公園通り?っていうの?あのPARCO前の坂を、パレードとすれ違いながらあがりきり、LINE CUBEやNHKを左手に見ながら、代々木公園に向かいました。
そこがお祭りの会場です。
でも。生憎の雨。なんならさっきよりも雨脚は強くなっている。
傘ばっかり。
いろいろな団体のブースも、美味しそうなキッチンカーも、ステージで繰り広げられるパフォーマンスも、謎の行列が行き着く先も。
なにより、参加している人たちが、傘に隠れてしまっている。
本当は、あの場だけに生まれるバイブスに身を置きたかったのに。
正直、なにも印象に残ってない。だって、参加している人の笑顔とかが、見えないんだもの。

でも。とある男性のことだけは、強く印象に残っています。
アポロンのような隆々たる筋肉に、程よくのった脂肪。巨岩にゴムを巻いたような肉体と表現した作家がいましたが、まさにそれ。
そしてパンイチ。傘もささずに、パンイチ。雨に打たれてパンイチ。いや、雨に濡れるならむしろ合理的だとすら思えるパンイチ。
そんな彼が、いろんな人との記念撮影に笑顔で応じていました。
SABUの表紙から抜け出してきたような人(元・界隈の住人として、褒めてます)。
いたいた!と、嬉しくなりました。
そう。あえてのパンイチというところも含めて、あのサービス精神。
受け入れられることを望む前に、まず歓迎の姿勢を示すこと。それがどれほど勇気がいることか。でも、話はそこからしか始まらない。
社会人になって思ったのは、勇気って意外と、笑顔で搾り出すことが多いなってことです。
楽しい場には野暮な、仰々しい言い方ですが、娘にはそれを目の当たりにしてほしかった。

しかし、お祭りを私の肩車から眺めていた娘はたいして驚きもせず。珍しいとかもなく。
「ふーん」
「こんでるー」
「おなかすいた」
ってなもんです。
しまいには
「いろんな家族がいるってことでしょ。帰ろ」
という、5歳児らしからぬ切れ味で総括しやがった。
「雑にまとめたなー」
なんて妻と話していたんですが。

たぶんそれが正解なんじゃないかな、と妻と話しながら、公園通りをくだり、渋谷駅に引き返しました。
いろんな家族がいるのは、いたって普通のこと。
当たり前すぎて、とりたてて騒ぐことのほどもない。
楽しく健康にやっていれば大成功(パンイチで風邪ひいてないか心配。彼の風邪は俺のせいじゃないけど)。
この代々木公園が、彼女の生活の延長線上にあると感じてくれてるといいなと。

でも。ちょっとひっかかることがあって。
「なんでいろんな家族がいると思ったの?」
私はテクテク歩きながら、娘に聞きました。
今日は別に、家族をテーマにしたお出かけではなかったはず。
お祭りの会場も、家族連れはいっぱいいましたが、傘で見えなかった。
なんで、いろんな家族がいるって、感じたの?と。
「だって、いろんなママとかパパとかいて、いろんな子がいたの、上から見えたから」
そうか。その日私は一日中、娘を肩車していました。
傘で私たちには見えなかった景色を、娘にはきちんと見えていた。
その光景を忘れないでいてほしいと。
私たちがこれまで見れなかった景色はもう、この子たちの前に広がりつつあるのかもしれません。

家に帰って。
「今日どうだった?」
晩ごはんを食べながら、娘にきいてみました。
「たのしかった」
ぜんぜん楽しくなさそうに答えました。
だよね。ミッキーいなかったもんね。ごめんね。
「パレードの先頭にさ。手と足ない人いたやろ。覚えちょん?」
妻が娘に重ねて聞きます。
乙武さんです。彼もまた、娘に満面の笑みで手を振ってくれた方の一人でした。
「いた」
「どう思った?」
「手と足はなかった」
それがなにか問題でも?と言わんばかりの娘に、われわれ夫婦は爆笑しました。嬉しくて。
手と足 ”は” なかった。
じゃあ、なにがあった?何かがあった。
それを直感的に感じ取っていた言いぶりでした。
だからもう、さらに聞くことはしませんでした。無粋ってものです。
それを探すことは、きっと楽しいものだと思うので。

翌日。
娘の塗り絵は、ディズニープリンセスの髪が、七色に塗られていました。
ファンキー。

おわり。

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