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2210広島出張・尾道ひとり旅雑記

いつからか、金髪マッシュでスタバでバイトしてて実家が太くて軽音部でギターボーカルをやってる男子大学生になるのが来世の夢になった。

しかし私は仏教徒でもないし輪廻を信じきっているわけでもないので、なれないのだろうと思っている。

以上のことから、「金髪マッシュでスタバでバイトしてて実家が太くて軽音部でギターボーカルをやってる男子大学生」が生まれ変わったらなりたいな、と思うような女性になりたいな、と考えを改めた。

かといって、実際に上のような男性たちにアンケートをとっても、「犬になりたい」とか言うんだろうなと想像している。

話は変わるが、わたしは自分のことが嫌いというスタンスで長いあいだを生きてきた。その要因をあげれば、どんくさいこと、あまり頭がよくないこと、人見知りなこと、物をよく無くすこと、よく遅刻をすることなどキリがないが、根本の原因は、簡単に傷つきすぎることにある。

他人の機微の全てに目を配り、精神をすり減らしたり自分の言動を責めたりし続けたら傷だらけになってしまう。けれど、そんな危ういところがわたしにはあった。

気遣いをして疲れるというのは、他人への善意というよりも、自分は取るに足らない存在であるべきというふてくされた思考の現れなのではないか。

またこんな話をしている。

今日は出張で初めて行った尾道のことを書きたいんだった。

最近は日本各地に出張に行っていたんだけど、一番の収穫は広島へ行けたことだ。高校生のときから広島とりわけ尾道に憧れが強くあり、かれこれ10年以上、行きたいといいながらお金がないことを理由に遂行されることはなかった。正直、叶うまでが長すぎて、出張が決まったときもとくに嬉しくなかった。

そんなこんなで広島へ新幹線で向かうことになった。取材は朝からだったので前日の昼前に東京駅から新幹線に乗り、4時間ほどで広島駅についた。初めて降り立った広島駅を出ると、電車の足跡のようなか細いレールが道路に張り巡らされていた。路面電車だ。あんなに行きたいと思っていたはずの広島について何も知らないどころかなんの下調べもしていないことに気がついた。路面電車は広島市の各地を結ぶバスのような役割をしている。乗っているのは観光客ばかりでなく、お年寄りや学生も多かった。わたしは路面を走る小さな電車をすぐに気に入り、仕事用に持ってきた一眼の中身は半分が路面電車となった。

ホテルの近くで下車しイタリアンレストランがやたらに多い川沿いを歩いていると、原爆ドームが目に入った。街の中に普通にある。案内板によると原爆は原爆ドームのほぼ真上580m付近で炸裂したらしい。今まで調べもしなかったし、具体的に想像することもしなかったのだな、と自分の無関心さに少し凹んだ。近くまで寄って見ると、焼け落ちた壁と対照的に鉄骨部分だけはしっかりと残っているのがよけいに恐ろしかった。

さて、仕事の話は割愛するが、滞在3日目の昼過ぎには自由の身になったため、その足で尾道にいくことにした。ついたのは15時30分頃だった。20時頃までは新幹線もあったが、心の中では延泊を決めていた。もちろん自腹だけどそんなことはどうでもよかった。

そこにあるのはずっと想像していた港町だった。写真やゲームや映画や小説、ありとあらゆるもので見ていたので当たり前といえば当たり前だけど、それでも想像と寸分違わないことに感動した。

イメージ通りだった、という感想は時としてマイナスな意味を含むことがあるけど、ここでいう想像どおりはいい意味だ。

ちょうど日がおりてきてきらきらと光る海を見ながら、電車の中で予約をとったゲストハウスに向かう。「あなごのねどこ」という名前だった。うなぎじゃないんだ。

仕事で誰かにインタビューをするときの心構えやスタンスは、いしいしんじさんの『うなぎのダンス』という本に大いに影響を受けているのだけど、わたしは「あなごのねどこ」を目指しながら『うなぎのダンス』を思い浮かべて、いつか取材対象者が「受けてよかった」と体験を振り返るようなインタビューができたらいいなと考えていた。

宿は一階がカフェになっていて、その横に20メートルほどの通路がある。通路のはじまりに「あなごのねどこまであと40歩!」という張り紙があった。しっかり40歩いた右側に木枠の引き戸があり、静かに滑らせると、うなぎ、ではなくあなごの暖簾が頭に垂れてきた。受付、というか人が入れる小さな箱といったスペースには人はいなかった。

ひとまず畳の上に荷物を全てぶちまけて待っていると、奥からメガネの男性がとくに急ぐ様子もなく出てきて、宿でのひととおりのルールを教えてくれた。二段ベッドの上に荷物を置いて、17時15分が最終のロープウェイに急ぐ。メガネの男性に「ロープウェー、まだ間に合いますかね?」と聞いたら「乗り場はすぐ裏ですから」という台詞のような返事をくれた。もう気持ちは主人公だった。なんの、というわけではないけど、なにかの。

千光寺山ロープウェイは、山の中腹にある千光寺を通り越して、千光寺公園の展望台まで運んでくれる。海はかすかに橙色に変わっていた。とくに狙ってはいなかったが、日が沈む前の美しい瞬間を見ることができた。ありがとう偶然。港町特有の鈍色の海、ぴかぴか光る船、オレンジ色の空とブルーのグラデーションの山。あぁ。

いまからとっても気持ち悪いことを言うんだけど、千光寺の展望台で広い空が網膜いっぱいにはりついて頭がからっぽになったときに、最初に出てきた感情が「私は私みたいな人が好きだ」だった。

最初に書いたとおり、これはわたしにとってものすごく大きな成長で、自己肯定感が海溝深くに沈んでいた今までの人生では考えられない偉業なのだ。

なんだ、自分を認めるのはこんなに気持ちのいいものなのか、と思った。黄昏時の空を見て気が大きくなっていたのもあるはずだけど、それでも、わたしはわたしのような人が好きだし、たとえば、ロマンチストで格好良くいたいけど面白いとも思われたいという面倒くささをもっていて、気が小さいけどがんばって大きく見せていて、めんどうくさがりな体に言い聞かせて、一生懸命、時々失敗しながら生きているわたしのような人と生きていきたいと思った。

あとから知ったんだけど、志賀直哉が『暗夜行路』で尾道の夕方六時の描写をしているらしい。わたしが初めての感情の処理に困っていた時刻もちょうどその頃だった。昔の本はさっぱりなので、少しずつ読まなくては。

さぁ、これで尾道の憧れはおしまい。次はどこへ行こう。最後に尾道のねこちゃんたちを添えて。

眼光はするどいけどとても懐っこい黒猫 なでなでし放題
気の強い美人登場
目線はくれるけどさわらせてはくれない
美人猫に警戒する黒猫(まるでわたしたちのようだ)

追記:アイスをたくさん食べた

色んな味があるクリームソーダ
スゴイカタイやつ
いちご


暗夜行路の一節

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